2020年5月3日説教日本語訳

大阪教会 主日礼拝 (2020 53/復活節第4主日)  

 

* 説教: 鄭然元牧師  通訳: 金光成長老

* 題目 : 말씀으로 제자들을(우리들을) 다시 세우심 御言葉弟子たちをてられる 

* 聖書 : 누가복음 24 44-49 ルカによる福音書 244449

 

(日本語/新共同)

  1. イエスは言われた。「わたしについてモセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて現する。これこそ、まだあなたがたと一にいたころ、言っておいたことである。」 45. そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、46. 言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から活する。47. また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆるの人に宣べえられる』と。エルサレムから始めて、48. あなたがたはこれらのことの証人となる。49. わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。

<説教>

愛する信徒の皆さん、お元気ですか。一週間をどのように過ごされましたか?教会学校の子どもたちも、元気ですか?学生が学校に行けず、店は営業が出来ず、閉めています。職場に出勤し、勤務すべき会社員は自宅で仕事をやっています。日本の政府は去る4月7日、「緊急事態宣言」を発令しました。その期間を一ヶ月に定め、ゴールデンウィークが終わる5月6日までとしました。しかし、ニュースによると、もっと延長するそうです。これらの困難な時代を皆さんと私と全世界の人々が、一緒に経験しています。コロナウイルスにより、多くの人が死んでいます。世界で23万人以上、一日に6000人を超える尊い命が亡くなっているのです。願わくは、何よりもまず、この伝染病に感染しないように注意し、健康をよく維持して下さい。

今日は2020年のイースター後、4週目の主日です。

イエス様の十字架の死の後、弟子たちの信仰の姿を見てみるのは非常に重要なことです。

当時、弟子たちがどのような信仰の状態だったのかを、これまで続けて説教して来ました。

なぜなら、この過程を見てみることで、今日を生きる私たちの姿が見えてくるからです。

そして、弟子たちの信仰の変化が私たちに大きな助けになるだろうと思っているからです。

弟子たちは、空の墓と復活されたイエス様に会った人の話を聞いても、たわ言だと思い信じませんでした。

イエス様の復活を信じられない弟子たちの心の状態を私たちは見て来ました。

弟子たちの心は、十字架の死によって心がかたくなになっていました。

疑いに満ちた弟子たちの心は、かたくなで、酷く、不信に満ちていました。

心理的には、虚しさのあまり虚脱感に陥っていました。そして、イエス様と最後まで一緒にいられなかったという自責感に彼らは捉えられていました。振り返ってみた自分の罪によって、不安と恐怖に満ちていたのです。このような心によって、すべてのものに対する信頼が薄れ、疑いに繋がりました。「これって何?なぜこんな結果になったの?」疑問は、さらに大きな恐怖に繋がりました。

イエス様は弟子たちを訪ねて行き、自分の手と足を見せながら、肉体の復活を信じるようにさせました。 それにもかかわらず、弟子たちは、イエス様の復活を信じられませんでした。では、イエス様はどのようにし、ご自分の復活について弟子たちに確信を持たせたのでしょうか。その答えが、今日のみことばに出ています。この答えは、私達に適用される信仰生活の中で、最も基本であることをわからせてくれます。主のみことばで弟子たちを回復してくださったのがわかります。本文の前で、イエス様は十字架にかけられ死なれました。それで、弟子たちの中には虚脱感に陥り、自分の家に戻る人もいました。 13節以下を見ると、村に向かって歩いていた二人の弟子に道連れができました。自然と、エルサレムで十字架につけられ死なれたイエス様のことを論じ合っていました。二人の弟子は、歩きながら道連れにエルサレムで起こったことを言いました。

そこで、イエス様はこの二人の弟子たちに言われました。

「ああ、物分かりがく、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、光に入るはずだったのではないか。」 27. そして、モセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを明されました。

私たちがすでに知っているように、この二人の道連れは復活されたイエス様でしたが、弟子たちは気づきませんでした。 ところが、ここで注目をしなければならない点があります。それは、イエス様の肉体の復活を信じていない人に、自分の手と足を見せただけではなく、主のみことばで近づいて来られたことです。 イエス様は「なぜこんなにも物わかりが悪いのか!」信仰で受けられず、のろのろと、心に疑いを持っているのか!と咎めました。そして話されたのは、キリストがこういう苦しみを受けてから、栄光に入るのだと教えて下さいました。何を通してですか?モーセとすべての預言者によって書かれ、聖書全体にわたりご自分について書かれていることを説明されました。再度申し上げると、イエス様は復活した肉体と生きていることを確認させる行動を行いました。そして弟子たちに、主のみことばを通して復活を確認させたのです。

イエス様と弟子たちが確認した聖書は、どのようなものだったでしょうか?イエス様の話を記録した新約聖書とは違い、旧約聖書は、イエス様がこの世に来られる前1000年~150年前に成立した旧約聖書を指します。イエス様が引用されたみことばは、旧約聖書の正典と呼ばれる神聖な文書です。 「キヤノン」というものですが、「測定すること」、すなわち標準、規範、規則を意味する言葉です。標準や規範として、「測定されるもの」として、神のみことばを指します。旧約聖書を「御子であるイエス様が、神様のみことばとして認めたこと」です。そして、このみことばに記録された「キリスト、メシア」に関することを確認させたのです。十字架につけられ死ぬことと三日目に甦ることについて説明されました。モーセの律法と預言者たちの文と歴史の物語や詩と讃美を含む旧約聖書を引用して、話されたのです。旧約聖書、聖書全体を通してメシアの働きを説明されたのです。

ここで私たちは、私たちの信仰生活の基盤をどこに立てるべきかがわかるようになります。私たちは、信仰生活をしながら期待することが多くあります。異言もしたい、治癒の賜物ももらいたい、教会の職分ももらいたい、認められたい、働きたいなど、たくさん期待しています。イースターの後の弟子たちとイエス様の出会いの中で、復活を最も確実に伝える方法は復活されたイエス様、ご自身の姿でした。そして今日の本文で、復活されたイエス様は、自分の復活の証拠が神のみことばである聖書だと話されました。

今日、私たちにとって信仰生活の最も基本的な根拠、基礎になるのは、主のみことばです。

愛する信徒の皆さん、今、私たちはコロナウイルス感染によって、礼拝堂で礼拝をささげることができません。毎日、集まっていた早天祈祷会も、聖書勉強会もできません。私は思います。この機会こそ、主のみことばである聖書を読むのに最良の時期であると。私たち大阪教会は一年に聖書を一読する活動を始め、すでに数年が経ちました。毎日、早天に聖書1章を順番に読みながら、3年以内に、聖書を一読して、みことばを分かち合う教会です。ある信徒は、聖書を筆写しておられます。なぜこのような苦労をなさるのでしょうか。私たちの信仰の最も重要な基礎が主のみことばだからです。

このごろ毎日黙想をするみことばが詩篇です。ダビデは自分の困難な生活、妬みと苦難と嫉妬で命が危なかったと言いました。しかし、この苦難を勝利に導いたのは、主のみことばが自分と共にいたことであると告白しています。この内容を読んでいる私たちに、どれほど大きな力と恵みを与えるのでしょう。イエス様が十字架につけられ死を迎えた後、弟子たちは疑いと虚脱感に陥っていました。これの回復がみことばを通して成し遂げられたのです。私たちもこの困難な時期を、主のみことばで克服できますよう願います。

<祈り>

弟子たちを愛するイエス様、

当時、弟子たちは復活されたイエス様が信じられなかった状態でした。

みことばでわからせ、再び立てられるように導いてくださったことに感謝を捧げます。

私たちが正しい信仰生活を送れないときがあります。疑いを持つときもあります。

その度に、私たちにみことばを与え、回復させてください。

感謝しながら、主イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン。