2020/8/9平和統一主日<平和にする福音>鄭然元牧師

大阪教会 主日礼拝 <2020年 8月9日>総会平和統一主日・五旬節後第10主日

說敎 鄭然元牧師 / 金光成長老

* 題目 : 화평하게 하는 복음 平和にする福音

* : 에베소서 2 13-19 エフェソ213-19

 

<日/新共同訳>

13. しかしあなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリストイエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。14. に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取りし、15. 規則と戒律ずくめの律法を棄されました。こうしてキリストは、方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を現し、16. 十字架を通して、者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。17. キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人にも、平和の福音を告げ知らせられました。18. それで、このキリストによってわたしたち方の者が一つのに結ばれて、御父に近づくことができるのです。19. って、あなたがたはもはや、外人でも寄留者でもなく、聖なる民にする者、神の家族であり、

信徒の皆さん一週間元気に過ごされましたか!今日もこのように皆さんと一緒に礼拝を捧げることができ、嬉しいです。1945年、太平洋戦争が終わり、韓民族は日本帝国主義から解放されました。

8月15日を韓国では光復節として記念しています。今年は光復75周年になる意味のある年です。祖国の解放75年は、まさに南と北の分断75周年でもあります。韓半島が分断されてから75年という長い年月の間苦しんでいます。

特に今日は在日大韓基督教総会が定めた「平和統一主日」です。私たちは、今日の分断された祖国の平和統一を祈願しながら、今日の主日を過ごします。海外に住んでいる我々の在日大韓基督教会が、この地にある日本教会と世界教会と連帯しながら、韓半島の平和と統一を祈願し、共に祈る主日です。

今日、私たちが共に読んだみことばは、和解に関する力強いみことばです。私はこのみことばを読むたびに感動します。このみことばで何度も説教をしました。説教を準備する中で、主からいただく感動が異なります。分断の痛みの中で葛藤している南と北の和解のためのみことばとしても、意味があります。又私たちの民族と日本との関係を考える時にも、このみことばは励みになります。

使徒パウロは、本文のみことばを通して、人類の救いに関する貴重なメッセージを与えています。神に造られた人間が、創造の秩序と主との関係を壊しました。人間に罪が入り、死の道を歩くしかない存在でした。その罪で主との間に高い塀を作り、自ら神のもとへ行くのを拒否しました。このような人間のために神がした行動は、自分のみ子を人間世界に送ることでした。イエス様は御父である神と被造物である人間の間に和解者として出たのです。和解者であるイエス・キリストの十字架の死という事件を通して、神と人間は平和を取り戻せました。

パウロは、本人が設立した初代教会の中で、ユダヤ人と異邦人の間に壁があるのを知っていました。彼は教会の中で生じているユダヤ人と異邦人との葛藤解消のために、イエス様の十字架で可能になることを教えています。イスラエルは自分らを「契約の子孫」であると考え、異邦人を差別していました。異邦人はイスラエルの民に与えられた神からの「約束の歴史」を知らずにいました。明らかなのは、ユダヤ人や異邦人がキリストの外にいるのであれば、関係せずに済むはずだったのに、イエス・キリストを信じる信仰によって救いの共同体に入り、一緒になったことです。

パウロが強調して言うのは、メシアであるイエス様が神と人類の間と、ユダヤ人と異邦人の間を和解させてくださったことです。説教を準備しながらユージン・ピーターソンの翻訳を読んでいる最中、「距離を置く」という言葉が出てくることを見ました。最近、私たちは「距離を置く」ことに大変気を使っています。真実で正しい関係では、距離を置く必要がないでしょう。互いにぎこちないときに距離を置きます。一昨日まで親しくしていた人が、突然距離を置き始めています。理由は何でしょうか?避けたいからなのです。考えてみれば、アダムの心に罪が入ってきてから、アダムは主を避け、距離置くようになりました。その時、主がどのようにしましたか。「アダム、アダム、どこにいるのか」と探されました。人と人との間も、民族と民族の間も、国と国の間でも仲良くなければ、距離を置くのではないでしょうか。

わずか2年前、2018年には、南北韓の平和プロセスが活発に行われました。平昌冬季オリンピックの後、4月27日に板門店(はんもんてん)の平和の家で、南北の首脳が会いました。北朝鮮の最高指導者が南韓に降りてきました。そして1ヵ月後、韓国の大統領が北の板門店の統一閣で両首脳が会いました。また、6月12日は、北朝鮮の最高指導者と米国の大統領が、シンガポールで会いました。同年9月18日〜20日まで文在寅大統領は、北朝鮮を訪問して首脳会談をしました。韓国の大統領が平壌で北朝鮮の住民の前で演説をしました。両首脳は、8万人を超える住民の拍手を受けました。両首脳は白頭山(はくとうざん)まで一緒に登り、平和の雰囲気が盛り上がりました。

しかし、2年が経った今年6月16日、開城にあった南北共同連絡事務所の建物が爆破される光景を見せつけられた私たちの胸はどうでしたか。南北の平和プロセスの門が閉じられるのではないか。統一は益々遼遠になったのではとの疑いを持ったのも事実です。会うときは和解について話せますが、背くと、このように窮屈な関係になることがわかります。日本と韓国との関係も互いに背き、顔をあわせずに対置しています。

愛する信徒の皆さん!私たち全員は、このような神様の恵みとイエス様の愛によって救われ、救いを得た人たちです。罪により死の道を歩くしかなかった人類の救い、平和のための贖いの生け贄になったイエス様に感謝を捧げます。主が和解のプロセス(process)の中で見せるのは、主の限りない愛です。主の愛は、憐れみと義が一緒にあるものです。今日、私たちの生活の場で真の平和が享受できない理由は、平和を維持する土台が揺れるからです。

南北の関係においても、お互いに自分の立場だけを考えるので問題が解決されないのです。日韓の関係も同様です。自国中心的な考えで、最終的には相手の立場を配慮するどころか相手を踏みつけて対話を拒否するようになるのと同じです。先週の主日、私は「カール・ポール・ラインホルド・ニーバー(Karl Paul Reinhold Niebuhr)」の祈りを紹介しました。「神様、変えられないものを落ち着いて受け入れる恵み、変えるべきものを変える勇気、 そして区別する知恵を与えてください。」という祈りでした。

「ラインホルド・ニーバー」教授と深い関連がある人を紹介したいと思います。「ディートリッヒ・ボンヘッファー」(ドイツ語:Dietrich Bonhoeffer、1906年2月4日〜1945年4月9日)牧師です。信徒の皆さんもよくご存知の人物でしょう。ボンヘッファーの家族は、祖父はプロテスタントであるルター教会の牧師で、父カールヘッファーは精神科医でした。テュービンゲン大学とベルリン大学を卒業し、21世紀の最高の神学者である「カール・バルト」教授から最高の論文と賞賛されました。 25歳に牧師按手を受け、米国に渡り、「ニューヨークユニオン神学校」で留学をしました。当時、米国は黒人に対する差別が激しかったです。それを見たヘッファー牧師は、民衆と共にするイエス様を探すことに力を尽くしました。ドイツ人牧師であり、若い神学者は、米国の教授という保証された生活を捨て、ナチスヒトラーのせいで闇に覆われていく母国ドイツに戻ります。

当時、ヒトラーがドイツ人の優越性を主張することについて、ドイツ教会は、支持し始めました。後には主がヒトラーをドイツの経済、政治を救うために送ってくださった指導者であると偶像化し始めました。このとき、ヘッファーはラジオ放送で、ヒトラーの誤った統治権を批判し、最終的にはナチスに憎まれ、逮捕されました。「ラインホルド・ニーバー」教授は、ドイツに戻り、反ヒトラー運動に加担して苦労している、ボンヘッファー牧師のため、ニューヨークユニオン神学校教授の席を取っておき、招待状を送りました。

ボンヘッファー牧師はニーバー教授への礼状にこのような文を書いて送ります。「私は時間を割いて、私の国が直面している状況を思い、私に向けられた主のみ旨をわからせて下さいと祈りました。米国に渡ったのは私の失策でした。私は、我が民族史の大変な時期をドイツのクリスチャンたちと共に経験しなければなりません。」と丁重に断りました。米国からドイツに帰ってきた「ボンヘッファー」は、ヒトラー暗殺計画に加担します。ボンヘッファー牧師は、「私たちが今感じることよりも、私がより深く信じることは、私たちが非常に深い谷を通らなければいけないことです。その後、私たちは他の岸へと上がれるでしょう。」と言います。

ボンヘッファー牧師は、1943年3月に逮捕され、刑務所に閉じ込まれ、最終的にはフロッセンビュルク強制収容所で2年間苦しまれました。ナチス敗北3週間前、1945年4月9日、39歳でヒトラー暗殺計画に加担した理由で絞首刑に処されました。 「強制収容所の担当医師/フィッシャーホイールストロング」という医師が後に、このような文を残します。 「収容所の部屋の半分開かれたドアを通して、私はボンヘッファー牧師が囚衣を脱ぐ前に床にひざまずき、自分の神、主に真心で祈っている姿を見た。私はこの美しい人の祈りの姿を見て深い感銘を受けました。あまりにも敬虔で、神が彼の祈りを聞いてくださったと確信できるほどだった。彼は死刑場で再び短い祈りを捧げた後、勇ましく落ち着いて階段を踏み、絞首台へ上がった。そして、数秒後に死んだ。過去50年間、医師として働いて、あれほど敬虔に死を迎えた人を見たことがない。」と言いました。

「ボンヘッファー」牧師は論文として「交わりの生活」、「行為と存在」を残しました。 1937年「主に従う」という本とボンヘッファー牧師がこの世を去った後、「獄中書簡」が刊行されました。ボンヘッファー牧師は、イエス様に対する自分の信仰告白を説明しながら、ドイツ教会と信徒の信仰に大きな問題を投げかけました。 「安価な恵みは、私たち教会の致命的な敵です。今日、私たちの戦いは、高価な恵みを得るための戦いです。安価な恵み、薄っぺらな恵み、安価な許し、安価な聖晩餐から脱するべきです。」と強調しました。ボンヘッファー牧師の安価な恵みとは、キリストを見倣うとの真の行為がない信仰で、口だけ動く恵みに対する指摘です。 「十字架のない恵み、生きておられるイエス様と共にしない信仰は、イエス・キリストを無視するものである。」と言いました。

「ボンヘッファー」牧師は死ぬ前に、婚約者との最後の手紙に一編の詩を送りました。その後、ドイツの教会は、この詩を基に讃美歌を作りました。讃美のタイトルは「善き力にわれかこまれ」です。実は私、偶然YouTubeの讃美を聞く中で「ボンヘッファー」牧師の詩だとわかり、関心を持つようになりました。とても感動的な歌詞と良い曲でした。ドイツで、米国はもちろん、最近、韓国でも歌われ始めたドイツの讃美歌ですが、あまりにも恵み溢れるので、金昭延師母任に讃美の願いをし、快諾して下さいました。今日金昭延師母任が歌われる「ボンヘッファー」牧師の詩で作曲された讃美を聞いてみましょう。そして、私たちは、この平和統一主日に私たちの信仰を振り返ってみましょう。

イエス・キリストを死によって成し遂げられた平和を見ながら、この地で実現できるように努力し行動しましょう。この平和が韓国と北朝鮮は勿論、韓日両国の間にも平和が成し遂げられるように祈りましょう。

では、讃美で、恵みを分かち合いたいと思います。