2021年 3月 21日 四旬節第5主日 「神様に正しく仕えること」鄭然元牧師

大阪教会 主日礼拝< 2021 3月 21四旬節第5主日

                         說敎 鄭然元牧師/通譯 金光成長老

 

* 題目 : 神様に正しく仕えること

聖書 : マタイによる福音書4章8節-11節 

 

</新共同譯>

8.更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、9.「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。10.すると、イエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、/ただ主に仕えよ』/と書いてある。」 11.そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた。

 

<説教>

主の前に出てこられた信徒の皆さんを歓迎します!皆さんの元気な姿を拝見でき嬉しいです。四旬節の第五主日です。イエス様が私たちのために十字架を担う日が近づいてきます。

悪魔から誘惑を受けているイエス様の姿を探っています。今日のみことばは三度目の試験に関する内容です。イエス様は「霊」に導かれ、荒野に行き、40日間断食をしました。天国のために働くことを準備されました。その時、悪魔が来て、イエス様を誘惑しました。この誘惑は、「あなたは神の子なら」、私が言う全てのことができるだろうとの能力に対することでした。サタンの立場では、「今こそ、あなたが神の子であるかどうかを試す時が来たということです。イエス様に「今が、あなたが神の子である事実を見せなさい。」と言わんばかりのことを求めました。

三度目の試験は、サタンが世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せながら、最も恐ろしい偶像崇拝をするように誘惑しました。悪魔はイエス様にすべての国々とその繁栄を見せるために非常に高い山に連れて行きました。神殿程度の高さは十分ではなかったのです。サタンは「空中の権力を握った人」という意味を持っています。メシアである、キリストを自分の領土へ、もっと高いところに連れて行く必要がありました。悪魔は、世界を創造し司るキリストに、すでに知っているよりもっと詳しい世界を見せようと、イエス様を連れて行きます。

悪魔がイエス様を高い山に連れて行った理由は、確実に誘惑しようとしたからです。しかし、イエス様はだまされず、その意図を見抜きました。ここでサタン、悪魔がどのように私たちを誘惑するのか考えてみる必要があります。まず一つ目、サタンの誘惑は、多くの場合、目から入ります。人類初の罪も目から、見ることから始まりました。(創3:6)アダムとエバが犯した罪は、命の木の実を見てから、心に罪が入ってくるようになったのです。

二つ目には、悪魔の誘惑は私達の弱まった肉体と魂に浸透してきます。先日、説教で話したように、悪魔は弱いところを集中的に攻撃し、希望を持てないようにさせ、すべてのものを放棄させます。もう一つは、私達の考えが深くなく、軽率な行動をとるとき、攻撃を加えます。今日の本文をみると、悪魔はイエス様に「もし、ひれ伏して私を拝むなら、これをみんな与えよう。」(9節)と言います。

この誘惑について、次の二点を考えてみましょう。まず、悪魔のこの約束がどれほど荒唐無稽(こうとうむけい)なのか。「これをみんな与えよう。」この話が何を意味しますか。この話の背景には、前に行った二つの誘惑と繋がっています。悪魔は「あなたが神の子であるのに、神はあなたを見捨て、飢え死にさせようとしていないか。」という疑いをイエス様に植え付けようとします。そして提案するのは、「しかし、もしあなたが私の言うことを聞くのであれば、私はあなたにもっとよくしてあげられる。私をあなたの父として認め、私の祝福を求めなさい。すると、私がこのすべてを与えよう。」と途方もない誘惑をしました。

私たちが生活の中で、困難に遭うと、容易にこう言います。「神は私を捨てたのかな。なぜこんな試練を私に与え、見守って下さらないのでしょうか」。サタンは、人々が神に見捨てられたと考えるように口説いたあと、簡単に自分の餌食(えじき)にしてしまいます。悪魔の約束である、「これをみんな与えよう」。これがまさしく偽りなのです。悪魔の餌は全部が偽りです。その餌は見せかけと虚像だらけで、悪魔はそれを持って人間を騙すのです。

二つ目は、悪魔が掲(かか)げた条件がとても大きく見えるが、それが如何に卑しいのかを知らなければいけません。悪魔は「ひれ伏してわたしを拝むなら」と言います。悪魔は拝まれるのを好みます。これほど陰険で凶悪な誘惑があるでしょうか。信徒たちもこの邪悪な罪に陥る誘惑を受ける危険性があります。

このような誘惑をイエス様はどのように退けたのか見てみましょう。まず、イエス様は悪魔の提案を断りました。前の二つの誘惑とは次元が違う誘惑でした。わたしたちの生活の中でも、軽く超えられない誘惑があります。しかし、場合によってはとてつもなく重くて、容易(たやす)く克服できない誘惑もあります。

イエス様の態度からも、それを知ることができます。断固とした態度で「退け、サタン」と言われました。実は、私たちも「これは違うのに!」と感じながらも、決断できず躊躇する場合があります。心を決めずにいるとき、悪魔は自分が計画したとおり連れていく場合があります。悪魔に隙を与えてはいけないのに、その隙を許してしまうのです。しかし、イエス様は断固として言われます。「退け、サタン」。そして、イエス様は又もや聖書のみことばを用いり、この誘惑を勝ち抜きました。申命記10章20節「あなたの神、主を畏れ、主に仕え、主につき従ってその御名によって誓いなさい。」と話されました。

自分にひれ伏し、拝めなさいと言う悪魔の誘惑に「主を畏れ、主に仕えなさい。」という言葉は、提案を退けるのに非常に適切な言葉です。私たちの生活の中で、人との関係で過ちが起こる場合があります。他の人から尊敬され、認められることを願う心を誰もが持っています。認められたい気持ちもあります。他の人が私をわかってくれるだけでも、心がときめきます。このような人間の本能を悪魔は利用します。

特に教会の中でもそうです!これが最もよく現れる時期が、今日のように、教会の奉仕者を選ぶときです。「なぜ私は信徒たちに認められないだろうか。」と悩むほど深刻になります。教会の奉仕者を選ぶ選挙は、信徒たちにどれほど認められているのか、どれほど人気があるのかを調べるためではありません。それにもかかわらず、選挙後、傷つく方がいるのを見ると、牧師は穏やかな気持ちでいられません。教会の職分が偶像になってはいけません。長老、勧士になるためクリスチャンになったのではありません。では、なぜこの職分者を選ぶのですか。主の教会をよく治め、奉仕し、仕えるために、その役割を担わせるのです。

今日のみことばを見ると、この戦いの結末がわかります。悪魔は戦いに負け、戦場を離れ去りました。イエス様の断固とした態度によって、サタンは離れざるを得ませんでした。キリストの神のみことばに従う、その力によってそうするしかなかったのです。悪魔は、恥ずかしく不名誉に退きました。屈服しました。イエス様を動かすのを諦め、神の子と認めて退いたのです。悪魔は離れ去り、天使たちが来てイエス様に仕えたと聖書は記しています。しかし、新約聖書を見ると、イエス様はユダヤ人と律法学者や祭司たちに絶えず試されたと記録しています。

このようなサタン、悪魔がこの時代に、どのように動くと思いますか。使徒ペテロは手紙の中で、悪魔は今、吠えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。続けて、ペトロは「信仰にしっかり踏みとどまって悪魔に抵抗しなさい。」と言いました。ペトロ自身もイエス様の福音を伝えながら、悪魔の誘惑をたくさん受けました。自分だけではなく、信仰の兄弟たちも同じ苦しみ、すなわち悪魔の誘惑を受けることを知らせます。説教をまとめたいと思います。イエス様がなぜ誘惑を受けたのでしょうか。

 

参考 二ペト8. 身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。9. 信仰にしっかり踏みとどまって、悪魔に抵抗しなさい。あなたがたと信仰を同じくする兄弟たちも、この世で同じ苦しみに遭っているのです。それはあなたがたも知っているとおりです。>

神様の働きを始める際、この誘惑を克服することで、神の子として認められたのです。学校に志願した学生たちが受験して合格するように、私たちも生活でクリスチャンとして生きながら、このような誘惑を受ける

とき、勝たなければいけないのです。イエス様がまず、誘惑を受けた理由は、その後、誘惑を受ける人たちを助けるためであるとヘブライ人への手紙2章18節で言われています。「事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。」

四旬節、私たちは神様に正しく仕え、拝むことを礼拝と生活の中で行うべきです。イエス様はこのような私たちに仕えるためにこの地に来られました。どれほど、ありがたくて感謝なことでしょう。愛する信徒の皆さん、

イエス様を讃美いたしましょう。

十字架にはりつけられ、血を流すまで私たちを愛し、誘惑に勝たせて下さるイエス様に感謝しながら、四旬節を過ごしましょう。お祈りいたします。

 

 

<祈祷>

あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださると約束して下さった主よ、悪魔の誘惑をみことばで退けたイエス様を愛します。

イエス様だけを従い、生きて行こうと決心します。私たちが自ら誘惑に陥り、主を試すようなことをしないように、そして、主に正しく仕え拝みながら生きていく私たちにならせて下さい。

主イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン

<參考一コリ10:13>