2020年8月30日主日礼拝< 神に私たちの希望を!>鄭然元牧師

大阪教会 主日礼拝 <2020年 8月30日>五旬節後第13主日

説教 鄭然元牧師 / 通訳 金光成長老

 

* 題目 : 하나님께 우리의 소망을 !  神に私たちの希望を!

* 聖経 : 디모데전서 4 6-10 テモテへの手紙一4章6節-10節  

 

<新共同訳>

6. これらのことを兄弟たちに教えるならば、あなたは、信仰の言葉とあなたが守ってきた善い教えの言葉とに養われて、キリスト․イエスの立派な奉仕者になります。7. 俗悪で愚にもつかない作り話は退けなさい。信心のために自分を鍛えなさい。8. 体の鍛練も多少は役に立ちますが、信心は、この世と来るべき世での命を約束するので、すべての点で益となるからです。9. この言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。10. わたしたちが労苦し、奮闘するのは、すべての人、特に信じる人々の救い主である生ける神に希望を置いているからです。

 

<説教>

愛する信徒の皆さん、一週間も元気に過ごされましたか。

また、数週間前から、カメラ越しでご挨拶をしております。信徒の皆さんの健康を祈ります。今年は災害も多く、様々な面での変化が続いています。昨年末から始まった新型コロナウイルスの拡散により、世界が苦しんでいます。地域によっては集中豪雨や台風が襲い、被災者がたくさん出ました。

先週の金曜日(28日)安部普三、日本の首相が健康上の理由で8年近い在任期間の記録を残してから、辞任を宣言しました。世界的には、今年8月に開催予定だった東京オリンピックの中止が非常に衝撃的なニュースの一つでした。世界中の人々が待っていたスポーツの祭典ですが、コロナ禍により、延期となりました。恐らく最も大きく失望している人たちは、オリンピック競技に出場するため、数年間技量を磨きながら準備して来た選手たちだと思います。

オリンピックは1年延期となりましたが、世界的な選手の中、何人かは引退を宣言しました。

その理由を聞いてみると、自分たちの体力や精神力でさらに1年を維持することが難しいからだと言うのを見ました。私たちは、簡単に考えます。「いつもやっている運動なのに1年延びたから、続けられないなんてどういうことなんだ」と言ってしまいがちです。しかし、選手の立場では、そう簡単ではなさそうです。又、オリンピック出場の選手だけではないです。

 

甲子園で毎年開催される高校野球の試合は、日本全国の4000チームの中、地域で選抜された学校が出場をします。高校野球選手たちもこの大会に参加をするため、厳しくて辛い訓練をしながら準備をしていたのに、突然、大会が中止されました。このニュースを聞いた選手たちが涙を流しさびしがる姿をニュースで見ました。運動選手の特徴は、どの種目でも、その種目に合う最も効率的なトレーニングをすることになります。そして、十全に慣れれば、良い結果をもたらすことになるでしょう。慣れるまで選手たちは、反復訓練をします。同じものを数百回、数千回繰り返し練習をします。

 

今日のみことばを見ると、使徒パウロは、キリストの立派な奉仕者になることについて話しています。かなりの訓練が必要であり、この訓練の結果として成熟した信仰人と指導者になれることを教えています。6節では、あなたは、信仰の言葉とあなたが守ってきた善いえの言葉とに養われて、キリストイエスの立派な奉仕者になりますと言っています。イエス様の教えと神の言葉を信じて従う人たちに教えなさいとのみことばです。そのようにすることで、イエス様の立派な奉仕者になると教えています。

パウロは、信仰の言葉と良い教えの言葉とに養われたと称賛しています。誰をそんなに褒めているのでしょうか?当然テモテです。使徒パウロが心血を注いで福音を伝え、宣教活動でエフェソ教会を建てました。ところが、エフェソ教会の内部の状況が困難になりました。使徒パウロは、テモテをエフェソにとどまらせ、牧会活動をさせました。

若いテモテを大変なエフェソ教会で牧会させた使徒パウロは、多くの憂慮と心配をしていました。度々聞こえてくる知らせははエフェソ教会の一部信徒たちが、パウロが二度とエフェソに来られないという噂と共に、教会が困難に陥っているとのことでした。それで、パウロはテモテに手紙を送り、激励をしています。テモテはは彼の師であり、信仰の父といわれるほどの偉大な使徒パウロの教えを受け、立派なキリストの奉仕者になりました。

しかし残念ながら、手紙を出したときパウロは捕らえられ、獄中でした。使徒パウロ自身も困難な状況だったのにもかかわらず、エフェソ教会と牧会者テモテが心配だったのです。そのような状況で、使徒パウロが伝えるメッセージは、信仰を装って真実を欺く俗悪で愚にもつかない作り話は退けなさいと言っています。この言葉はテモテではなく、エフェソ教会の信徒たちに聞かせている内容なのです。

今日を生きる私たちにも、このような挑戦は、いつもあります。このごろは「真実ではない偽ニュース」が市民社会に悪魔のような役割を果たしています。これは明らかに悪であります。先週の主日の説教でも申し上げました。「悪人」が別にあるのではない!人間の中に潜んでいる悪の根がある瞬間、その悪を噴き出すと、邪悪な人になり、悪の支配下の社会になるのです。真実ではないことを真実であるかのように騙します。自分の利益や陣営に役立つと思えば、無条件に偽ニュースを作り、国民の心に動揺をもたらします。

信徒の皆さんが知っている通りに、ギリシャ人は神話を信じ、哲学に溺れていました。それで、愚にもつかない作り話に関心があった人たちでした。エフェソ2章2節 この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。

エフェソ教会の信徒の中でも、世の風潮に応じ、悪霊どもの支配下で不従順に生きる人々がいるとパウロは言います。今日の本文の前、テモテ4章1節-5節にそのような内容が記されています。教会内に聖霊の働きとしつつ、偽預言者が現われると言いました。そして信仰から脱落する背教行為が起こるとしました。信仰から脱落する行動をする理由を、使徒パウロはテモテに明確に告げています。「惑わす霊と悪霊どもの教えに心を奪われ、信仰から脱落する」ことだとしました。

もう一つ、偽りを語る者たちは、自らの偽善によって、「自分の良心に焼き印を押された人」になったとしました。この言葉は、道徳的で、精神的な誠実さを失った人たちであるのを意味します。このように、教会の内外で起こることに視線を奪われず、心を置かず、信心のために、自分を鍛えなさいと7節で言っておられるのです。「鍛えなさい」(鍛錬)という言葉は、、火に焼いて打って鍛える。難しい訓練や修養を積んで強く鍛えることです。練り馴染むという意味も持っています。信心で自分を鍛えなさい!訓練で技術を得て、体に馴染むまでに鍛えなさいと話しているのです。

この部分をユージン・ピーターソン博士の翻訳では、神と共に日々訓練しなさい!霊的な無気力は絶対禁物です。体育館で体を鍛えることも有益ですが、神に訓練される生き方はもっと有益です。そのような人生は、現在はもちろん、永遠にあなたを元気にしてくれます。体力のために、フィットネスクラブやジムで運動するのも有益です。しかし、神と共に訓練を受ける人生がより有益ですと訳しています。ここで一つ、注意を払うべき言葉があります。それは「霊的な無気力」です。

コロナ時代によく聞く言葉ではありませんか。コロナウイルスに感染した人々の初期の特徴が「無気力」だそうです。何をしても、だるくて働く気と気力がなくなるらしいです。信仰生活をする私たちに霊的な無気力現象が起こるのであれば、それは非常に危険です。「無気力化」されていく社会的現象の中で、私たちの信仰までも無気力になってはならないです。牧師である私も、コロナウイルス禍で、今私は何をしているのか。という問いに悶えるときが多いです。そして自ら無気力になってないかと省みています。

使徒パウロは、エフェソ教会の厳しい現実を前にして、テモテに力強い言葉を送ります。

「わたしたちが労苦し、奮闘するのは、すべての人、特に信じる人々の救い主である生ける神に希望を置いているからです」と言いました。愛する信徒の皆さん、この映像をご覧になっている皆さん、今、この時間に皆さんはどのような希望を持っておられますか。そして、その希望が叶うと思われますか。

私は牧会をしながら、毎年新年初主日は、その年の主題の聖書を選び、説教をします。ところが、今年はそれをしませんでした。一コリ13章13節のみことばを選び、「信仰、希望、愛」という題目の説教を皆さんと分かち合いました。2020年、この年の始まりを深い信仰を持ち、愛で実践し、大きな希望を叶えるために励む年にしましょうと説教しました。

過ぎた6月28日主日にも「苦痛の中での望みを」という題目で「ダビデの悔い改めの詩」を用いり、説教しました。私たちは生活の現場で一欠片の光もない絶望、その絶望の中でも主に希望を置くように話したいのです。姉妹教会である釜山楊亭教会のビョン・スンオク勧士任は産婦人科医です。夫、ベ・キサン長老任も医師です。ビョン・スンオク勧士任は昨年1月、私たちの教会との姉妹提携30周年記念式にも参加をして下さいました。勧士任は非常に勤勉な方です。読書をした本の中でとても大事だと思う文章と自分の人生を照らし合わせて書いた文を毎日送ってくださいます。

クァク・ヒェワォン教授の本『尊厳な生活、尊厳な死』を送りながら、「鄭牧師任、この本は重いです」と言葉を添えました。約500ページが超える分量の本でした。しかし、それは分量が多く、重い意味ではありませんでした。本の内容が重くて難しい意味でした。クァク・ヒェウォン教授は、梨花女子大学を卒業し、長老会神学大学とドイツのテュービンゲン大学でユルゲン・モルトマン(J. Moltmann)教授の指導を受けた組織神学者です。キリスト教信仰観に照らし、「人間の死と生の問題を扱う本」でした。医師であるビョン勧士任が一緒に送って下さった文を、少し長く引用するようですが、内容があまりにも意味があるので、紹介いたします。

「医学的に手の施しがない時、もうこれ以上することがないとよく言うが、実際にできることはいくらでもある。まず、私たちは、家族や友人として、患者のそばを守りながら、彼に希望を与えられる。もっと長く生きられるとの偽希望を持たせる希望の拷問でなく、死という限界状況でも夢を見ることができる逆説的な希望、我々の生活はまだ美しく、目的があり、祝福である希望なのだ。更に全うした生き方に対する希望、痛みから脱皮できる希望、生活で背負わざるを得ない負担と義務から道徳的な自責なしに逃れることができる希望、死を超える希望を与えられる。私たちは、患者の日常を助け、心が温まる話を聞かせたり、好きな歌を歌ってあげたり、良い文句や恵まれる聖句を読んであげたり、平和と安息の祈りを捧げられる。特に患者と共に喜んだことを想起し、患者の臨終後もいつも覚えて愛することを確信させられる。患者の生の中で意味深かったことを互いに確かめながら、患者の虚無感を振り払って意味ある生き方であったのを再確認させられる。」との内容です。

愛する信徒の皆さん!今日、私たちの生活は、コロナ感染という不安に覆われています。そして伝染病による死の陰が広がり、蔓延っています。そしてその渦中、私たちは「霊的な無気力」状態を経験しています。私たちは、再び主のみことばに戻り、この無気力や不安や恐怖を追っ払いましょう。私たちがこの世に生きているが、物質や名誉や安価な恵みを言いながら、偽ニュースを作り出すことに心を奪われてはいけません。絶望するしかない状況だとしても、人生の完成のための希望、望みが必要です。

今日申し上げた内容をもう一度整理してみましょう!私たちは、信仰の言葉と良い教えの言葉とに養われて、キリストの中で育った人です。俗悪な作り話、偽りの噂を退けましょう。今、世界が回っているのを見て、霊的な無気力状態に陥ってはならないのです。そして最後に、私たちの健康のために、みことばで鍛えましょう!主に私たちの希望を置き、生きて行きましょう!全能なる主が私たちの希望を知っており、叶えて下さいます。

 

<祈り>

全能なる主よ、今日頂いたみことば通りに私たちの希望を主に置きます。この厳しい時代を共に生きていく私たちを信仰と希望と愛で支え合って生きるようにして下さい。私たちの信仰が揺らがないように、世の俗悪な話や偽りの話に心が奪われないように聖霊様が見守って下さい。

私たちの希望である主イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン