大阪教会略史
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1920~1940年代
1921年 神戸中央神学校に留学していた金禹鉉神学生と紡績会社の女工として働いていた金義生姉妹と申南秀姉妹との信仰的な出会いと祈りから始まった。
1922年 東成区小橋町の金成河宅の2階を伝道所として整え伝道活動を行う。感謝節に巡回牧師の金二坤牧師より金義生が洗礼問答、申南秀と金孔解が学習問答を受ける。約10余名が集う。
1923年 伝道所がせまいため小橋町からランバス女学院内の部屋へ移る。金二坤牧師、朴尚東神学生が導びいた年で礼拝出席は平均17〜18名。当時大阪の朝鮮人総数は約4万名であったので、金禹鉉神学生は、基督申報(1922-1923)により一層切実な伝道の必要性を訴えた。
1924年 洗礼信徒6名、学習信徒7名、巡回牧師の金泰祐牧師と朴尚東神学生、朴炳華神学生が担当者として、毎週平均20〜30名集まった。1月12日最初の執事4名(申南秀・金義生・金孔解・金成河)を任命、諸職会を開き土地家屋購入のため献金40円が捧げられる。6月下旬プール学院の倉庫に伝道所を移す。
1925年 毎主日礼拝参席者数、平均20〜35名、洗礼信徒9名、学習信徒15名、求道者15名。関西地方巡回牧師として朴淵瑞牧師、説教担任は全弼淳神学生、その後康文昊神学生、朴炳華神学生に助けられた。
1926年 プール学院から桃谷町の2階建て家屋に移り、3月韓泰祐牧師により入堂礼拝。在日朝鮮人耶蘇教東部伝道所という最初の看板を掲げるも、朴淵瑞牧師名義で出した設立認可願が9月29日付で不許可になり、府下朝鮮人集会所5カ所が集会禁止となる。別の名義で申請してようやく解禁。礼拝出席は毎週平均27名。正式に諸職会が構成される。1月婦人伝道会創立。
1927年 最初の公同議会開催。洗礼学習信徒数21名、予算案320円を可決。児童主日聖経学校が創立され校長は朴炳華神学生。第1回婦人伝道会開催、会長卓ミョンスク他選出。主日平均出席30名。
1928年 第1回公同議会開催。議長朴尚東牧師、諸職として執事7名(男3、女4)選出。在日朝鮮人耶蘇教長老会大阪東部教会へ改称。巡回牧師朴尚東牧師、栄在馨(L.L.Young)宣教師、説教担任に禹東哲・康文昊神学生。第2回婦人会総会が開催され、会長金義生外選出。
1929年 第2回公同議会は会員18名出席、予算450円、執事9名選出、主日学校校長禹東哲神学生。東成区猪飼野町中2127番地の2階建て家屋を借り、4月入堂礼拝をささげる。伝道を熱心に行い、平均出席40余名。12月教会堂建築期成会発足。
1930年 第3回公同議会にて会長朴尚東牧師の下、書記金成河執事、会計趙瑞龍執事選出。勉励青年会創立、会長朴泰鎮。第3回婦人伝道会開催、会長文仁順、書記・会計・祈祷部・伝道部等組織される。隣家を借り礼拝堂を拡張し、美しくなった礼拝堂で秋収感謝節礼拝をささげる。信徒が労働者のため主日は休みでな く、昼より夜の集会が盛況であった。
1931年 巡回牧師呉沢寛牧師、栄在馨宣教師、説教担任に禹東哲・朴泰鎮神学生が担当。第4回公同議会。夜間聖書学校とカナダ宣教部との協同で幼稚園が設立される。第1回勉励青年会開催、会長姜喜錫。夏期集会時全仁善神学生が検挙され集会中止となる。
1932年 巡回牧師栄在馨宣教師、呉沢寛牧師、説教担当に禹東哲・朴泰鎮神学生が引き続き奉仕。第5回公同議会開催、執事14名選出。聖歌隊が組織され、隊長趙瑞龍、隊員11名。4月18日、第10回関西地方会が本教会にて開催。
1933年 巡回牧師栄在馨宣教師、主日学校呉沢寛牧師、夜説教協同者朴泰鎮、全仁善神学生であった。第6回公同議会で男性執事7名、女性執事8名選出。礼拝出席65〜80名。4月地方会にて中央教会建立を決議。
1934年 任景淳助師、協同全仁善神学生が奉仕。第7回公同議会、会員47名、執事17名。東成区大成通に教会建設用地104坪を購入、7月25日中央教会定礎起工礼拝を挙行。信徒出席70〜90名。夜間聖経学校は民族教育により中止命令を受け閉校。
1935年 第8回公同議会で最初の長老選挙実施、初代長老姜喜錫長老選出。新築中の教会が完成し6月20日入堂礼拝、総建築費4,452.85円。ただ中央教会と東部教会両名称の看板となる。1930年以来巡回牧師として尽力した呉沢寛牧師が辞任、11月24日送別礼拝挙行。
1936年 第9回公同議会にて第2代長老韓徳七執事選出、4月8日長老将立式を挙行。3月29日高麗偉牧師が臨時牧師就任、10月辞任。後任として金致善牧師が臨時牧師就任。教会看板は論議の末、東部教会に統一。
1937年 7月3日高舜哲女伝道師就任。毎主日礼拝出席が平均100名に達した。
1938年 禹東哲牧師を初代委任牧師、委任式を10月23日に挙行。高舜哲伝道師が辞任し、後任として鄭信敬女伝道師就任。
1939年 教会を中心に区域創設(礼拝堂・猪飼野・南猪飼野・今里・大友の5区域)し、区域活動開始。春秋の家庭尋訪実施。第3代長老田雨用・李基方執事選出、5月9日将立式挙行。
1940年 第4代長老趙端龍・康慶玉・金大漢執事選出、7月10日長老将立式挙行。禹東哲牧師、姜喜錫長老辞任。第2次世界大戦勃発、朝鮮教会は大受難期に入る。
1941年 日本基督教団への加入を前提に教会名称を東部教会から東成教会に変更。各機関名も変更。2月より記録を日本語使用。土地建物も教団へ寄付。2月2日全仁善牧師委任式挙行。5月13日教会創立者金義生執事帰国送別会。栄在馨宣教師カナダ帰国。
1942年 第15回公同議会にて日本基督教団浪速中会への加入、軍部献納運動強化等を決定。礼拝前日本国歌奉唱、説教・祈祷も日本語を強要。毎主日平均出席数150名。
1943年 高舜哲伝道師10月29日就任。感謝節礼拝牧野同志社総長説教。
1944年 第17回信徒公同議会にて崔三祚・丁仁寿・劉時漢・李萬浩・池東国執事を長老選出、7月2日長老将立式挙行。玉文錫助教師が辞任帰国。全仁善牧師帰国。高舜哲伝道師帰国。
1945年 8月15日日本の植民地支配から解放。公同議会開催。11月15日京都教会にて在日本朝鮮基督教聯合会創立総会が開催され、日本基督教団脱退を可決。当時の東成教会状況報告によれば教役者竹内信〈代務者〉、長老4名、執事9名、在籍会員320名、現在会員80名、平均出席60名、主日学生15名。
1946年 8月25日関西連合解放記念礼拝を須磨海岸で挙行。朴命俊牧師を第3代委任牧師として招聘、5月19日正式就任。教会名称を東成教会から東大阪教会に改称。
1947年 8月15日解放記念礼拝を関西聯合で挙行。8月31日平野伝道所創設礼拝。4月13日尹用道執事長老将立式挙行。10月4〜16日本教会で第3回総会開催、聯合会名称を総会に改称、憲法及び信条制定。
1948年 朴命俊牧師辞任、臨時堂会長として田永福牧師。5月30日、徐基洪、金寿萬、李華玉執事長老将立式挙行。10月3日〜14日、第4回総会(京都教会)で総会名称を在日大韓基督教会総会に改称。
1949年 臨時堂会長栄在馨宣教師昇天、2月23日総会葬挙行。丁仁寿長老、伝道師として6月5日就任式を挙行。9月在日大韓基督教会婦人伝道会創立総会を本教会にて開催。
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