2020年9月6日主日礼拝<差別は罪です>鄭然元牧師

大阪教会 主日礼拝 <2020年 9月6日>五旬節後第14主日 人権主日

說敎 鄭然元牧師 / 金光成長老

* 題目 : 차별은 죄를 짓는 것입니다.<차별은 죄입니다> 差別です

* 聖経 : 야고보서 21-11 ヤコブの手紙21-11  

 [新共同]

  1. わたしの兄弟たち、光にちた、わたしたちの主イエスキリストを信じながら、人を分け隔てしてはなりません。2. あなたがたの集まりに、金の指輪をはめた立派な身なりの人が入って、また、汚らしい服装の貧しい人も入ってるとします。3. その立派な身なりの人に特別に目を留めて、「あなたは、こちらの席にお掛けください」と言い、貧しい人には、「あなたは、そこに立っているか、わたしの足もとに座るかしていなさい」と言うなら、 4. あなたがたは、自分たちの中で差別をし、誤った考えに基づいて判を下したことになるのではありませんか。5. わたしの愛する兄弟たち、よく聞きなさい。神は世の貧しい人たちをあえて選んで、信仰に富ませ、御自身を愛する者に約束されたを、受けぐ者となさったではありませんか。
    6. だが、あなたがたは、貧しい人を辱めた。富んでいる者たちこそ、あなたがたをひどい目に遭わせ、裁判所へ引っ張って行くではありませんか。7. また彼らこそ、あなたがたに
    えられたあの尊い名を、冒しているではないですか。8. もしあなたがたが、聖書にって、「隣人を自分のように愛しなさい」という最も尊い律法を行しているのなら、それは結構なことです。9. しかし、人を分け隔てするなら、あなたがたは罪を犯すことになり、律法によって違犯者と定されます。10. 律法全体を守ったとしても、一つの点でおちどがあるなら、すべての点について有罪となるからです。11. 「姦淫するな」と言われた方は、「殺すな」とも言われました。そこで、たとえ姦淫はしなくても、人殺しをすれば、あなたは律法の違犯者になるのです。

<説教>

愛する信徒の皆さん一週間、元気にお過ごしでしょうか。

8月が過ぎ、9月の最初の主日を迎えました。9月第一主日は、在日大韓基督教会が定めた「総会人権主日」です。ある信徒が質問されました。「牧師任!子供主日、母の主日、伝道主日は他の国にもありますが、なぜ私たち総会は人権主日を守っていますか」。在日大韓基督教会が「人権主日」を定めて守る理由をよく知っている方もいますが、はっきり理解していない信徒もおられます。まず、総会がなぜ「人権主日」を定め共に祈るのか、その理由を申し上げます。

神が天地を創造するとき、宇宙と自然を造り、植物や動物を造られました。神にかたどって人を造り、美しいエデンの園で自由に生きるようにさせました。創世記で神は人をご自分にかたどって造ったことは、神が持のイメージ通りに造ったことであり、さらに神は自由意志を人に与えて下さいました。この言葉は、何かを自ら選択して判断できる能力を人に与えられたことでもあります。そして、人には人らしく生きられる権利を与えて下さったのです。人が人らしく生きられる権利を「人権」と言います。ところが、この人権が侵害される場合があります。「人権侵害」とはどのようなことなのでしょうか。

人権は誰にでも保障されるべきであり、国ごとに、憲法と法律によって保護されています。それでも未だに、現代社会では、人権と関連した多くの問題が起こります。かつては生まれた時から誰でも持つ権利は、生存権や自由権くらいだと考えられていました。しかし、人権の概念が拡張され、性別や人種などに関係なく、誰でも同じ待遇を受けるべきであるという平等の概念が広がっています。現代は、社会的弱者に対する特別な配慮や保護が人権の次元で保証される必要があると、多くの人が共感しています。特に、社会が発展し、利害関係の衝突が頻繁になり、人権問題はますます増え、その様子が複雑になって来ています。現代社会では、人権侵害の問題を深刻に捉えています。実際に人権が無視される場合が多いのと、その上人権の範囲が益々広がっているからです。従って、今は単にある人の権利を奪うことだけでなく、すべての人に人らしく生きられる条件が十分に備えられないと、人権侵害になります。

人権は、人であれば誰でも当然持つべき基本的な権利を指します。生まれながら自然に与えられる権利です。それで、人権は、他人が勝手に奪ったり無視してはならない権利です。私たちの社会には、肌色、性別、身体的特徴などによって、不当な扱いを受けたり、差別される場合があります。肌色によって優越感と劣等感を持たせる人種に対する差別、女性に対する差別、障害者差別、さらには韓国社会では、脱北者に対する偏見と差別のため、人権問題が浮上しています。日本はどの国の人なのか、先祖がどのような職だったのかと見定めるなど、民族差別がある国です

私たちは、人権問題と差別問題と言えば、真っ先に思い浮かぶものがあります。人類の時間から始まった男性と女性の役割に関する差別です。人種の差別も考えられます。無論、世界の歴史の中で探ると、さまざまな差別がありますが、性差別や人種差別は、その代表的なものとなるでしょう。

人種差別は黒人差別と有色人種差別を取り上げられますが、その差別の相手は白人です。黒人差別は、奴隷差別と深い関わりがあります。15世紀にポルトガルがアフリカの西海岸で最初の奴隷貿易を始め、アフリカ大陸全体を奴隷市場化しました。イギリス帝国に属する国々は、黒人奴隷を当然のことと受け入れ、奴隷としてこき使いました。そんな中、19世紀、イギリスでは、聖公会信徒であり、国会議員だった「ウィリアム・ウィルバーフォース」とメソジスト派の創始者でプロテスタント教会のジョン・ウェスレー牧師の支持に支えられ、奴隷制度の廃止を進めました。大きな反対が起こりましたが、イギリスはクリスチャンの力によって、1807年の奴隷貿易が廃止され、1833年にはイギリス帝国全体で奴隷制度がなくなりました。

欧州諸国も1840年代〜1850年代にほとんど奴隷制度をなくしました。北米大陸、今日のアメリカに初めて黒人が入ってきたのは1619年、オランダ国籍の船がバージニア植民地の地域に20人ほどの黒人を乗せてきたのが始まりだそうです。アメリカでの奴隷制度廃止の議論は、資本主義が発達した北部と農業中心の南部との間に深刻な地域感情をもたらしました。そして、最終的に南北戦争が起こり、社会と教会も分裂しました。キリスト教原理主義の伝統的な南部プロテスタント信徒は、聖書を文字通りに解釈して奴隷制に賛成しました。しかし、逆に進歩主義神学の伝統を持つ北部プロテスタント信徒は、聖書を歴史的な状況に合わせて再解釈する、状況的解釈を行い、奴隷制度を反対しました。

その最中、南北戦争は北部の勝利で終わりました。1863年に公布された奴隷解放宣言は1865年の終戦と同時に発効されました。そして明文上では、アメリカ内の黒人は解放と自由を獲得しました。奴隷解放は宣言されましたが、黒人の人権は無視されたまま、年月が過ぎました。地域によって黒人に対する人種差別は深刻でした。奴隷解放が宣言されてから100年が過ぎた1960年代に起こった黒人解放運動によって、人種差別法であるジム・クロウ法が撤廃されました。しかし、全アメリカ国民の心から湧き出る差別がなくなったわけではありませんでした。

アメリカの国内では人種差別問題が続いています。信徒の皆さんもニュースで見られたように、6月25日、米国の北部に属するミネソタ州ミネアポリスで事件が発生しました。アフリカ系アメリカ人であるジョージ・ペリーフロイド(George Perry Floyd)が警察に逮捕される途中、窒息死した事件が起きました。数日間、白人警官による黒人容疑者が銃で撃たれ重傷を負ったことや死亡したこともありました。アメリカの大統領選挙にこの一連の事件が影響を及ぼすだろうと評論家は言っています。

このように、外部からのある条件で差別されるのを防ぐため、世界的に始めたのがあります。二度の世界大戦を経験しながら、多くの人々が犠牲になると人権を保護する必要があるとの考えが世界的に広がりました。第2次世界大戦が終わった後、1948年には国際連合(UN)は「世界人権宣言」を宣布し、人権を人類が追求すべき普遍的な権利として採択しました。世界が自由と平等を追求し、定義を維持するためには、人の生活の土台に人間の尊厳が不可欠だと強調しました。

人権は、信徒の皆さんと私と全世界の人々が平等に保障されるべき権利であります。ところが、この人権が侵害されずに確実に保障されるためには、多くの努力が必要で犠牲が伴うことを、我々は歴史から学んでいます。なぜ教会が人の基本的な権利に関心を持ち、犠牲を払いながら努力する必要がありますか。それは、神にかたどって造られた人が人として認められ、生きなければならないからです。今日、私たちの教会は、人権に対して、どのような考えを持ち、信仰的な実践をしているか顧みる必要があります。

神のみことばである聖書は、今日私達に強力なメッセージを投げかけます。新約ヤコブの手紙を記録した人物は、イエス様の兄弟である「ヤコブ」で、エルサレムの教会の最高指導者でした。「ヤコブの手紙」は、特定の教会や人に送った手紙ではありません。すべての信徒、すべての教会が知っておくべきイエス様のメッセージを伝えているのです。ヤコブの手紙で「差別は罪」とまず宣言しています。

1. わたしの兄弟たち、光にちた、わたしたちの主イエスキリストを信じながら、人を分け隔てしてはなりません。4. あなたがたは、自分たちの中で差別をし、誤った考えに基づいて判を下したことになるのではありませんか。

 

今日の本文の例えは、今日、私たちの生活や教会内でも起こりうることです。ユージン・ピーターソン博士の翻訳「メッセージ」ではこう言っています。ある人が高価なスーツ姿であなたの教会に入って来て、続いてぼろきれをまとったホームレスが入ったと仮定しましょう。あなたがスーツを着た人には「先生、ここに座って下さい。ここが一番良い席です。」と言い、ぼろきれをまとったホームレスはまったく無視するか、あるいは「後ろの席に座ってほしいです。」と言うならば、あなたは神の子たちを差別し、誤った考えで判断を下す、信頼できない人ではありませんか。胸がドキッとするたとえです!このような場合を私たちは多く経験しているし、気づかないうちに、このような過ちを犯しているのも事実です。目に見えるもので判断を下し、何気なく差別をしているのが、自分自身の姿なのです。

それだけではありません。男女、年齢、学歴、財産、さらには国籍問題、民族問題、在日同胞社会では、民団、朝鮮総連、1世、ニューカマーなど様々な差別が存在しています。先ほど歴史の中で、差別廃止のため教会が先頭に立ったことを伝えました。黒人の奴隷生活を当然だと思っていたイギリスの社会に問題を提起し、直していくことをウェスレー牧師が行いました。アメリカでは、マーティン・ルーサー・キング牧師と教会が黒人解放運動を積極的に参加することによって、完全ではなかったが、少しずつ改善されていきました。

イエス様の弟である「ヤコブ」は、イエス様の生活と精神を誰よりもよく知っていました。そして、教会が持つべき最も本質的な考えを伝えているのです。

8. もしあなたがたが、聖書にって、「隣人を自分のように愛しなさい」という最も尊い律法を行しているのなら、それは結構なことです。9. しかし、人を分け隔てするなら、あなたがたは罪を犯すことになり、律法によって違犯者と定されます。

イエス様が下さった最高の掟である「隣人を自分のように愛しなさい。」を守ることは差別社会を許さない信徒と教会の本分を説明しているみことばです。反面、人を分け隔てるのは罪を犯すことになると強く言っています。先進国、先進市民、成熟した教会と成熟した信徒はどのような姿を持つべきでしょうか。どんな人も差別せず、人の権利と地位と資格を同等に考え、尊重すべきです。

今から97年前、日本の関東地域である東京と横浜に壊滅的な大地震が起きました。「関東大震災」です。この地震で民心が非常に悪くなり、地震が起き、火事が発生しました。家が壊れ、燃え、なくなりました。飲む水すら手に入りにくくなりました。この時、誰かの口から火をつけて井戸に毒を入れたのは朝鮮人だ!という偽ニュースが出始めました。何の罪もなく、日本人と同じ地震の被害を被ったあなた、朝鮮から日本に来た私たちの先祖6000人余りが殺害されました。今では想像すらできないことが起こりました。ただ朝鮮人という理由一つで。

在日大韓基督教会は、今日も日本の平和と繁栄を祈っています。そして、日本がアジアは無論、世界に平和をなすこと、人権を保障する素晴らしい国と民族になりますよう祈願しています。過ぎた9月1日、信徒の皆さんに送った早天の黙想でお話ししました。イスラエルの南ユダの国力が弱まり、大国バビロンによってエルサレムが破壊され、民は捕虜になってバビロンの川辺で奴隷生活をしていました。捕虜になった民に主は「この地が繁栄し、平安になるよう祈りなさい」と命じました。このみことばはこの地、日本に住む私たちに与えて下さるみことばでもあります。

人権主日は人であれば誰でも持つ平等な権利を認め、維持するための努力を約束し、主に祈る主日です。今日は4月大阪敎会で洗礼を授けたGospel歌手である新井深絵が「サララ〜生きよう〜」という曲を演奏して下さいます。