2021年7月11日青年主日「青年よ、行く道があります!」鄭然元牧師 

大阪教会主日礼拝 <2021年7月11>五旬節後第7主日/青年主日 

                         説教 鄭然元牧師/通訳 金光成長老

* 題目 : 청년이여 갈 길이 있습니다! 青年、行があります

* 聖經 : 디모데후서2장 22-23  テモテへの手紙二2章22節23

 

</新共同訳>

22.若いころの情欲から遠ざかり、清い心で主を呼び求める人々と共に、正義と信仰と愛と平和を追い求めなさい。23.愚かで無知な議論を避けなさい。あなたも知っているとおり、そのような議論は争いのもとになります。

<説教>

愛する信徒の皆さん、過ぎた復活節の礼拝から3か月ぶりに教会に集まり、礼拝をささげることになりました。コロナ禍中で今も深刻な状態でありますが、皆さんと会えてとてもうれしく思います。今日は在日大韓基督教総会が定めた青年主日です。例年だと青年たちと共に礼拝をささげながら祈りし、激励の時間を設けたのです。しかし、今日は青年たちと共にできず、青年主日礼拝をささげています。

総会が青年主日を定めた理由があります。思春期を脱し壮年に進む入口で信仰的に独立すべき教会の若い青年たちに関心を持つためです。それで青年主日を通して、青年たちを理解することと青年たちが良い信仰生活がきるように祈りと愛を分かち合う時間を設けたのです。中高年の立場からは、青年のやることが生半可に見え、不安な気持ちで見守ることも事実です。しかし、今日の青年は、中高年が見るのとは異なり、非常に合理的であり、自分たちの世界を作りながら、未来に向かって進んでいます。

今日の社会のように価値観が急変する状況の中で、青年たちは途方に暮れ、目標を設定することができず彷徨う場合もあります。社会の貧富の格差と差別主義は若者にとって挫折の原因にもなります。平等な機会が与えられていない閉鎖的な社会で青年たちが自分の夢を実現することはあまりにも高いハードルと感じます。特に在日同胞の皆様がひしひしと身に染みたことは何ですか。民族差別の問題です。職場生活をしようとしても見えない差別の中で挫折感を感じ苦しかったことが今も日本社会に残っています。

若者たちに「夢は何なのか?」と尋ねると、「夢のようなものを持たないのが夢です!」とあまりにも突飛な答えをします。すなわち、夢を持っていてもその夢が実現されることは、あまりにも遠く感じる話だからです。「青年よ、希望、夢を持ってください!」と叫ぶから夢が持てるわけではありません。

そしたら、未来を生きていく、私たちの青年たちにどのような言葉をしてあげればよいでしょうか。

今日のみことばは、使徒パウロが青年の働き人テモテに託す言葉です。テモテはどのような人ですか。テモテは「リカオニア州の町であるリストラで、父はギリシヤ人、母はユダヤ人の間に生まれた混血児、最近の言葉で、多文化家庭に生まれました。事実、父がギリシヤ人であることを考えてみると、多神教的な背景を持っていたとも言えます。それにもかかわらず、「テモテ」は母「ユニケ」と祖母「ロイス」の影響でユダヤ教を信じる家庭だったが、イエス様の福音を受け入れ家族とテモテはクリスチャンになりました。

使徒パウロが第1次伝道旅行で「ルステラ」で福音を伝える途中、命が危ぶまれる出来事がありました。イエス様の福音を伝えるパウロはルステラの人々に石打ちされ、血だらけになり死んだと思われて、城壁から投げられました。その後、約4〜5年が過ぎ、第2次伝道旅行で再び「ルステラ」を訪問します。数年の間に「テモテ」は、キリスト教の福音の内容がよく訓練でき、良い信仰を持つ青年になっていたのです。二テモ1章でも使徒パウロは、「純粋な信仰が祖母と母とそしてテモテのうちにあることを見てとても喜びに満たされた」と記しています。

使徒パウロはルステラを再訪問し、「テモテ」という霊的な子を得ました。テモテをエルサレムまで連れてきて神殿で彼に「割礼」を施すことにより、割礼に対する是非を問わないように事前に賢く対処しました。

その後、使徒パウロはマケドニアで自分が立てた教会で問題が起こり、困難な状況に置かれたときテモテを送り、教会に仕えさせました。テモテは「テサロニケ教会」の中で起こった問題を使徒パウロに報告しました。そして、この問題の解決のために一テサ3節2節で「テモテ」を遣わすと言っています。テモテは、教会のために、コリント、フィリピ、エフェソ、マケドニアで、使徒パウロの後に続いて牧会と宣教活動をしました。

テモテはパウロがローマで殉教をする瞬間までお供した信仰の息子でした。そして、今日、私たちが読んだテモテへの手紙二は、使徒パウロが記録した最後の手紙でした。このように、若い青年テモテが使徒パウロの牧会と宣教を助けることができたのは、家庭での信仰の訓練と同時に、使徒パウロという偉大な伝道者であり指導者に会ったので、このような働きが可能だったと思われます。

《参考》

(日/新共同譯/3절, わたしは、昼も夜も祈りの中で絶えずあなたを思い起こし、先祖に倣い清い良心をもって仕えている神に、感謝しています。4. わたしは、あなたの涙を忘れることができず、ぜひあなたに会って、喜びで満たされたいと願っています。5. そして、あなたが抱いている純真な信仰を思い起こしています。その信仰は、まずあなたの祖母ロイスと母エウニケに宿りましたが、それがあなたにも宿っていると、わたしは確信しています。

使徒パウロの働きの終盤の頃、テモテはパウロから彼の使命について、もう一度挑戦を受けることになります。

《参考》

一テモ1/18. わたしの子テモテ、あなたについて以前預言されたことに従って、この命令を与えます。その預言に力づけられ、雄々しく戦いなさい、19. 信仰と正しい良心とを持って。ある人々は正しい良心を捨て、その信仰は挫折してしまいました。

使徒パウロは、「以前あなたに言った預言に従い、雄々しく戦い、信仰と正しい良心を持ちなさい。」と言いました。パウロは世を去る時が近づいていることがわかり、テモテを催促しまた。テモテ4章9節、「 ぜひ、急いでわたしのところへ来てください」。人が自分の人生の終期が近づいてきたのを悟れば、その最後の瞬間を誰と一緒にしようとしますか。当然家族でしょう。愛する人と親しかった友人ではないでしょうか。家族がなかった使徒パウロは、信仰の息子であるテモテが遠いところにいたが、ローマまで来てもらいたいと願うのです。

テモテはかつての牢獄に閉じ込められたが釈放され、ヘブ13章23節、「わたしたちの兄弟テモテが釈放されたことを、お知らせします。もし彼が早く来れば、一緒にわたしはあなたがたに会えるでしょう。」。最近の言葉に直して表現してみましょう!テモテの「メンター」は、使徒パウロでした。「メンター」とは、相手よりも経験や年輪が多い人で、相手の可能性を見抜き、彼の夢とビジョンが実現できるように導く人を指します。

「メンター」の相手になる人を「メンティー」と言います。まず、メンターはメンティーを真の人格を持って接しなければいけません。また、生活の態度がポジティブであり、オープンマインドが必要です。指導者であるメンターはメンティーの才能を見抜く力があり、開かれた耳を持って、彼の話をよく聞くことができる人でなければならないということはリーダーシップに関する本を一冊でも読んだ人ならば知っている話です。

聖書にメンターとメンティーの関係が多く出ていますが、舅エトロと婿モーセ(出18章)、イスラエルの最初の指導者であったモーセと次世代の指導者ヨシュア(申31:1-8)、友人で互いに助け合ったヨナタンとダビデもあります(サム上18章)、預言者にはエリヤとエリシャ(王上19章)、バルナバとパウロの仲もあります。バルナバがなければ、偉大な福音の伝道師であるパウロもいなかったでしょう。(使徒4:36-37)、パウロとテモテ(使徒16:1-3)、パウロとテトス(二コリ7:6)の場合も、このような関係でした。しかし、誰よりも優れたメンターは弟子たちを訓練させたイエス様であることを誰もが認めることです。その後、宣教の歴史の中で、このような流れを確認することができます。

私たちは歴史を振り返ってみることで、学ぶことがあります。過去を通して、その時代と信仰的な背景がどうだったかを知ることになります。18世紀に最も顕著な教会歴史の特徴の一つが、米国で起きた「大覚醒運動」です。この運動は、ジョナサン・エドワード、ジョージ・ホウィットフィールドのような指導者たちが主に活動しました。これらの積極的な復興運動は、多くの人々に大きな変化をもたらしました。その中でも多くの青年たちに改心(悔い改め)の機会を与えました。青年たちを神様の偉大な福音の働きに同参させました。そして、これらの復興運動に参加した多くの20代前半の若い青年たちが全世界へ散り、宣教活動を始めました。

韓国において初めての宣教師は1885年入ってきた長老教会派遣宣教師アンダーウッドでした。彼は、(Horace Grant Underwood)は26歳、メソジストのアッペンゼラー(Henry Gerhard Appenzeller)宣教師は27歳でした。この二人の宣教師だけでなく、後に韓国に来た宣教師たちは当時の「大覚醒運動」によって影響を受け、宣教の使命を持って韓国に来て殉教を覚悟して、福音宣教の働きを行いました。

日本の場合も同様です。日本にプロテスタントの宣教師が初めて到着したのは、韓国より26年早い1859年です。アメリカ合衆国長老教会の医師ジェームズ・カーティス・ヘップバーン( James Curtis Hepburn)も26歳の若さでペンシルバニア医科大学とプリンストン大学を出て、日本宣教師として来ました。現在の明治学院大学を設立し、聖書の翻訳作業と橫浜に日本初の西洋式病院と教会を立て、医療と教育宣教を行いました。ジェームス・ハミルトン・バラ(James Hamilton Ballagh)も1859年神学生の時に日本宣教の話を聞き、宣教師サポートをすることになります。

青少年の人は価値観の混乱を持っており、何かと直面すればそれに対する善悪の判断を下しにくいのです。しかし、青年の時期に自分の価値観を確立し、善悪の判断をすることができるまでがダイナミックな時期だとも言えます。バラ宣教師は韓国に来た「アンダーウッド」宣教師と同じニューヨークのブランズウィック神学校を卒業して、28歳に日本に来て教会を立て、日本人に初めて洗礼を施した宣教師でもあります。

ダニエル・クロスビー・グリーン(Daniel Crosby Greene)はシカゴ神学校を卒業し、26歳に日本に来た宣教師です。彼は同志社大学を創立することを手伝い、一生涯日本宣教のため、努めました。グリーン宣教師は44年間の宣教生活を終え、天に召されました。彼の墓は同志社大学にあります。

靑山学院大学を設立したメリマン・コルバート・ハリス(Merriman Colbert Harris)宣教師も28歳で日本に来ました。内村鑑三先生に洗礼を授けたメソジスト所属の宣教師でした。当時ハリス宣教師は日本と韓国を担当したメソジスト監督でもありました。最後の瞬間まで日本で宣教活動をし、召天されてからは東京靑山墓地に安置されました。このように、若い青年の時期に神様に会い、自分の使命を悟り、決心して最後までその働きを全うした力は、まさにその若い日に決心したその心をずっと抱いてきたことなのです。

去る6月19日(土)午後に在日同胞宣教のために貴重な足跡を残した故麦仁道宣教師召天20年を迎えて追悼会をオンラインで集いました。26歳の青年の時、日本に来られ召天されるまで在日同胞たちのために宣教活動をした宣教師です。

青年の時期に正しい価値観と神に対する従順があれば、その人は確かに一生涯、神様に向かう心が変わらないでしょう。また、神様との同行を決心した青年が増えるほど、社会が正しく立てられるようになり、教会がその役割を担うことができます。しかし、なぜ今、全世界的に経済的、政治的、文化的に苦しんいますか。それは私たちの時代の青年たちが、当然行くべき道を行かず、ただ、肉の情欲を追っていくからです。今日読んだ使徒パウロの手紙は、テモテにのみ適用されるものではなく、すべての青年たちに言っているのです。

すると、使徒パウロがすべての青年を代表するテモテに求めることは何ですか。「若いころの情欲からとおざかりなさい。」ということです。ここで青年の情欲というのは、人間の強い肉体的な欲望を意味するものです。つまり過度の性欲と権力の欲望、また物質に対する欲求、名声への欲望などを言うのです。これらの肉体的な欲望は、血気盛んな青年たちにとって最も陥りやすい現象です。テモテがいた当時の環境は、性的にひどく堕落したエフェソ地域でした。エフェソはとても商業が発達した都市でしたが、商業的に発達している反面、偶像崇拝と性的に堕落した都市でした。使徒パウロは、このような環境で働かなければならない若者テモテを心配していたのです。

青年の時に最も注意しなければならない一つは、どのような人に会うのかということです。善良な人に会っているのか。それとも悪い人に会っているのか。パウロは、清い心で主を呼び求める人々と共にいなさいと言っています。ここで、清い心を持つとのことは、正しい良心を持っている人を指します。教会でも職場でも、勉強する学校でも私たちの青年たちがどのような人に会うのかということは非常に重要なことです。

ウィリアム・スミス・クラーク(William Smith Clark)宣教師は札幌羊ケ丘展望台のクラーク像と北海道大学の校庭にも銅像があることで有名な方です。クラーク博士は、日本に来て1年という短い期間を宣教師として活動をしました。当時、日本政府の招待で北海道の農業学校で農業と化学を教えながら、青年たちに多くの影響力を及ぼしました。私たちがよく知っている「少年よ、キリストにあって大志を抱け!Boys、be ambitious in Christ」。(青年よ、利己のためやはかなき名声を求めることの野心を燃やすことなく、人間の本分をなすべく大望を抱けと述べたという説がある)クラーク博士の影響を受けた日本の若者たちは後に日本社会で立派な役割を果たすようになりました。クラーク博士が米国の教授でいるとき、新島襄(同志社大学の創始者)が日本人出身の弟子でした。結局、このように日本と深い

関わりを持っていることがわかります。

愛する信徒の皆さん、壮年である私たちが青年たちのためにできることを考える必要があります。今、韓国では「2030」突風が起きています。韓国の第1野党は丁度1か月前である6月11日に党代表を選出しました。36歳の若者が党首になりました。国会議員の選挙に出馬3回して全部落選をした、経験不足だと言われている青年が党の最高指導者になったので、既成世代は不安がります。

実際、韓国は過去2020年4月に総選挙をして国会議員を選出しました。当時29歳の若い女性が最年少国会議員になりました。30代の若い人たちが11人も当選しました。男女比率を見ても、総国会議員300人のうち、男性243人/女性57人、女性の割合が19%でした。

私たちの教会が青年たちを教育させようとしてもうまく行かないと思います。すでに青年が持っている新しいトレンドがあります。青年たちは、彼らが作っていこうとする世界観を持っているのです。ただ、私たちができるのは、彼らのために祈ることと協力することだけなのです。

主の青年たちがいつも「義」と「信仰」と「愛」と「平和」を従って生きて行くよう信仰的な協力をしてあげる必要があります。したがって、私たちが住んでいる地域でそして住んでいる場所の市民として、正しい精神で生きていけるよう祈ることです。今の青年たちが少しの時間が経つと、私たちの教会を担って主の国を広げるのに大きな役割を果たすことになるでしょう。今日、青年主日の礼拝をささげる信徒の皆さんと青年たちの上に主の導きがありますよう祈願いたします。

<祈祷>

朝露のような青年たちを主の神殿に来させ、彼らの生活においてイエス様のように光と塩になる使命を

担い、主のみ国に臨ませてください。青年たちに力と勇気を与えて下さい。

感謝しながら主イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン