大阪教会主日礼拝 <2021年10月17日> 五旬節後第21主日
説教 鄭然元牧師/通訳 金光成長老
* 題目 : 自分自身の命を救いうること
* 聖書 : エゼキエル14:19-20
[日本語/新共同訳]19. また、もしわたしがその国に疫病を送り、わたしの怒りをその上に血と共に注ぎ、そこから人も家畜も絶ち滅ぼすなら、20. たとえ、その中にノア、ダニエル、ヨブがいたとしても――わたしは生きている、と主なる神は言われる――彼らは自分の息子、娘たちすら救うことができない。彼らはその正しさによって、自分自身の命を救いうるだけである。 |
<説教>
季節の変化から神様が創造された美しい世界を感じるようになります。
先週まで30度を超えていた気温が秋を感じられるほど急に下がりました。コロナウイルスの感染者数も
随分減りました。健康に留意して下さるよう願いながら、説教を始めさせていただきます。
宗教改革運動はイエス様の時代から始まり、1500年の教会の歴史を持つカトリック教会の過ちを直して
正しい信仰生活のため始まりました。この運動によってプロテスタント教会が始まったのです。改革主義思想を持つ教会が、今ある全てのものを崩して新しいものを立てるという革命的な考えをしているわけではありません。私たちの間違いを反省し、直しながらより良い信仰共同体である教会と個人の信仰を正そうとしているのです。
しかし、個人的に一人や共同体は改革を受け入り難いことも事実です。宗教改革のスタートを知らせたドイツのマルティン・ルターの95カ条の論題は当時のカトリック教会がしていた間違っていた宗教的な問題を指摘したのです。カトリック教会が開かれた態度でルターと対話して、その指摘に反省する態度が有ったら、状況は随分変わっただろうと私は思います。
先週、中心的に扱ったフランスのジョン・カルビン(ジャン・カルバン)の場合も同じです。自分の信仰的な立場を明らかにすると、カトリック教会は軍人を送りカルビンを殺そうとしました。パリに留まっていたカルビンは祖国フランスを離れ、スイスのジュネーブで改革運動をするようになった流れを辿ってみました。その後、カルビンの告白通り、この死の苦難の中でも神様が生かせて下さった人になっていることへの感謝で、神様に栄光をささげるクリスチャンにならないといけないと、告白しています。
今日は旧約聖書エゼキエル書を読みました。先週読んだ次のところです。エゼキエル書と宗教改革を関連してみる理由は、預言者エゼキエルの時代をよく見れば、当時のイスラエル、ユダ民族においては一番の苦難の時期でした。民族が滅亡される危機状況で神様が望むものを見つけることができました。また、もう一つは当時の政治的な最高責任者で指導者である王と周辺の人たちと宗教指導者たちはどのような考えを持っていたのかを探してみたいです。このような作業を通して、今日を生きる私たちの姿を省みて正しい信仰生活を送るためです。
南ユダの滅亡を予告する預言者エゼキエルは、神様のみ旨を民と王と指導者に伝えます。エゼキエルは祭司「ブジの息子」で祭司の家系の出身です。エゼキエルという名前は「神様が強めて下さる」、「神様が鍛えて下さる」という意味を持っています。祭司の家門で育った彼は、25歳のときに、バビロンに連れて行かれ、30歳で主の言葉が臨んだとエゼキエル1章で記録しています。神学的にもエゼキエル書は重要な観点を提供していますが、特に人間の責任と旅程について関心を注いています。私たちが、よく知っているように、イスラエル民族が共同体で神様に従うべきだという主題は、旧約の律法に深く根をおろしています。しかし、預言者エゼキエルは個人の責任を強調しており、その点が他の預言者と若干違います。彼はイスラエル民族と国に近づくの審判の中で、神様は聖なる者と邪悪な者を区別し、罪を犯す魂は死ぬだろうと見ました。
イスラエルが神様の審判を受け、バビロンと周辺の国の捕虜になり捕らえられると言いました。戦争や飢饉や伝染病で多くの人たちが死を迎えるが、その中でも何人かは生きらせておいて、自分たちが犯した罪を人たちの前で告白させるというみことばを先週説教で話しました。再度申し上げると、生き残った人たちは自分らが今までどのような過ちを犯したのかを恥を忍んで人たちに告白させられるのです。
今日のみことばは、偶像崇拝をしていた人たちを審判しながら話された内容です。偶像というのは、信仰の面で神様以外のものを崇め、従うことを指します。神様はモーゼを通して結んだ十戒の戒めで最初に言及されたのが「あなたにはわたしをおいてほかに神があってはならない。」ことでした。第二の戒めは具体的な内容を説明しているが、「あなたはいかなる像を造ってはならない。上は天にあり、下は地であり、また地の下の水の中にある、いかなる形も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。」と話されました。しかし、このような戒めをわかっていたイスラエル民族がカナンの地と周辺の民族が祀っていた偶像であるバアルとアシェラ像を神殿に持ち込み立てるほどになりました。
祭司出身であるエゼキエルはこのような民族の罪を身分の目でしっかり見ました。14章前半のみことばを
見ると5節に「それは、偶像のゆえにわたしから離れ去ったイスラエルの家の心をすべて、わたしが捕らえるためである」。このことばはイスラエルの民が偶像崇拝をして、神様を裏切ったので彼らを捕らえ、死に追い込むと話されたのです。
7節には「イスラエルの家の者と、イスラエルの中に寄留している外国人のうち」との言葉がありますが、神様はそのような外国人にも罰を与えると言われます。ところが、反転の内容が出ます。今日共に読んだ本文で驚くべきことが見つけられます。ある国がわたしに対して不信を重ね、罪を犯すなら、私はパンをつるして蓄える棒を折り、その地に飢饉を送ってそこから人も家畜も絶ち滅ぼすと話されました。本文の19節には「また、もしわたしがその国に疫病を送り、わたしの怒りをその上に血と共に注ぎ、そこから人も家畜も絶ち滅ぼす」と言われます。そのような苦難に覆われるとき、「ノア、ダニエル、ヨブがいたとしても、彼らは自分の息子、娘たちすら救うことができない。彼らはその正しさによって、自分自身の命を救いうるだけである。」と続けて話されます。
皆さんもよくご存じの通り、この三人は聖書の中で信仰の大家だと言えるようなひとです。それにもかかわらず、この人たちが息子、娘と共にいるとしても彼らは救われないとのことです。創6:9節で「その世代の中で、ノアは神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ」と記しています。
12節では、 「神は地を御覧になった。見よ、それは堕落し、すべて肉なる者はこの地で堕落の道を歩んでいた。13.神はノアに言われた。「すべて肉なるものを終わらせる時がわたしの前に来ている。彼らのゆえに不法が地に満ちている。見よ、わたしは地もろとも彼らを滅ぼす。」と話されます。
洪水の審判のときも神様は審判の予告と共に、ノアの夫婦と息子夫婦たちを救ってくださいました。しかし、今日のみことばでは、ノアですら今回の審判では家族ですら関係なく、すべて死を迎え、ノアだけが生き残るほどイスラエルの民が犯した罪が深刻であるとのことばです。
2番目の登場人物はだれですか。「ダニエル」です。
私たちが聖書をよく読めば、エゼキエルとダニエルとエレミヤは同じ時代に活躍した預言者たちです。「ダニエル」の話はあまりにもよく知っている内容です。ダニエルと三人の仲間の物語は信仰を守るために自分の命も惜しまず、神様が喜ばれるような信仰の持ち主でした。ダニエルは幼い頃、第1次バビロン捕虜の時期に捕らわれ、連れて行かれたイスラエルの王族出身でした。そして、ダニエルと三人の友達はバビロンの王宮で教育を受けましたが、学問と才能が優れて、王に仕える僕でした。ダニエルと仲間たちを襲った試練はどのようなものでしたか。だれに対しても祈ってはならぬという王の側近たちの陰謀で苦しむことになりました。
しかし、ダニエルは猛獣の中でも生きられた信仰の証人でありました。エゼキエルがそのように断言できたのは、自分自身がダニエルの危害を受けず生きられた姿を見たからです。
3番目の人は苦難と苦しみの中でも信仰を見守ったヨブです。
彼の苦難と苦しみの始まりはサタンが彼を嫉妬し、神様の許しを得てから試みに合わせたからであるのを
私たちはよく知っています。財産と子どもたちを一度に亡くしました。しかし、ヨブは試練の時間を信仰で
克服し、もっと大きな祝福をもらう信仰の人でした。そのような三人のように、救われる人たちの特徴をエゼキエルは自分の正しさによって自分自身の命を救いうると言っています。ここで、新約聖書から一カ所を引用します。ローマ書9章30節に「義を求めなかった異邦人が、義、しかも信仰による義を得ました。」と記しています。
イスラエルの人たちにとって「義」は神様と人たちの間で真実な状態に達した正しさを指すことばです。しかし、義は信仰と行動を通して得られる信仰の贈り物であり、結果だと思われていました。これが宗教改革者とローマカトリック教会との大きな差をもたらしました。
「義になる」というのは使徒パウロの信仰と神学にとても重要なテーマでした。そして、稱(ぎ)義(にん)の正確な意味は
「義にする」ことではなく、「神によって義と認められる」ことです。似通っているようですが、差があります。
イエス・キリストを信じている人は罪があっても、義なる裁判長である神の宣言によって、義と認められるからです。そして、キリストを信じる人たちはキリストの中で、神様と正しい関係を結んだからです。
使徒パウロの中心は、キリストを信じる信仰から出発し、神様が義と認められるとき、「義になった」ことが確認できます。しかし、当時のカトリック教会は免罪符を売るため、自分の信仰、信仰とは関係なく、お金が献金箱に落ち、「チャリン」と音が鳴る時すでに死んだ人までも義になるとの誤った信仰に対する強力な反対でした。この過ちを指摘したとき、カトリック教会と指導者たちは正しいことを言おうとする口を防ごうとしました。正しくないと指摘する行動を抑え込み、たちはだかって、彼らにナイフを突き付け威嚇し、命を奪いました。
我々の大阪教会の歴史と先輩たちの信仰生活を省みながら学ぶことがあります。金徳成牧師任が牧会をされている中、「大阪教会55周年史」をユ・シハン長老任が中心となり執筆しました。133頁、1944年の報告による内容です。「1項 戦争状況の変化によって、集会がままならないもどかしさがあった。」
新年の行事は全部中止になり、警戒警報時にはすべての集会が中止となった。2項 礼拝開始前には
必ず国民儀礼、すなわち皇室に向けての敬拝と戦没軍人に対する黙祷後、礼拝をささげた。」と記録しています。
太平洋戦争の終盤、日本は全力を尽くして戦争に挑みました。国民の心に天皇に対する忠誠心を呼び起こすため、敬拝をし、軍人たちが無駄死ではないことを認識させるため、神様の礼拝前に、拝ませたのです。これは、日本と当時の朝鮮半島の教会たちが経験した信仰的な痛みであり、傷として残るようになりました。しかし、次の行には「この困難の中でも1944年7月2日5名、崔三祚(チェサンジョ)、鄭麟壽(チョンインス)、劉時漢(ユシハン)、李萬浩(イマンホ)、池東國(ジドンク)長老を立てる将立式を挙行した。」と報告しています。
コロナ禍で礼拝をささげられない今日の状況のように、当時も理由は違っても自由に礼拝をささげられなかった時期があったことを歴史でわかります。愛する信徒の皆様、神様がどのようなことをさせるためにわたしを生きらせているのかはわかりません。皆様を生きらせておられるのかわかりません。しかし、はっきりするのは神さなの審判の際に、私の信仰によって救われることをしっかり捉えてから信仰生活を送りましょう。
信仰の家庭の子どもだから、自動ドアが開くように天国の門が開かれ、私の子どもたちが入れるわけではありません。イスラエル民族が神様の審判を経験しながら、得た信仰の実は何でしょうか。バビロンの捕虜生活をしながら、何を学んだでしょうか。神殿が破壊され、なくなり、神様に礼拝がささげられない遠い国に連れて来られ、彼らが見つけたのはまさに「シナゴーグ」でした。シナゴーグを作り、そこで祭司と律法学者たちが神様の律法と戒めとみことばを教え始めました。バビロンで生き残り、エルサレムに戻って来た民や指導者たちは子どもたちに神様のみことば、救いのみことばを教えるため、シナゴーグを作りました。イエス様の当時にもイスラエル全域にシナゴーグがあり、イエス様がそこで教えました。
まとめに入りたいと思います。
命の大切さはいわなくてもだれでもわかっています。天地よりもっと大切なことが一人の命だとイエス様は話されました。このような命と永遠にいきるため、私たちの魂を救うことはこの世の中で一番大切なことです。
私たちの子どもたちや隣人がそのような貴重な生き方ができるよう、私たちは助けてあげないといけません。
これが伝道することです。私たちの家庭から始めましょう。私の周りから始まる福音伝道の働きは死んでいく
命を救うことになります。天の国が近づいてきているこの終焉の時代を生きている私たちが覚えなければいけないことであり、私たちの子どもも救われなければいけません。このような決心と具体的な行動を通して
成就できることを信じ、進みましょう。
<祈祷>
愛が溢れる神様、私たちを死から救うため、独り子イエスをこの地に送って下さり、信じる人たちに永遠な命を与えると約束されました。今日、私たちはこのみことばを信じ、聖霊様と共にこの場所にいます。自分の命だけでなく、私たちの家族、私たちの子どもや夫、妻が救われるように導いて下さい。世のどのようなことより大切なことなので、それを担える信仰を与えて下さい。主イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン