2020/8/2主日礼拝<心に広い道を作る祈り>

大阪教会 主日礼拝 <202082日>五旬節後第9主日

說敎 鄭然元牧師 / 通訳 金光成長老

 * 題目 : 마음에 큰 길을 만드는 기도 

* 聖経 : 시편84 4-8 詩編845-9

 

<日/新共同>

5. いかに幸いなことでしょう/あなたの家に住むことができるなら/まして、あなたを美することができるなら。〔セラ〕 6. いかに幸いなことでしょう/あなたによって勇を出し/心にい道を見ている人は。7. 嘆きの谷を通るときも、そこを泉とするでしょう。雨も降り、祝福で覆ってくれるでしょう。8. 彼らはいよいよ力をして進み/ついに、シオンで神にまみえるでしょう。9. 万軍の神、主よ、わたしの祈りを聞いてください。ヤコブの神よ、耳を傾けてください。〔セラ〕

<説教>

信徒の皆さん、お元気でしたか。

日本国内でコロナウイルス感染患者が毎日増えているニュースを見ながら、一週間を過ごしました。国民は全員、不安の中で過ごしています。皆さんも私も同じです!先週の説教で、今は、私たちがコントロールできない不可抗力的な状況であると話しました。

信徒の皆さんも同じだと思うのですが、私は祈りながら一週間を過ごしたとき、ある質問が心の中から離れませんでした。今、私にできることは何だろうかとのことです。牧師は、教会に仕えられ、信徒たちと共に捧げる礼拝を準備し、信徒を世話する役割があるのに、今私は何をしているのか。自分に問いをかけます。牧師がすべきこと、信徒たちと対面できず牧会の活動が極めて制限されています。その中でも牧師ができること、しなければならないことを確認してみました。それは他でもなく、祈ることです。

今日、私たちクリスチャンにとって、最も重要で模範的な祈りの文は一体何でしょうか。聖書にも多くの祈りの文が出ています。その中でも最も重要なのは、弟子たちがイエス様に祈りを教えてもらいたいと願ったとき、教えてくださった「主の祈り」だと思います。私たちの信仰の礎になる重要な祈りです。

全世界のクリスチャンが良く暗唱する祈りの文が詩編23編です。皆さんもよくご存じのダビデの祈りです。

1. 主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
2.
主はわたしを草の原に休ませ/憩いの水のほとりに伴い
6.
命のある限り/みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしはり/生涯、そこにとどまるであろう。

一つ質問をいたします。信徒の皆さんは、主に捧げる自分の祈りを書いたことがありますか?皆さんの中には祈りを生活化し、自分の祈りを書いておく方がいらっしゃるでしょう。しかし、そのような場合は希です。声を出して主に祈りを捧げることに慣れすぎているからです。今日、私はある神学者の祈りの一部を紹介いたします。<カール・ポール・ラインホルド・ニーバー<Karl Paul Reinhold Niebuhr、1892年6月21日〜1971年6月1日>は、プロテスタント神学者であり、キリスト教の倫理学者として、キリスト教の信仰を現実的な現代政治と外交に結びつけたキリスト教現実主義で有名です。

*参考:ニーバーの本(The Essential Reinhold Niebuhr: Selected Essays and Address)とその娘(エリザベス・シフトンElisabeth Sifton)の本(The Serenity Prayer: Faith and Politics in Times of Peace and War)には以下のような祈りの文が出ています。

神様、変えられないものを落ち着いて受け入れる恵み、変えるべきものを変える勇気、 そして区別する知恵を与えてください。

祈りについて、信徒たちの考えが少し異なる部分もあります。人間の生活の中で生じるすべての問題に対し、信仰的な姿勢でする第一歩は、祈ることです。クリスチャンの最も効果的な信仰の要求は、主に祈ることです。何があっても何をされても、神への祈りはできます。個人的な生活でも、共同体でも良い結果のために祈りに励みます。使徒ヤコブは、祈りの結果について、このようなみことばを残しています。ヤコブ5章17. エリヤは、わたしたちと同じような人間でしたが、雨が降らないようにと熱心に祈ったところ、三年半にわたって地上に雨が降りませんでした。18. しかし、再び祈ったところ、天から雨が降り、地は実をみのらせました。

私たちも祈るたびに、このような結果が出ればどんなにいいかとも思えるでしょう。今日、全世界を襲っているこの苦難を考えれば、祈りを捧げ、その結果がすぐに現れたらどれほど良いでしょうか!しかし、このような結果が出ないとしても、やはり信徒たちのすべきことは、祈りです。先に紹介したように、ラインホルド・ニーバー教授の祈りを再度考えてみましょう!「神様、変えられないものを落ち着いて受け入れる恵みを与えて下さい。」

自分の力で変化できないことに対する人間の限界とそれを受け入れる際に、心の葛藤なしに受容できる落ち着きを与えて下さいと祈るのです。時には私たちは信仰という名分で正しい判断を下せない場合があります。明らかなことはあります。私たちが変えられない、受け入れざるを得ないことの一つが、過ぎ去った過去のことです。多くの人々が、過ぎ去ったことを後悔しながら生きていきます。結局、この過去を受け入れられないことにより、今日、現在の挑戦に耐えられないのも事実です。過去の歴史的な出来事にも、それを受け入れられないため、歴史歪曲という言葉があるのです。

老夫婦が出演したあるTV放送を見ました。お二人と家族の生活を見せる番組でした。特に60年以上一緒に暮らして来た老夫婦の生活の中で、おばあさんが幸せを感じ始めたのは、「私があの人の考えを変えようとするのを諦めたら、楽になった。」との言葉でした。人間の変化も容易ではありません。

もう一つは、「変えるべきものを変える勇気」が必要です。人が仕事をする際に、一番大変なのは、変えられないることを変えようと無理強いること。しかし重要なのは、変えられること、変えるべきものに対しての心構えです。ほとんどの人は、「私は他人を変えられると思います。」そして「私は変える必要がない人のように生きています。」概ねの人はこの二通りです。ところが不思議なのは、他人が外部から力を加えたり、叫んだりしても私は変わらないが、自分自身が悟ったときに変わるのです。

真の勇気とは、他人に振り回す強圧的な力ではなく、自分自身を抑制できる力を指します。気難しい関係にある人との関係でも、勇気を出し「私がこれをすべきだ」と判断し、行動します。そうかと思えば、勇気を出し、自分自身にそうさせることも可能です。真の勇気は変えるべきものに対して、自ら決断し、変えるんだとの心の誓いによって実現されるのです。変えるべきものを変える勇気は、変える人が自分の自我の核心を突くとも言える言葉です。

そして最後は、「そして区別する知恵を与えてください。」との祈りです。分別力が、私たちの生活に非常に重要であることはよく知っています。人が何かを判断をする際に、その基準となるのは一体なんでしょう。先週の説教でも申し上げました。ほとんどの人々は何かを決定するときに、自分の経験や知識で判断するのが当然です。ところが、ニーバー教授はここで重要なことばを用いています。「神様、変えられないものを落ち着いて受け入れる恵み、変えるべきものを変える勇気を与えてください。」

ダビデ王の息子であり、イスラエルの王の中で最高の栄華を享受したソロモンの話で、ソロモンが神に求めたのは、富や権力を維持させる力でなく、知恵でした。ソロモンは、神から与えられた知恵で、国を統治して偉大な王となりました。今日ニーバー教授は、生きながら1次,2次世界大戦を経験し、悽惨(せいさん)に死んでいく人々の姿を見て絶望しました。神学者として教授として牧師として、変わる生活の現場でどんなことを受け入れるのかについて悩みました。何を変えていくべきかを区別する知恵を与えて下さいという彼の祈りは、今日を生きる私たちに大きな教えを与えます。

愛する信徒の皆さん、今日のみことばで詩編の記者はこのように讃美しています。

4.いかに幸いなことでしょう/あなたの家に住むことができるなら/まして、あなたを賛美することができるなら。セラ

今日、我らクリスチャンの心の憩い場は主の家、教会になるでしょう。ただ目に見える教会の建物でなく、この教会の中で共にする信徒の祈りと交わりが大切なのです。主に礼拝を捧げるたびに頂くみことばに力を得て、生きる我々なのです。私たちが祈るたびに心に広い道を作って行くべきです。

5.いかに幸いなことでしょう/あなたによって勇を出し/心にい道を見ている人は

 

6嘆きの谷を通るときも、そこを泉とするでしょう。雨も降り、祝福で覆ってくれるでしょう。

今日コロナ禍の中で、嘆きの谷を経験しながら生きています。私たち全員は、主が備えて下さった泉と降る雨で乾かない生活を過ごせるでしょう。又、主は私たちの心から轟く祈りにも耳を傾けて下さるでしょう。

苦難の中でも私たちは祈りを諦めず、心に広い道を作って行く祈りの生活を通して、主が覆って下さる祝福を経験するようにしましょう。

<祈祷>

愛の主よ、私たちが嘆きの谷を歩んでいても、回復させ、導いて下さることを感謝いたします。私たちの力では変えられないことを受け入れる謙虚さを与えて下さい。変えるべきものには、勇気を出して変える生き方にならせて下さい。生活の中で、決定し選択する際には、知恵を与えて下さり、正しいのを探せる私たちにならせて下さい。感謝しながら、主イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン