2021年5月16日 母の主日礼拝「父母の訓戒と生命を得ること」鄭然元牧師

大阪教会主日礼拝 < 2021 5月 16> 復活節第7主日 母の日

                         説教 鄭然元牧師/通訳 金光成長老

 

* 題目 : 부모의 훈계는 생명을 얻는  父母訓戒生命ること

* 聖經 : 잠언 4 1-4 箴言 4章1節4

 

[()新共同譯]

1.子らよ、父の諭しを聞け/分別をわきまえるために、耳を傾けよ。2.わたしは幸いをいているのだ。わたしのえを捨ててはならない。3.わたしも父にとっては息子であり/母のもとでは、いとけないり子であった。4.父はわたしにえて言った。「わたしの言葉をお前の心に保ち/わたしの戒めを守って、命を得よ。

<説教>

愛する信徒の皆さん、一週間お元気でしたか。映像礼拝をささげている信徒たちと教会に出席された信徒の皆さんに主の平安が共にありますよう祈願いたします。

今日は母の日の主日を記念し、感謝の礼拝をささげています。日本は先週が「母の日」で、韓国は「父母の日」として両親に感謝する日でした。しかし、私たち大阪敎会は、毎年教会創立主日と重なって5月の第3主日を「母の日」として守っています。私たちがこのように何かを覚えて記念することは、その意味を考え生かせるためです。「母の主日」や「父母の日」は母と父、つまり、両親の愛を考えてもう一度両親を思い、感謝の気持ちを伝える時間でもあります。普段なら、教会学校の子どもたちが信徒の皆さんにカーネーションをささげながら感謝の挨拶をしますが、今日はそれができない状況です。愛する子どもたちをさらに祝福する親になられますよう、願います。

この世の大変なことの一つが親になることではないかと思います。親になることも大変ですが、良い父母になることはもって大変なことだと思います。「母の日」主日には子が親をどのように敬うべきかを考えるのが当然です。親を敬う立派な子と子を愛する献身的な親の愛を共に考えざるを得ません。

子どもたちに両親が大切なのは、両親が持っている独特な点があるからです。それは愛です。子どもへの両親の愛の姿から私たちは、神の愛を悟ります。神様は私たちをお造りになったので、愛し守って下さいます。このように、父母は神様の創造の摂理に沿って、私たちをこの世に生み出した方々だからです。この世の誰も真似できない真心の愛で自分の子どもを育てます。神様の愛を最も近くで感じられる存在が両親の愛です。両親は、自分の子たちの世話をするとき、神様がご自身の子の世話をするようにできる存在なのです。神様が私たちをこの世に出される際、父母を通してなさいました。神様の子たちには最も偉大な贈り物をくださったのが、それがまさに父母です。

それで、神様のみことばは親を愛する方法を先に教えているのです。箴言のみことばを読みました。子たちに先に与えるみことばは1節「子らよ、父の諭しを聞け/分別をわきまえるために、耳を傾けよ。」です。

訓戒(戒め)というのは「間違わないように教え諭す」という意味を持つ言葉です。子たちに、まず、「父の諭しを聞け」と話しています。神様はイスラエル民族との関係において最も重要である「十戒」を与えました。イスラエルの民が神様に仕えるときに、どのような姿を持つべきかに関するみことばです。多くの中で最も重要なこと、10の戒めを選んだのが十戒です。この十戒で、神様は「あなたの父母を敬え」と諭しておられます。

「敬う」という言葉は、ヘブライ語で「キーベッド」と言います。ところが、このキーベッドという言葉は、非常に意味深い言葉がルーツです。その語源は人の内臓の一つである「肝、肝腸」という言葉です。イスラエル人は、肝臓が人間の内臓の中で一番重いと思ったし、それほど重要だと考えました。実際に医学的に、肝臓の機能が非常に重要なのは、日常生活で私たちはわかっています。人体の肝臓は、栄養素の代謝作用と解毒作用をしており、人の生命維持に必要な臓器(ぞうき)です。

聖書で、「敬う」を「肝臓」という語源を持つ言葉を用いた理由を、我らの生活を通してみればわかりそうです。父母を肝臓のように重要に思いなさいとの言葉です。父母の愛は人間らしさの基本です。父母の教え、つまり諭しをよく心に保ち知恵を得て、賢く生きなさいと話されているのです。続く2節、人間は善き道理に従い正しく生きなければなりません。親が子を育てながら「あなたは、こんな悪いことをしながら生きなさい。」と言う親は一人もいないでしょう。どのような環境と苦しい生活であっても、人間らしく正しい道理を守り生きなければならないと教え育てるでしょう。神様の戒めから離れてはいけないと言いながら育てるでしょう。

3節、「私も父にとっては息子であり、母のもとでは、いとけない独り子であった」というみことばを見ましょう。皆さんがよく知っている通り、箴言は「ソロモン」が書きました。ソロモンはイスラエルの偉大なるダビデを父に、母も賢い女性を代弁する「バテシバ」でした。父ダビデと母バテシバに関しては皆さんがよく知っておられます。二人の間で生まれたソロモンは、ダビデの子の中では10番目の王子でした。ダビデが加齢と共に弱い面が生じます。その隙に、王子たちは自分が王になろうと必死でした。ソロモンは王子ではあるが、他の兄弟よりも弱かったのも事実でした。すでに二人の王子が王になろうとしてクーデターを起こしました。王の周辺の参謀(さんぼう)たちが自分にとって有利な王子を立てようとする状況の中、ソロモンの立場は非常に弱いものでした。ソロモンを支持する勢力がなかったからでした。ただ神様の預言者ナタンしかいませんでした。バテシバは権力の周りで起こる政争についてわからなかったのです。このとき、預言者ナタンはソロモンの母バテシバを訪ねて、ダビデの他の王子たちが王になろうと宣言し、勝手に油を注ぐなどの騒ぎが起きていることを通告します。バテシバに「あなたの命を守るためにも、息子ソロモンが王になる必要があり、ダビデ王は誓いを守らなければならない」と言います。

 

ナタンはソロモンが生まれたとき、ダビデ王に頼まれソロモンの名前を「エディドヤ」としました。その意味は、「主に愛された者」という意味でした。母は命をかけ、ダビデ王の私室に入り「なぜアドニヤが王になったのか。」と挑戦的な質問をします。今、ダビデ王が分かっていない中、外で起きている状況を教えました。結局、ダビデはナタンとソロモンを呼びます。大祭司ツァドクと後に軍司令官になるベナヤを呼び「ギホン」へ下り、私の後を継がせる王として油を注ぐように命じます。角笛を吹き鳴らされ民にソロモンが自分に継ぐ新しい王になったことを宣言します。母バテシバの献身的で勇気ある行動によって、子ソロモンは王になったのです。

ソロモンは、いつも自分の立場を考えており、母の行動と父ダビデの決断の行動を見ました。王上2章から見ると、ダビデ王は死期に近づくと、息子ソロモンに遺言を残します。重要な内容は、「あなたの神、主の務めを守ってその道を歩み、モーセの律法に記されている通り、主の掟と戒めと法と定めを守れ。」と遺言をしました。もちろん、ソロモン王も歳月を経て、多くの子どもたちを生みました。箴言の内容を見ると、自分の立場を説明します。「私も父にとっては息子であり、今では多くの子の父として言う」としました。実は私たちもそうです。私が父母の子であると同時に、今では子を持っている親になっているからです。

使徒パウロは、エフェソ6章で、親子関係に関するみことばを書いてます。「子どもたち、主に結ばれている者として両親に従いなさい。」と言います。ソロモンが伝える内容と同じです。使徒パウロは、続いて「それは正しいです。父と母を敬いなさい。これは約束を伴う最初の掟です」と言います。先に述べたように、「敬う」という言葉が出てきます。その後、「敬う」という言葉は私たちの生活にどのように具体的に適用できますか。敬うことは行為であり、理論ではありません。敬うという言葉自体が非常に実際的な意味を持っています。「敬う」は、英語で「Honor」、「Respect」と翻訳します。これは「礼を持って仕えること、慎み敬うやまうこと」を意味します。

「あなたの父と母を敬え!」という戒めは,十戒から初期キリスト教に至るまで続いてきた重要な言葉です。敬うということは、理論ではありません。口で敬うと言ったから実現できることではありません。行為、行動として現れる必要があります。お年老いた両親と同居している信徒が多くいらっしゃいます。私も同じです。私にも年配のお母さんがおり、義父母もおります。この親たちに礼を尽くし、敬わなければいけない人です。しかし、そのことが十分にできていない自分が恥ずかしいのです。

神様が私の父母を敬うとき、子孫に与える祝福を話されました。その約束は、エフェ6:3「そうすれば、あなたは幸福になり、地上で長く生きることができる」という約束です。人間が持っている基本的な希望は、この地で元気に長く生きることではないでしょうか。箴言1章4節にも、「わたしの言葉をお前の心に保ち、私の戒めを守って、命を得よ。」と言っています。死が蔓延しているこの世の中で、長く生きるとの約束がどれほど大切なのでしょうか。この希望が成就できる道は父母を敬うことなのを

再度わからせてくれるのが母の日、父母の日です。

よい父母になるため、子どもたちとの関係を説明するみことばが4節に出ます。「父親たち、子供を怒らせてはなりません。主がしつけ諭されるように、育てなさい。」と話されます。使徒パウロは箴言のみことばをよく理解していました。

今日を生きる私たちも同じです。子どもたちの関係がどれほど難しく大変なことでしょうか。この世で一番易しそうで難しいのが子どもと父母の関係だと思います。あまりも簡単なことなのに、なぜこのようなことが実現できないのですか。子を愛しない父母がどこにおり、親を敬わない子がどこにいるのかと言うかもしれませんが、現実はそう簡単ではありません。

この説教を伝える私自身も、親孝行と父母を敬うことに疎かでした。それだけでなく、子どもたちと円満な関係を保ちたいが、それもうまくいっていません。それで、常に自分の至らなさを感じ、後悔しております。

親と子の間で互いに愛し、尊敬し、理解する心があれば、家庭は無論個人の生活も円満で平安でしょう。昔話が私たちにためになるときがあります。韓国の歴史に記録された過去の話を伝えます。

昔、「ジウン」という乙女が住んでいました。幼く父を亡くし、年を老いた母親の世話のため、嫁げませんでした。日雇い仕事をしていたが、それも限界がきて貧困に耐えられなくなりました。考えた挙句、ジウンは金持ちの家の下女になり働くことにし、お米10俵(じっびょう)をもらいました。そして、数日後のある日、母親が言います。「以前はもらってきたご飯でもおいしかったけど、最近は良い米で炊いたご飯なのに美味しくなく肝臓をえぐるようなのがおかしい。」と言いました。その言葉を聞いたジウンは事実を告げました。母親は「私のせいで下女になったなんて、早く死ねなかったのを恨む」と慟哭し、親子が泣き崩れました。この話を聞いた王は

ジウンの主人に米100俵と衣服を与え代位弁済してあげました。また、王は「ジウン」の親孝行に感動し、下賜(かし)品として米500俵と家一軒を与え、その町「孝養方(ひょやんばん)」と呼ぶように命じました。この物語は『三国史記』列伝の載っている孝行娘(こうこうむすめ)ジウンに関する記録です。

真実な心がその乙女にあったから、孝心が光りました。真心を込めて親を敬い、愛すれば、親孝行になるでしょう。真なる信仰は神様のみことばを成就することであります。父の諭しを聞いて、戒めを守ることが私を生んでくれた父母に対する子の道理です。この道理を守ることによって、私たちは神様の祝福を得るようになるのが神様の定めた戒めです。一つ目、戒めを守れば問題が全く起きません。二つ目、戒めを守ることによって主が備えている祝福がもらえるということは私たちにとって大きな慰めになります。

説教内容をまとめます。

神様の戒めと父母の訓戒を守ることで、命を得る人になりましょう。みことばを守ることで、祝福をもらう子になり、父母になりますように主のみ名によって祈願いたします。

<祈祷>

「父を嘲笑(あざわら)い、母への従順を侮(あなど)る者の目は/谷の烏がえぐり出し、鷲(わし)の雛(ひな)がついばむ

〈箴言30:17〉というみことばを覚えます。今日のみことば通り、父母の訓戒を聞きながら、正しい道理の

道を歩ませてください。みことばの戒めを従うことで、主が備えている祝福をもらう私たちにならせてください。

この地の全ての母と父を祝福し、子として父母をよく敬えるようにさせて下さい。子を怒らせず、よく育てる父母になり幸せな家庭を築く私たちにならせて下さい。主イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。

アーメン