2021年6月13日子ども主日礼拝 鄭然元牧師

大阪教会主日礼拝 <2021年6月13>五旬節後第三主日/子ども主日

                         説教 鄭然元牧師/通訳 金光成長老

 

題目 : 훌륭한 부모 좋은 자녀 立派親良ども 

聖經 : 잠언 23장 22절-26절 箴言23章22節26

 

<개역개정>

  1. 너를 낳은 아비에게 청종하고 늙은 어미를 경히 여기지 말지니라. 23. 진리를 사되 팔지는 말며 지혜와 훈계와 명철도 그리할지니라. 24. 의인의 아비는 크게 즐거울 것이요 지혜로운 자식을 낳은 자는 그로 말미암아 즐거울 것이니라. 25. 네 부모를 즐겁게 하며 너를 낳은 어미를 기쁘게 하라. 26. 내 아들아 마음을 내게 주며 눈으로 길을 즐거워할지어다

</新共同譯>

22. 父に聞き従え、生みの親である父に。母が年老いても侮ってはならない。23. 真理を得よ、知恵も諭しも分別も手放すな。24. 神に従う人の父は大いに喜び躍り/知恵ある人の親は、その子によって楽しみを得る。25. 父が楽しみを得/あなたを生んだ母が喜び躍るようにせよ。26.わが子よ、あなたの心をわたしにゆだねよ。喜んでわたしの道に目を向けよ。

 

<説教>

愛する信徒の皆さん、一週間いかがでしたか。

コロナ禍が延び、映像礼拝でささげる期間も長くなりました。一週間、一週間信徒の皆さんの安全と健康のため、祈っております。今日は在日大韓基督教会総会が定めた「子どもの主日」です。各家庭の宝で、教会の未来と天の国の主人公になる子どもと青少年の信仰教育に関心を持つことを目的としています。

信仰教育の出発点はまず家庭だと申し上げます。父母と子どもとの関係が信仰教育の第1歩であるのは言うまでもないです。説教者は説教の題目を決める時、色々と考えを巡らせます。今日の題目は「立派な親、良い子ども」としました。「良い親、立派な子ども」も同じ意味を持つことができると思います。

立派な親、良い親から良い子ども、立派な子どもが育つことは当然だからです。子どもが生まれ、養育され、成長し自立できるまで親は教育します。信仰教育も同じです。教育というのは一日に成り立つものではないから、時間と手間をかけ持続的に目標に向かって進むのではないでしょうか。

時間的に計ると幼児期から思春期と青年期までの教育期間が20年以上かかります。たくさんの教育費もかかります。日本の場合、幼稚園から大学を卒業するまでかかる費用の統計を見ました。国公立と私立学校の差がなんと2.5倍近くなりました。国公立の場合、平均1,000万円、私立の場合はなんと2,500万円でした。国家予算を見ても甚(はなは)だしいです。2021年日本文部科学省の統計をみると教育費予算が4兆216億円です。国家予算が大きい国の中でも、未来のための教育投資に少し異なる点が見受けられます。GDP(國內總生産/gross domestic product)の割合で見ると、ノルウェーやフィランドのような国は6.3%で世界最高です。韓国と米国は4.1%です。これに比べて、日本は3%に過ぎないです。

親たちはわたしたちの子どもが何とか良い教育を受け、立派な人生を送るよう願います。それだけでなく、

信仰の家庭の子どもらしく信仰生活も真摯に送るように望みます。信徒の皆さんはお子さんたちが、どのような信仰人になることを願っておられますか。私たちに目標があれば、その目標を達成するため何かをすべきです。それもとても具体的に行動すべきです。親が子どもに期待し、望みがあるのと同じく、子どもたちも親に望むことがあります。

今日の本文のみことばの理解をこのようにすれば、良いかと思います。

22節「父に聞き従え、生みの親である父に。母が年老いても侮ってはならない。」としました。私たちの子どもが成長し、自分を育ててくれた父親が言うことを聞き従い、年老いた母親を侮らない人になれば成功と言えるでしょう。24節にも「神に従う人の父は大いに喜び躍り/知恵ある人の親は、その子によって楽しみを得る。」と記しています。

この言葉の他の意味は「親は子がよくなると喜び、知恵ある子になれば誇らしい親になる」とも考えられます。この世の全ての親は自分の子が良く成長すると喜びます。知恵ある子だと、他人に自慢したくなるほど

嬉しいのです。しかし、この世の中で、親がどれほど願い望んでも子ども教育の成功が簡単ではないことを私たちはよく知っています。「真理を得よ、知恵も諭しも分別も手放すな。」と話されています。真理を得て、愛やお金と替えずに知恵と分別力を買いなさいとの教訓です。無論、私たちが真理というのはお金で

売買できるものではないことを知っています。愛も分別力も同じです。

この例えは人生において何が重要なのかを話しています。26節は「わが子よ、あなたの心をわたしにゆだねよ。喜んでわたしの道に目を向けよ。」と記しています。このみことばも同じく、「わが子よ、十分に注意して聞きなさい。どうか私が教える通りにしなさい。」とのことです。皆さんと私は子どもにどのように教えましたか。主は喜んで私の道に目を向けよと話されました。

私たちは、私は一体何を教えたのかをもう一度省みるようになります。私たちは大切なものをきちんと守り、持っていたいと願います。このように真理と知恵を持って生きながら、父親を楽しませ、母親を喜ばせるように努力しなさいということが教訓の中心です。このような子に養育させるため、親も血が滲むような努力をせざるを得ないことを私たちは知っています。いつも暗いニュースが溢れていますが、先日、このようなニュースがありました。

父に腎臓を移植させてあげ、病院に入院した息子の姿をニュースで見ました。親から与えられた命に感謝しながら生きてきた息子がいます。ところが、父の腎臓が非常に悪くなり、腎臓移植が必要になりましたが適当な人が見つかりません。それで、息子は父のために自分の命の一部分である腎臓をあげて、それができたことで満足している表情を見ました。無論、人間の道理でもありますが、息子が父への愛で自分の一部をあげるという感動的な姿でした。このような子どもばかりいればよいけど、この世はそうはいかないのです。

このような職業があります。「遺品整理士」という言葉を聞いたことがあると思います。亡くなられた人たちが

残していった最後の痕跡を整理する人たちが「遺品整理士」です。韓国で一冊の本が刊行されました。専門クリーニング業者であるバイオハザードを設立し、今まで千件を超える現場を整理しながら経験したことを基にして本を作ったのです。著者はキムセビョル・チョンエウォン、二人です。亡くなられた人たちの遺品を整理しながら、死が決して遠くない事実を知らせる内容です。生と死の真ん中で、周辺の人たちと共に

一日一日生きていくことから力を得ると言っています。

あるお爺さんが亡くなってから2週間後に気づき、住んでいた家を整理してほしいとの要請でした。約束された時間に家を訪問すると、最後の整理する時間だから子どもたちも来ていました。遺族は箪笥の扉を開けっぱなしにし、布団や引き出しを引っ張り出し、何かを探していました。故人の娘と義理の息子、息子のような人たちでした。大げさに遺書を探していると思ったが、家の契約書などの言葉が聞こえてきました。「一体どこに隠してある?」「金の指輪と金のヒキガエルもあると聞いたが、ないじゃない」。寝室から何も出ないと家族たちは他の部屋や茶の間を隈(くま)なく探し始めました。どうせ出たら渡すのに、家族は家中をごちゃごちゃにひっくり返しており、掃除をしにくくさせていました。いくら依頼人で顧客だとしても、あんな人たちのためにきれいにしなければならないもんかとも思ったそうです。

遺族たちは自分たちが欲しがっていたものを見つけられなかったのか、苛立っていました。その中の一人が大切なものが出てきたら伝えて下さいと要望しました。無論、遺品整理士の仕事は物を分類して捨てることと、家族に返すものを整理することです。2年前、先に亡くなったお婆さんと今回亡くなったお爺さんが一緒に撮った写真の額縁が出ました。これはどうすれば良いですかと息子に渡すと、彼は受け取って捨てるものを積んであるトラックに投げてしまいました。大きな音を立てながら額縁のガラスが割れました。父と母が一緒に撮った写真でした。忌まわしいのであれば、写真だけでも取っておいてもよさそうだったので、額縁を持ち上げるとその裏面に何かが貼られてありました。額縁の裏面に差し込んでいる封筒に家の契約書と現金が入っていました。

遺品整理士はこの封筒を息子に渡しながら、割れた額縁からお父さん、お母さんの写真を抜いてあげました。息子は面倒くさがる気配がありありでしたが、自分もきまり悪かったのか、しぶしぶ受け取りました。息子には家の契約書と現金だけが重要だったのです。その現金は葬式の費用に当てられて、死ぬ間際までも残された子どもの心配をするのが親だと言います。亡くなったお爺さんはまさか親の写真は捨てないだろうと思ったのでしょう。しかし、子どもたちは故人になった自分の親の写真をゴミ扱いしたのです。妻に先立たれ、一人で暮らしていたお爺さんの死を知ったのも子どもたちではなく、隣に住んでいた隣人のお爺さんでした。それも2週間過ぎてから知ったと著者は言っています。

第2次世界大戦が終わり、1952年には原子爆弾より米国を震わせた病気が大流行しました。ポリオでした。一年の発病者が6万名で、死亡者が3,000名を超え、22,000名がポリオに苦しみました。数年間続いたポリオの苦痛で子どもたちが死んでいく状況の中、ワクチン開発が始まりました。

ジョナス・エドワード・ソーク(Jonas Edward Salk)博士はユダヤ人で米国の医学研究者であり、ウイルス研究者でしたが、ポリオワクチンを開発しました。今、全世界がコロナウイルス感染禍の中、世界の研究所や製薬会社がワクチンを開発し、接種をしています。この開発したワクチンに対するワクチン特許保護措置を免除するように要請したが、結局受け入れられなかったのです。甚大な研究費や学者たちが苦労したのに、無料提供できるわけがないのです。ポリオも同じでした。開発に成功した時、米国の製薬会社が先を競って、ワクチンの特許権を自分の会社に売るように要請しました。その時、ジョナス・ソーク博士はこのように話しました。「特許なんてありません。太陽にも特許を出すんですか。」と言いながらワクチンの製造工程を公開し、どの会社も作れるようにしたのです。

どれほどの良いものでも自分のためだけに使おうとすれば、世に有益を与える人ではありません。私たちが

子どもを幸せな子に育てるのか、もしくは成功した子に育てたいのかを自問自答してみる必要があります。

主は主の子たちが世に有益をもたらす道具として使われるのを喜ばれると思います。親である私たちが子どもたちに何を教え、何を残すべきか。これがまさに子ども教育の中心課題です。立派で良い親から立派で良い子どもが生まれるでしょう。

親たちと教会学校は私たちの子どもたちや青少年たちに何を教え、分かち合うべきかを深く考えなければなりません。主のみことばに従い、立派で良い子どもたちになりますよう、養育しなければいけないと思います。主の導きを待ち望みながら、みことばを共にしましょう。

<祈祷>

聖霊様が私たちを教え、憶えるようにして下さることを信じ、感謝します。

今日、子どもの主日を迎え、大阪教会と親たちが神様のみことばを良く教え、社会に貢献する

有益な生活を送れるように子どもたちを教育し、祈りをささげられたことに感謝します。

教師と学生たち、私たちの家庭が一つになり、主の子としてよく育てるように導いて下さい。

感謝しながら、主イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン