<2021年10月10日>主日礼拝「生き残った理由があります」鄭元然牧師

大阪教会主日礼拝 <2021年1010日> 五旬節後第20主日                    

 

* 題目 : 生き残った理由があります

* 聖書 : エゼキエル書12章13節-16

 

[/新共同訳]

13. わたしは、げ、はわたしのにかかる。そのをわたしはカルデアの、バビロンにれてくが、はそのることはできず、そこでぬ。14. わたしは、くすべての従者軍隊とを、四方にまきらし、いてそのう。15.わたしがらを国々らし、諸国にまきらすとき、らは、わたしがなるであることをるようになる。16. しかし、わたしはらのから少数人々し、えと疫病からる。らが自分たちのったまわしいすべてのことを、先々かせるためである。そのとき、らは、わたしがであることをるようになる。」

<説教>

過ぎた10月7日(木)午後10時40分頃、関東地方に震度5強の地震がありました。関東地方では10年ぶりの5以上の地震であり、多くの人々が胸を撫で下ろしながら安堵する姿をニュースで見ました。しかし、交通便が止まり、帰宅するのに苦労する市民の姿と水道管が破裂し、水があふれている画面を見ながら、地震というのは突然起きるが、市民生活に多くの被害をもたらす恐ろしい自然災害だと思いました。このような自然災害と戦争や大きな事件に遭えば、世界の人々は苦しまれます。被害に遭って命を失ってしまった人や家族は無論、生き残った人々も悪夢のような苦しい時間を過ごす場合が度々あります。

10年前、東日本地域の大地震と津波により瞬(またた)く間に行方不明者を含む約2万5千人の人々が命を落としてしまいました。地震と津波があった後の避難者数40万人、建物の破損40万軒、電気の断絶が800万世帯でした。2018年、日本政府の報告資料によると、まだ家に帰れず避難生活をする人々が73,000人だそうです。日本の歴史において最大の自然災害となりました。死亡者を具体的に分類した資料を見ました。津波により90%ほどが死亡し、地震による死者は4.3%で667人でした。そして4.2%である666人は、地震後いくつかの理由で死亡したという報道でした。どんな理由だったでしょう。

災害で家族を失ってしまい自分だけが生き残った人が、孤独な生活に耐えられず自害した人がたくさんいました。一部の人々は、この災害で周囲の人々が死んだのに、自分だけが生き残ったという負い目にとらわれて、精神的に大きなトラウマを抱え、自ら命を絶つ人も多かったです。今、日本のキリスト教団と被災地の教会は、このような心で生きていく被災地の人々をケアしています。

このような現象は日本だけでなく世界各国で大きな事件が発生すれば、人たちの生活と精神の問題として登場します。20年前、アメリカの9.11テロで生き残った人たちもこのような負い目の気持ちで、結局自ら命を絶つ事例が多かったです。戦場に出戦した軍人たちが自分の国に帰還してから、戦争の後遺症で肉体的に、精神的に苦しむ場合が多いことを私たちは知っています。

第二次世界大戦のアウシュビッツ収容所(しゅうようじょ)(英:Auschwitz concentration camp/正式名称 /アウシュビッツビルケナウ – ドイツ強制収容所や集団虐殺収容所(1940〜1945)(Auschwitz Birkenau German Nazi Concentration and Extermination Camp(1940〜1945) で1940年から終戦まで400万人の人々が集団的に命を失われました。ユダヤ人が約250万人、ユダヤ人のほか、残りの犠牲者は、ポーランドの良心犯、ナチスに抵抗した東欧(とうおう)スラブ民族、東ヨーロッパ人たちと旧ソ連軍捕虜(主に政治的な将校)、ジプシー民族などだったそうです。しかし、これらの悲惨な死の場所でも生き残った人々がいました。生き残ったユダヤ人と当時のポーランド人は、彼らは収容所の悲惨な事実を告発して知らせました。収容所の入口には、 「働けば自由になる」という文句が大きく書かれていました。どこかで聞いたことがあると言葉ではないでしょうか。「真理が我らを自由にする」という、聖書のみことばをナチスは引用しているのです。ここで「生きて残っている理由」を考えてみましょう。

今日読んだ預言者エゼキエルの預言は、預言というよりも、実際の状況をそのまま記録しているのと同様です。イスラエル民族の最後の瞬間、ダビデ王朝の終焉という悲しい内容をそのまま記録しています。恐らくイスラエル人が聖書の中で最も読みたくない部分であるかもしれません。モーセによってイスラエル民族が出エジプトし、カナンの地に定着をした時期はB.C 1500年頃と推定されます。約500年は王がなく、士師(しし)(判官)時代を経て、サウルが統一イスラエルの初代王になる時期がBC 1030年であり、ダビデがB.C1010年に王と立てられてから40年間を統治し、イスラエルの王権と国が形成されたのです。その後、500年が過ぎてから、ゼデキヤ王の時代に至って、イスラエル王朝は完全に滅亡します。南ユダの18代目の王であり、最後の王であるゼデキヤは、神様の審判の預言を聞いてもそれを無視し、バビロンに降伏せずに、エジプトに助けを求めます。そして、自分でもエルサレムから抜け出しエリコ荒野に逃げますが、捕まってバビロンまで連れて行かれます。バビロンの人々は、彼の息子である二人の王子を目の前で虐殺してから、ゼデキヤ王の両眼を抉り取るような残酷な行為をしました。

今日、選んだエゼキエル書12章は「ゼデキヤ王」に下された神様の審判の預言です。恐らく預言者エゼキエルはこの預言を伝えようとしたとき、胸が裂けるような思いだったでしょう。王は従者の助けでエルサレム城から抜け出しエリコ荒野まで逃げましたが、神様は彼の上に網を広げ、罠にかかりバビロンに連れて行かれると話されます。

ユージン・ピータソンはこの部分を「私は彼がバビロンに連れて行かれるようにさせる。彼はその地を見ることができずそこで死ぬ。私が彼の脱出を助けた人たちや彼の軍隊を四方に散らし、多くの人が戦場で死ぬだろう。私が彼らを諸国にまき散らすとき、やっと彼らは、わたしが主なる神であることを知るようになる。」と訳しました。

「王が地をみることができず」というみことばは、少し前に話した通りに、バビロンの人々はゼデキヤの目を抉り取ってしまうような残酷なことをしました。そして預言は、その土地で死ぬだろうとはっきり言っています。エルサレムを脱出する際に、王に従っていた多くの従者たちと王を助けた軍人は戦場で死ぬし、最終的にイスラエル民族を主が周辺の国々で散らすと審判のことばを話されたのです。このようなことをされ、このようなことを目にしたイスラエルの民がその時に、やっと神様がヤハウエの主であられることを知るなるとのことです。ここで言う「神」は、「全能の神」を意味します。この世のすべてのものを自分のみ旨通りに司る全能なる神を指します。再度申し上げますと、イスラエルの王が従者と共になんとか生きようと身悶(みもだ)えても、神様が一度計画して審判を決定すれば、そのまま実行する方であることを知るだろうとのことです。このように王と従者たちは凄惨な死を迎えるが、少数の人々を残すと話されます。(日/16. しかし、わたしは彼らの中から少数の人々を残し、剣と飢えと疫病から守る。彼らが自分たちの行った忌まわしいすべてのことを、行く先々の国の中で語り聞かせるためである。そのとき、彼らは、わたしが主であることを知るようになる。」)

バビロンとの戦争の中でもイスラエル人の少数を生かしておいて、飢えや飢饉を越えて、疫病、死ぬ病気から守り生かせるという言葉です。ところで、この「残した人」がすべきことがあると話されました。戦争から生き残り、食べものがなくて飢えで死ぬ直前の緊迫した状況だけでなく、今日のコロナウイルス感染で世界の500万人に上る人々が死んでいるこの時期に生きて残っているということは、何を意味するのでしょうか。

生きていることが漠然に良くて嬉しいだけではありません。大地震と津波により家族と周りの人が死んでいなくなった状況で、自分だけ生き残ったという負い目の気持ちでそれが克服できず、苦しんでいる人々を考えてみましょう。神様はこの残した人々に、「異邦人、バビロンと散らばって暮らす諸国の人に、自分たちが何をしたのかを語り聞かせるようにさせました。神様が禁じられたことと偶像崇拝、人間としてしてはいけない過去の忌まわしいことを自分たちの口から告白させると話されました。このようなことをしながら、悟ることとは、ヤハウエが自分たちの真の神であるということを知るようになることだと神様ご自身が話されているのです。今から500年前、宗教改革のため、神様のみことばである聖書を抱えてから立ち上がった宗教改革者は、自分らは神様が残した少数の人だと思いながら宗教改革をしたのです。

宗教改革者であり、後に長老の創始者である「ジョン・カルビン」(ジャン・カルヴァン/ Jean Calvin)は、フランス人です。父親は、法律を勉強した人で大聖堂の法廷事務官として勤めたカトリック信者でした。カルビンも父の意志に従い、法律を勉強しますが、後に神学を勉強して30歳で大学教授として勤めている中、宗教改革を始めます。1517年にドイツの「マルティン・ルター」から始まった宗教改革運動を受け入り、カトリック教会の改革を主張し始めたのです。当時、フランスはカトリック国家として、ドイツと周辺国で起きている「反カトリック運動」に対して積極的に弾圧していました。

1534年10月張り紙事件が起き、フランソワ1世の命令によって11月には、数百人が逮捕され、数ヶ月の間に多くの人が処刑されました。その中にはカルビンのスポンサーであり、親友だった「ラ・フォルジ」も含まれていました。パリの反プロテスタント感情はますます険悪になってきました。1535年、カルビンは、プロテスタントの弾圧を避けるため、ストラスブールを経て宗教改革家ヨハネスの保護を受けている都市、スイスのバーゼルに身を隠します。カルビンは後に告白します。「神様が私を生き残して下さった」。今日の聖書のみことばと同じです。絶対的な神様の恵みによって救われた人々の生活が、神に栄光をささげることになると言っているのです。

カルビンだけではないです。当時の宗教改革運動に同参した多くの神学者と教会指導者たち、そして、彼らを信頼し支えた信徒たちと政治指導者たちがいました。カルビンはフランスを離れ、スイスのジュネーブに行き、宗教改革運動を活発に展開します。彼の情熱的な活動によって、ジュネーブはプロテスタントの中心となるようでしたが、間もなくカルビンを反対する人たちによって、彼は追放されます。しかし、カルビンの宗教改革に対する熱情は消えず、ジュネーブ教会は再びカルビンを招聘し、牧会とジュネーブ市を助けさせたという歴史的な事実を私たちは知っています。

愛する信徒の皆様、今日を私たちがこの地で生きながら、どのような心を持つべきでしょうか。持っている考えはそれぞれだと思います。しかし、一つはっきりしているのは、この世の多くの苦難の中でも、神様は私を「生き残した少数」として選んだことを忘れてはいけません。なぜ、この時代にこの時に生きらせたのでしょう。それにははっきりした理由があります。歴史の渦巻きの中でも、私を生きらせ、ここに住ませている理由は「神様を証しせよ」とのことです。

ゼデキヤ王と民がバビロンに捕虜になっていく凄絶(せいぜつ)な人生の中でも、神様が彼らの人々の主となられ、彼らに求めているのは、自分たちの生きてきた生活の中で功績や良いものと誤ったことを語らせることによって、新しい生活に進めさせることでした。特に在日同胞の生活の中で、私たちが祖国の地ではなく、日本というこの地で証しなければならないことは、信仰と共に凄絶な痛みの歴史を振り返りながらもこの地で和解を実現するための平和を伝える人になるべきです。

死の中でも生き残った人々は、その苦難を超えて新たに迎える世界を眺められる信仰の目と実践できる力を持つことです。「真理が我らを自由にする」という神様のみことばを基にして生きていることに感謝し、神様の栄光のために自分の命までもささげる覚悟をし、宗教改革を実現した指導者の熱心を見習って改革の精神を持って生きなければいけないのです。このように生きていくときに、神様が私たちの主であることを悟るようになるでしょう。神様がそのように生きますと決心する私たちの主となられ、私たちと共におられます。

<祈祷>

全能なる神様、歴史の瞬間に主のみ旨がその中にあることをわからせて下さり、感謝いたします。

イスラエルの暗黒の歴史の中でも神様のみ旨を語らせるために生き残した人たちを通して証させたように、

今日(こんにち)を生きる私たち信仰の人たちに、神様の証しを許して下さり感謝します。過ちを悟らせて、正しい信仰の道を歩む改革教会の美しい信仰が継承できるように私たちを強めて下さい。感謝しながら、主イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン