2021年11月7日主日「受けた祝福に感謝して」鄭元然牧師

大阪教会主日礼拝 <2021年11月7日> 五旬節後第24主日/聖礼典主日

                         説教 鄭元然牧師/通訳 金光成長老

* 題目 : 受けた祝福に感謝して

* 聖書 : 申命記16章13節-17節

 

</新共同訳>

13. 麦打ち場と酒ぶねからの収穫が済んだとき、あなたは七日間、仮庵祭を行いなさい。14. 息子、娘、男女の奴隷、あなたの町にいるレビ人、寄留者、孤児、寡婦などと共にこの祭りを喜び祝いなさい。15. 七日間、主の選ばれる場所であなたの神、主のために祭りを行いなさい。あなたの神、主があなたの収穫と手の業をすべて祝福される。あなたはただそれを喜び祝うのである。16. 男子はすべて、年に三度、すなわち除酵祭、七週祭、仮庵祭に、あなたの神、主の御前、主の選ばれる場所に出ねばならない。ただし、何も持たずに主の御前に出てはならない。17. あなたの神、主より受けた祝福に応じて、それぞれ、献げ物を携えなさい。

<説教>

11月を迎えました。自然の色も変わりました。保育園の庭園の木の葉っぱの色もきれいに変わりました。11月は感謝の月です。感謝というのはどのような意味を持っていると思われますか。国語辞典にありがたいことを表す挨拶、ありがたく思う、日本語の辞典には感謝、ありがたい気持ちを伝えると説明しています。

ヘブライ語では賛美する、祝賀する、ありがたく思う、称賛するという意味を持っています。ヤハウエ神様を賛美します、私を救ってくださり感謝します、祝賀しますという意味があります。

 

神様とほかの人からもらった愛と感謝の意を、真心をこめて表現するのが感謝です。昔話にこのよう話があります。ある村に心がやさしくてまじめな人が住んでいました。その年に大根を植えましたが、あまりにもよく育ち強くてしっかりした大根を収穫できました。農夫はその村をよく治めてくれている村長に感謝の気持ちで、大根を何本捧げました。村長はこの農夫の感謝の気持ちにこたえるために、何でお返ししようかと考えました。村の官吏に聞いてみたら子牛が一頭はいってきたものがありますと伝えました。村長はこの子牛を農夫にあげました。このうわさが隣の村にも伝えられ、この話をきいたある村人が考えました。大根何本で子牛を得たならば、大きな牛一頭をささげたら村長が感謝の気持ちで土地でもくださるはずだと考えました。それで、大きな牛一頭を村長に捧げました。村長は大変うれしく思い、職員に聞きました。村の倉庫に貴重なものがあればこの人に渡してあげなさい。官吏曰く「はい。数日前に入庫されたすごく貴重な大根が何本あります」と告げたところ、それではその大根をこの人にあげなさいと村長は言ったのです。本当の感謝は代価を期待するのではありません。心より溢れてくる感謝が真実の感謝です。信仰を持っている私たちが神様にささげる感謝を考えれば、たくさん思い浮かぶはずです。感謝する条件が多ければ多いほど恵みが増していくのでしょう。何よりも私たちが先に感謝することは、

1.罪と過ちで死ぬ私たちを救ってくださった神様の恵みに感謝しなければいけません。

ローマの信徒への手紙6:17-18「しかし、神に感謝します。あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、今は伝えられた教えの規範を受け入れ、それに心から従うようになり、18. 罪から解放され、義に仕えるようになりました。」とされました。神様の救援の摂理を見せてくださったことに感謝をささげるのが、感謝節の意味です。旧約聖書には感謝節は新約で成就される神様の救いの摂理を見せています その理由は何でしょうか?今日一緒に読んだ申命記よく記されています。申命記16:12「あなたがエジプトで奴隷であったことを思い起こし、これらの掟を忠実に守りなさい。」と神様は告げられました。

本文16節に「男子はすべて、年に三度、すなわち除酵節、七週祭、仮庵祭に、あなたの神、主の御前、主の選ばれる場所に出ねばならない。」3節期はエジプトから救われ約束の土地で得られた果実を通して感謝の祭りをささげる意味があるのです。除酵節(Feast of Unleavened Bread)は、過ぎ越し祭が始まる夜から7日間無酵餅を食べて守る節期を言います。(出12:15-20)除酵節と過ぎ越し祭は、大概区別なく一つの節期として、除酵節は過ぎ越し祭を含めて1週間の間種なしのパンである無酵餅を食べて守る節期を言います。出エジプトの救いを記念して感謝する節期です。7週祭(The Feast of Weeks)は、3大節期の一つである過ぎ越し祭から7週後の50日になる日を守る節期です。 この日、イスラエルの民は麦の収穫の最初の実を記念して、穀物をくださった神様に感謝して祭りを行いました。

仮庵祭(Feast of Tabernacles)はオリーブ、ブドウなどを収穫して貯蔵した7月(太陽歴9-10月)15日から守る感謝の節期です。(レビ記23:34-41)穀物を収穫して貯蔵することを守る節期として収蔵節とも言います。(出23:16)幕屋節とも言います。(ヨハネ7:2標準新翻訳)

今の収穫感謝節と似通った意味になります。神様の恵みと祝福を記念する節期と同時に、新年を迎えることになるのです。この期間、イスラエルの民は7日間楽しく過ごし、先祖たちがモーゼと共に荒れ野で過ごした40年の生活を記念して幕屋で生活しました。

信仰の先輩たちやわたしたちも、神様の恵みに対する応えの方法として感謝をささげるのです。信徒たちは生きている間に与えられた恵みに感謝と証しで、神様の救いに対して讃美しなければいけません。旧約の信徒たちは神様がくださった実を収穫してそれで祭事を行い、感謝をささげたとしたら、今日の信徒は聖霊の中で真実な心で告白して神様を喜ばすように行わなければいけません。ヘブライ人への手紙13:15では「だから、イエスを通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう。」と言っています。

その次に救いを受けた人として妥当な実を神様に捧げるのです コロサイ信徒への手紙1:10「すべての点で主に喜ばれるように主に従って歩み、あらゆる善い業を行って実を結び、神をますます深く知るように。」と勧めています。善と義と愛を追求する生活を行い、救いに妥当な人生の実を結ぶことが信徒の本分であり、神様に対して最善を尽くして感謝をささげる方法です。

2.労苦して仕事をした報酬として収穫を与えていただいた事に対しての感謝です。

ロマ7:4に「ところで、兄弟たち、あなたがたも、キリストの体に結ばれて、律法に対しては死んだ者となっています。それは、あなたがたが、他の方、つまり、死者の中から活させられた方のものとなり、こうして、わたしたちが神に対して実を結ぶようになるためなのです。」と記されています。

物質的な収穫を与えていただき感謝します。収穫感謝節の第一次的な意義は、収穫物に対する感謝です。神様が与えてくださった物質に対してコリントの信徒への手紙9:10では「種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方は、あなたがたに種を与えて、それを増やし、あなたがたの慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます。」と言っています。義と光の実を結ぶようにしてくださり、感謝します。私たちは先週まで、宗教改革についてみことばを分かち合いました。その中で注目しなければいけないものはなんでしたか。主の恵みで作られたものを、人間が人為的に強調して誤った道に落ちてはいけないことでした。

秋収感謝節を前にした信徒が必ず覚えなければいけない内容は、まさに信徒自身が結んだ義と光に対する感謝です。物質の収穫は誠実に努力する人に対しての神様からのプレゼントです。誰でも熱心に仕事をすれば物質の祝福を受けます。しかし、イエス・キリストに似るための義と光の実は、人間の努力だけでは得られません。唯一聖霊様の助けによって、結ぶことが可能なのです。信徒たちが神様の真理のみことばと聖霊様の意志に従う人生の対価として、義の実、光の実を結ぶことが可能なのです。エフエッソの信徒への手紙5:9で「光から、あらゆる善意と正義と真実とが生じるのです。」と言っています。信徒たちはこのように神様がイエス・キリストの人格に似させてくださり、偉大な義と光の実を結ばせてくださった恵みにもっと感謝をささげなければいけません。

3.神様の保護と恵みに感謝しなければいけません。

2019年末より始まった新型コロナ禍により世界は大きな苦しみの中にいます。患者さんが2億5千人に達しました。命を失った死亡者が505万人を超えました。去る1年間も多くの人が命を失い、地震や台風や洪水などの災難と危険に晒され、涙を流した方が大勢おられます。 病気で苦しんでいる人たちもおられます。このような中で、私たちを特別保護してくださったことに対して感謝せずにはいられません。忘れてはいけないことがあります。この中で2重の苦しみを受けている方がおられます。極端な貧富の格差によって、食べる物すら十分でない貧しい人たちの問題です。まさしく私たちの隣人がこのような状況にいる事を覚えていつのであれば、感謝を口だけでするのではなく、神様の恵みに感謝するのであれば貧しさで苦しんでいる人達に愛の手を差し伸べる行動を実践すべきです。いつも私たちを守ってくださる神様の保護と導きに感謝しなければいけません。

4.私たちは逆境の中でも感謝しなければいけません。

私たちが生きながら、感謝しつらい時間があります。それにもかかわらず、その中で感謝する条件を探し感謝することを神様は特別に喜ばれ、祝福してくださいます。私たちが感謝できない環境の中でも感謝をささげるとき、そこに神様の奇跡が現れます。病院に見舞いに行きにくい最近、闘病中である信徒の方と連絡をとりながら、牧師である私も大きな恵みを受けます。つらい抗がん治療を受けているにも関わらず、神様が守ってくださるとの確固たる信仰で治療を受けておられる方の証しは本当に勇気つけられます。

私の長くない人生をふりかえり、告白することも同様です。皆さんは心に決めた事、計画したことが実現できなかったことをどのように感じますか。皆さんが家庭の事、子どもの事、そして私の場合は牧会の現場でこのような事を経験しながら生きているかも知れません。お祈りをしたからといってすべてが叶いますか。時にはお祈りの応えも時期を待たなければいけない事を教わります。私の長男の場合、苦しんでいる息子に背中をなでて抱いてあげれない状況で、お祈りしながら見守るしかできない凄惨な状況でもその時期を待ちます。今日の週報に出ているように、去る3日に娘の時温が結婚式を挙げました。コロナ禍と祖父である楊烔春牧師の召天により、信徒に連絡もできない状態だったですが、神様の前で結婚誓約のために家族のみ集まり、質素な式を行いました。娘もまた自身が計画したことが実現できない状況で、自分に失望し立ち上がることができない挫折を味わいました。何一つ手助けできない親の心情は、本人と同じくらいつらかったのです。しかし、このような試練の中でも神様は計画がありました。また、このようなことは信徒の皆さんの家庭でも経験する苦しみの中のひとつかもしれません。

苦難と試練の中でも私たちが神様の愛とその摂理を理解しようとすれば、必ず聞こえてくる声があるはずです。私の好きな聖書のみことばは、ローマの信徒への手紙8章28節です。「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」とのみことばです。

感謝しなければいけない理由が確かにあります。

1.罪と過ちで死んでいく私たちを救ってくださった神様の恵みに感謝をささげるべきです。

2.労苦して仕事をした報酬として収穫を与えて下さった事に対して感謝すべきです。

3.神様の保護と恵みに感謝すべきです。

4.私たちが逆境の中にいるとしても感謝すべきです。

<祈祷>

今年1年を振り返りながら、神様に感謝をささげます。 新型コロナ禍中でも私たちを守ってくださり、与えられた職場と仕事を通して生きていく力を与えてくださり、感謝します。自然災害と経済的困難と精神的につらい生活の中でも導いてくださり、感謝します。農業を営む農夫が収穫に感謝をするように、私たちも生活に与えてくださった祝福に感謝し、来週は収穫感謝節を迎えようとします。主よ共にしてください。

イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン