2021年7月4日主日礼拝「忠誠によって得た祝福」鄭然元牧師

大阪教会主日礼拝 <2021年7月4日>五旬節後第六主日 

                         説教 鄭然元牧師/通訳 金光成長老

* 題目 : 충성함으로 얻은 기업  忠誠によって祝福

* 聖書 : 여호수아14 6-9  ヨシュア記14章6節9

 

[/新共同訳]

6. そのころ、ギルガルのヨシュアのもとにユダの人々が来た。その一人ケナズ人エフネの子カレブがこう言った。「主がカデシュバルネアでわたしとあなたのことについて神の人モーセに告げられた言葉を、あなたはご存じのはずです。7. 主の僕モーセがわたしをカデシュバルネアから遣わし、この地方一帯を偵察させたのは、わたしが四十歳のときでした。わたしは思ったとおりに報告しました。8. 一緒に行った者たちは民の心を挫きましたが、わたしはわたしの神、主に従いとおしました。9. その日、モーセは誓って、『あなたがわたしの神、主に従いとおしたから、あなたが足を踏み入れた土地は永久にあなたと、あなたの子孫の嗣業の土地になる』と約束しました。

 

<説教>

愛する信徒の皆さん、7月の第1主日です。一週間もお元気でいらっしゃいましたか。

主の恵みが信徒の皆さんに満たされることを祈願いたします。85歳の一人の老人が、イスラエルの民の前で自分の過去を話しています。この老人は、イスラエルの歴史において主演の役割を果たした主人公ではありません。助演の役割をしたと言える人物です。もちろん、人生や自分の生活の中では誰でも自分自身が主演であり、主人公であります。

一本の映画を作るとき、登場する人物の中で中心になる役割をする人に主演、助演という表現を使います。世界の映画界に最も影響力のあるアカデミー賞の授賞式が、4月25日、米国LAで行われました。映画賞授賞式前、年老いた一人の女性俳優に関心が集中していました。主演賞ではなく、助演賞候補に名が上がっていました。発表の結果、「ユン・ヨジョン」韓国人の俳優が女性助演賞を受けることになり、世界的なニュースになりました。英語圏の人でない74歳の老年である韓国人の女性俳優が受賞されたのです。素晴らしい一本の映画には主人公がいれば助演もおります。

カレブは、イスラエルの歴史において非常に重要な時期に大切な仕事を引き受けた人でした。モーセと共にエジプトを脱出したイスラエルの民がゴーセンの地から離れて「カデシュ・バルネア」に到着しました。一日も早く神様が備えてくださった「乳と蜜の流れる地」に入らねばならないのに思い通りにことが運びせんでした。モーセは、部族ごとに一人ずつ、賢くて判断力があり信頼できる指導者を選んでもらい、遣わしました。(民数記13章)偵察する12人が選ばれ、集まりました。

カレブは、ユダの部族のエフネの子です。「カレブ」という意味は、「犬」という意味だが、それは僕としての忠誠心と愛情を表しています。カレブを「ケナズ」としたが、「ケナズ」はもともと、エドム族の中の一つです。カレブの家門は、純粋なヘブライ血統ではないが、ユダ族に流入されたエジプト生まれの人です。このように、イスラエルの共同体が出エジプトをする過程でもヘブライ血統ではない周りの人々とどのような関係であったかを教えてくれます。カレブをユダ子支派の代表者、指導者に選んで偵察させたのは、非常に開放的だったことがわかります。今日(こんにち)の教会も、人種や民族、身分と地位を超越した開放的な共同体を作り上げる必要があると思います。

民数記13章-14章は、カナンの地、すなわち今のパレスチナを見回って偵察したことをモーセと民の前で報告している内容です。 10名は、「その土地の住民は強く、町という町は城壁で囲まれ、大層大きく、しかもそこで巨人族であるアナク人の子孫を見た」、「あの民に向かって上って行くのは不可能だ」、「彼らは私たちよりも10倍、百倍強い」、「私たちは、自分がいなごのように小さく見えたし、彼らの目にもそう見えたに違いない」と報告しました。この報告を聞いた、共同体全体は声をあげて叫び、夜通し泣き言を言いました。イスラエルの人々はモーセとアロンに対して不平を言います。 「私たちがエジプトの国で死ぬか、この荒れ野で死ぬ方がよほどなしだった。どうして主は我々をこの土地に連れて来て、剣で殺そうとされるのか」と叫びます。イスラエルの民は「妻子は奪われてしまうだろう。それぐらいなら、エジプトに引き返した方がましだ。」と言います。

そのとき、カレブは民を静め、集中させた後に進言しました。「断然上(のぼ)って行くべきです。そこを占領しましょう。必ず勝てます」。しかし、イスラエルの民の泣き声に埋もれてしましました。今度はヨシュアとカレブが衣を引き裂き、イスラエルの共同体全体に訴えました。「我々が偵察して来た土地は、とても素晴らしい土地だった。もし我々が主の御心に適うなら、主は我々をあの土地に導き入れ、あの乳と蜜の流れる土地を与えて下さるであろう。ただ、主に背いてはならない。あなたたちは、そこの住民を恐れてはならない」。しかし、共同体全体は、彼らを石で打ち殺そうとしました。カレブは完全に主に従った人で、他の10名の偵察者とは違って勇気ある行動をしました。そのとき、主の栄光が臨在の幕屋でイスラエルの人々すべてに現れました。信仰と不信仰はこのように一つの事件を見ても雲泥(うんでい)の差があります。カレブは、主は我々と共におられることを信じる人でした。不平、不満、不信に覆われているイスラエルの民の前でもただ主を信頼し、未来を見て希望を持つ信仰の人でした。

今日の本文は、カレブがどんな人だったかをよく示しています。先ほど説明した偵察後の報告を通して、出エジプトした人々の中で、カナンの地に入った人は、ヨシュアとカレブ二人だけだと聖書は何度も記しています。カナンの地に入ったカレブは85歳の高齢の老人でした。しかし、カレブは、この年齢でもヨシュアに巨人たちが住んでいる城壁のある大きな町を私にくださいと懇願したほどでした。このようにすることができたのは、敵が自分たちよりも優れていることを知っていても、敵よりも偉大な神様の能力を信じていたからでした。

「カレブ」の名前の意味が「犬」という言葉だと申し上げました。動物の中で犬は人と親密な関係を持ち、人と共存する動物です。犬は主人に非常に忠実な動物と言われます。今日の聖書のみことばで、カレブを主に従いとおした人だと言います。従いとおした、忠誠という言葉は、国、組織、指導者などに逆らうことなく、仕え従うことを意味しています。これに該当する(ヘブライ語)「ネーマン」(ne’eman)は確実、真実という意味だが、「アマン」(aman)から由来した言葉、「アーメン」と同じ意味を持っています。

主はモーセを「神の家全体の中で忠実だった者」と褒められました。ヘブライ人への手紙の著者もモーセを指し、「将来に語られるすべてのことを証しするために、仕える者として神の家全体の中で忠実でした」と言及しました。その他、旧約の人物の中ではアブラハム、ダニエル、ハナニヤを忠実な人と記しています。

新約聖書で、イエス様を「キリストは御子として神の家を忠実に治められた」としました。イエス様も、忠実な良い僕は主人の楽しい宴に一緒に座ると言われました。それだけでなく、忠実な僕たちには命の冠が与えられることになると約束されました。誠実は、聖霊の九つの実の一つです。神の秘密を引き受けた者が求めなければならない徳目が誠実だとしました。(ギリシャ語)「ピーストス」は、頼る、従う、信頼される、誠実さ、信頼性の高い、忠実な証人という意味を持っています。反対語(ギリシャ語)「アピーストス」は、信じない、頼れない、信頼できないという言葉です。忠誠と誠実を表現する名詞として(ギリシャ語)「フィッシュティス」は、信念、確実性、意志、保障、保証という言葉として使用されます。もう一つ、言語学的に言うと忠誠と誠実が英語表現では、同じ言葉を使っています。 「Faithfulness」「信仰に満ちている」忠誠と誠実は信仰なしでは不可能な行動であることが分かります。

カレブを「誠実な人」としました。7節を見るとカレブは45年前のことを想起しながら、少し躊躇せずにはじらわず、神の命令に従いとおしたと告白しています。信仰人の告白は、人の前ではなくて、神様の前で神のみ旨と命令に従いとおしたと明確に告白できなければいけません。カレブの「私が思ったとおりに」という言葉は、神様に向かう誠実な心があったことを意味するものです。決して人の顔色を窺わなかったとの意味です。また、神様に対して誠実であるという言葉は、人たちの言葉と神様の言葉が異なる場合、神様の言葉と神様のみ旨に従うことを意味するものです。

カレブは民の反応を全く意識せずに、自分の誠実さと神様に従う心で、偵察の結果を報告することができたのです。信仰的に「誠実」という言葉を最もよく表現してくれる言葉が8、9節に記録されています。「わたしは、わたしの神、主に従いとおした」というみことばです。完全に(マレ)は「満たす」、「満足させる」という意味です。つまり、神様のみ心を満足させることが誠実であるという意味です。

誠実なカレブは神様の御心を満足させた人であり、ただ主を信頼し、主に従いとおしたので思ったとおりに

報告ができたのです。詩編31:24「主の慈しみに生きる人はすべて、主を愛せよ。主は信仰ある人を守り/傲慢な者には厳しく報いられる。」詩編7:8には「主よ、諸国の民を裁いてください。主よ、裁きを行って宣言してください/お前は正しい、とがめるところはないと」。

再びお話ししますと、「神の裁きの尺度(しゃくど)、基準が誠実」ということです。誠実(エムト)は、「正しい」、「確実である」、「強固である」という意味があります。約束において、双方の間で誠実が重要であるように、神様と信徒の契約関係においても誠実さによって固く結ばれるようになります。カレブは正しく、確実で、強固な信仰の所有者であったので、出エジプトしたイスラエルの民は荒野で生涯を終えたが、彼はヨシュアと共にカナンの地に入る祝福が享受できたのです。大変な時や苦しい時も、敵陣の前や勝利の後も、いつどこでも主を信じて従ったカレブは、誠実な信仰人であり、神様は誠実な彼を見守り、賞を与えられました。

ヨシュアは、カレブの話を聞きました。そして彼は土地を分配します。13節には、「ヨシュアはエフネの子カレブを祝福し、ヘブロンを嗣業の土地として彼に与えた。」と記しています。旧約聖書の嗣業(ナハラ)は「財産、所有、相続」の意味で使われています。神様がイスラエルの部族に分配された約束の地、「土地」のような概念です。イスラエルの民に、嗣業とは、神様が彼らに与えられた贈り物です。最終的には神様のもののために、自分たちは管理人として嗣業をよく保たなければならないと思いました。それ故に、神様が下さり先祖に受け継いだ嗣業を売るなり移すことは、罪だと考えたのです。

映像で礼拝をささげる信徒の皆様、この礼拝堂で共におられる皆様!

神様が私たちを呼び、神様の子として、神様の僕としてならせて下さいました。私たちに与えて下さった全ての祝福を考えれば、感謝しかありません。私が神様のみ前でどれほど誠実で従いとおしたのかを顧みてみましょう。神様のみ前でもっと誠実で従いとおす人になられますように祈願いたします。

今日、我々が享受する全ての祝福が、我々の子孫の嗣業になりますよう切に願います。この嗣業は神様を正しく知る知恵です。イエス・キリストの十字架の死と復活を信じる信仰です。この福音の喜びを持って、分かち合うことに忠実な良い僕になりますよう主のみ名で祈願いたします。

<祈祷>

私たちに嗣業を祝福として与えて下さるヤハウエ神様!

誠実と忠誠で主に仕え、愛することができるようにならせて下さい。

与えて下さった全てに感謝しながら、隣人と分け合うことができる信仰を与えて下さい。

天の国の祝福を分け合う私たちにならせてください。

感謝をささげながら、主イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン