2021年5月9日主日礼拝「禧年(ヨベルの年)の喜びを新しい出発点として」鄭然元牧師

大阪教会 教会創立100周年記念主日礼拝 < 2021 5月 9日> 復活節第6主日

                         説教 鄭然元牧師/通訳 金光成長老

* 題目 : 희년의 기쁨을 출발점으로  禧年(ヨベルの年)の喜びを新しい出発点として

* 聖經 : 레위기 25 8-12 レビ記 25章8節12

 

</新共同訳>

8. あなたは安息の年を七回、すなわち七年を七度えなさい。七を七倍した年は四十九年である。9. その年の第七の月の十日の贖罪日に、雄羊の角笛を鳴り響かせる。あなたたちは中に角笛を吹き鳴らして、10. この五十年目の年を聖別し、全住民に解放の宣言をする。それが、ヨベルの年である。あなたたちはおのおのその先祖伝来の所有地にり、家族のもとにる。11. 五十年目はあなたたちのヨベルの年である。種蒔くことも、休閑中の畑に生じた穀物を穫することも、手入れせずにおいたぶどう畑のを集めることもしてはならない。12. この年は聖なるヨベルの年だからである。あなたたちは野に生じたものを食物とする。

<説教>

愛する信徒の皆さん、映像で礼拝をささげている信徒の皆さん、お元気でしたか。

先月の25日、日本政府は関西地域に緊急事態宣言を再発令しました。政府や私たちの期待とは違い、感染事態が日に日に深刻になっています。5月末まで緊急事態を延長するとのニュースを見られたと思います。健康管理に留意し、コロナによる被害がないことを願うばかりです。このパンデミックの疫禍が早く終わりますよう、共に祈りましょう。

今日は大阪教会が設立されてから100周年になる主日です。今まで過ごして来られたのが神の恵みです。信仰の先輩の血汗を流した結果で、今日があることを知っているのでさらに感謝です。ティアスポラである私たちの民族の中で、自分が住んでいる場所で教会を建て、100年を続けてきた信仰共同体は多くないです。キリスト教が中心である米国の場合には、ハワイに農作業移民で行った方が地元の助けを受けて教会を建てました。米国の西部地域では、サンフランシスコに初めて韓国人教会が建てられました。多くの民族の指導者を育てた教会でもあります。日本の場合には、1906年に今の在日本YMCAが青年活動を中心に、福音事業を始めました。 1908年にYMCAの関係者たちと留学生10人ほどが礼拝をささげました。これが東京教会であり、同時に在日大韓基督教会の始まりでした。 1919年三一独立運動の始発点になる2.8独立宣言を行いました。

今から100年前、1921年に関西地域では、仕事を探してきた若者たちと留学に来た学生たちがいました。当時、私たちの民族は、クリスチャンが多くない時期でした。1919年三一独立運動の勃発後、民族的には、日帝の弾圧はますます激しくなっていく時でした。食べて生きるという人間の最も本能的な経済問題を解決するために、日本に渡り始めたのです。このうち極めて少ない少数のクリスチャンたちが集まり、神様を礼拝し、福音を伝えるため、大阪教会が始まりました。

100年、今日この場におられる信徒たちと映像礼拝をささげる信徒の中でも、この年月を経た方はおられません。しかし、年老いた信徒たちは、この時代を生きて来ました。個人の歴史と信仰共同体である大阪教会の歴史と共に生きてきた証人であります。過ぎた100年の歴史を顧みることは容易ではありません。明らかな一つのことは、今日まで主の体である大阪教会を主が守って下さいました。サム上7章12節、サムエルは石を一つ取ってミツパとシェンの間に置き、「今まで、主は我々を助けてくださった」と言って、それをエベンエゼル(助けの石)と名付けた。

「エベン・エゼル」今まで、主は我々を助けてくださった!そうです。主が大阪教会を100年前に始め、今日まで助けてくださいました。イスラエル民族が出エジプトをし、カナンの地、今日のパレスチナ地域に入ったのが、今から6000年前でした。その地にはすでに住んでいたいくつの民族がありました。ほとんどはパレスチナ地域で消えるか、または他の地域に移住しました。

ヨシュア記13章を見ると、イスラエルはペリシテ民族が住んでいた「ガザ」地域は、最初からその地域を占領できませんでした。このペリシテは5つの城が中心で強力な軍隊を持っており、絶えずイスラエルとは紛争状態にありました。ペリシテとの絶え間ない戦争をしながら、勝利と敗北を繰り返し経験することになりました。そのような激しい戦いの中で、生き残った人々と預言者サムエルは神様に感謝のいけにえをささげました。一つの石を置き、証拠の印として立てました。今までイスラエル民族を守ってくださったことに対する信仰の告白でした。「エベン・エゼル」神様が今まで主は我々を助けてくださった!と告白をしているのです。

今日、コロナ感染事態により、教会に集まって感謝と喜びを分かち合えない状況です。しかし、私たちは、今日のこの日を覚え感謝しています。石一つを講壇に立てることを目的としていません。大阪教会の信徒の信仰と私たちを覚えて大切にする信徒の真心を込めた記念碑を私たちの心に立てたいと思います。私たちがこのように100周年と言い、意味を探り記念しようとする理由はどこにあるのでしょうか。今日のみことばを通して考えてみる必要があります。

イスラエル民族が民族共同体として、また信仰共同体としての意味を持つことがここにあります。再び説明すると、民族共同体がよく維持できるのは、彼らの信仰と深い関連があるということです。単にイスラエル民族の血を引き継いだから、同じ民族だということではありません。信仰的にも一つになることが非常に重要なものでした。信仰共同体は、ヤハウエ、神様を信じることが、彼らの生活と生活の中心となるのは当然のことでした。その上、神様からの戒めと律法を守ることを非常に重要だと思いました。その中の一つが「ヨベルの年」に対する思想です。このヨベルの年の思想は、イスラエル民族が一つになるため、どのような役割をしているのかを、今日の聖書のみことばからわかります。

100周年を迎える私たち大阪敎会の今年の標語であるみことばでもあります。イスラエル民族にとって安息日は、神様を中心にし聖なる日として守ります。今日のユダヤ人たちも、彼らのアイデンティティを確認することの中で一つが「安息日を守ること」であると言っても過言ではありません。6年が過ぎ、7年目に迎える「ヨベルの年」も大切にしました。例えば農作物を耕す人たちにとって土地は重要な資源です。

農作業をするとき、毎年穀物を続けて植え収穫だけすれば、まもなくその土地が持っている土壌、すなわち栄養分は枯渇するでしょう。土地に肥料を与え、耕作を休むことを通して多くの収穫を期待するため、土地を一年休ませることでした。このような安息の年を7回過ぎ、迎える年を「ヨベルの年/ Year of Jubilee」としました。土地を耕していた農夫が、ある困難のせいで土地を抵当しお金を借りてしまった場合があるでしょう。それがヨベルの年になると、その土地を元の所有者に条件なしで返さなければなりませんでした。土地だけではなく、人を奴隷にした場合に、その奴隷を元の身分に戻すのが掟(おきて)でした。お金を貸してあげた人の立場からは、悔しいこともあるでしょう。しかし、イスラエル民族が民族共同体として、信仰の共同体として一つなれるために、このヨベルの年が大きな役割を果たします。イスラエルの民族に「ヨベルの年」はレビ記とイザヤ書によってみると、恩惠の年、身元の日に宣布されました。

貧しい人々を豊かに満たしてくれる歓喜を持たせる年でした。心に傷を負った人々は癒される回復の年となりました。捕らえられた人々を解放し、自由を与える喜びの年でした。悲しみの象徴である灰を被り泣いている人に花冠(はなかんむり)を作って頭にかぶせる慰めが宣布される年です。憂慮に満ちた人には笑いと讃美で心を回復してくれる日がまさに「ヨベルの年」だったのです。

私たち大阪教会がこのような「ヨベルの年」を迎えるようになったのです。今日(こんにち)、現代社会で私たちは「ヨベルの年」の意味をどのように探すべきでしょうか。いつもの5月教会創立周年を考えながら、100周年の記念礼拝を私たちは夢見て来ました。今日のみことばを見ると、祭司長が角笛を鳴り響かせて始まるヨベルの年の行事が始まりました。私たちも無論「グロリア吹奏楽部」のラッパの轟で100周年の行事を迎えたでしょう。しかし、今はそれすらできない状況です。

私はこの貴重な時間、信徒の皆さんと一緒に分かち合いたいことがあります。ヨベルの年の喜びと感謝を信徒の皆さんと共にするのは当然のことです。そして、この喜びと感謝を分かち合って伝える大阪敎会になることを願い、今年の標語を堂会と相談して決めたのです。まさにこの標語のように、100年の喜びと感謝を分かち合って伝える教会になることを切に願います。過ぎた100年を顧みると感謝することしかありません。今新たに始まる新しい100年、つまり一世紀の出発点で、私たちの決心が必要だと思います。私たちは、過ぎた100年を顧みながら感謝するとともに、同時に前に進むべき新たな100年の出発点に立っているのです。この出発点に立って、私たちは新たに決心すべきです。

使徒パウロは、エフェソ信徒への手紙第3章9節以下でこのように話しています。救いの秘められた計画を盛り込んだ手紙をエフェソ教会と今日の大阪敎会に与えるみことばです。9節「すべてのものをお造りになった神の内に世の初めから隠されていた秘められた計画がどのように実現されるのかを全ての人々に説き明かします」。教会が持つ最も神秘なことはイエス・キリストの福音に関する秘密です。11節には、これは神がわたしたちの主キリスト・イエスによって実現された永遠の計画に沿うものです。神様の恵みによって設立された教会は、イエス・キリストの福音に関する秘密を持っています。使徒パウロが言うこの秘められた計画はイエス・キリストの十字架の死と復活、そして人類を救うという驚くべきことを指しているのです。

教会は、イエス・キリストが定められた予定とその意のままにされたものだとパウロは福音の働き人として、伝えています。私たちにはこの100周年ということが偶然与えられたものではありません。神様が予定し、民族の苦難の中で福音を通して、救いの喜びをわからせてくださいました。イエス様が定められた時間に教会を建て、信徒たちを慰めてくださったことを、私たちは信じます。

愛する信徒の皆さん、今日大阪教会創立100周年の記念主日に一番先に考えるべきことは、福音を盛(も)る聖なる器として教会を考えなければいけません。大阪教会の始まりを知らせる言葉が「慰めよう、慰めよう!」という激励と同時に私たちの民族に福音を伝えなければいけないという使命感で教会が始まったことを先週の主日にお話しました。

今日、私たちが信仰生活の中で一番大切な価値である福音の働きについて、再度考えながら、新たな100周年に向かっていく出発点に立たなければいけません。過ぎた100年、エベン・エゼルの主が大阪教会を今日まで助けてくださいました。少し、身が引き締まる思いですが、喜びで新たな出発点に立って、出発信号を待つ選手たちのように主の信号を待つようにしましょう!

<祈祷>

慈しみ深い神様、過ぎた100年の年月の間、大阪教会を守ってくださり、感謝をささげます。

今から新たに始まる1世紀の出発点で福音を盛る教会としての使命を担わせてください。

全てに感謝しながら、イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン