2021年 5月 23日> 聖霊降臨主日「約束された聖霊が来られ」鄭然元牧師

大阪教会主日礼拝 < 2021 5月 23> 聖霊降臨主日

                         説教 鄭然元牧師/通訳 金光成長老

 

* 題目 : 約束された聖霊が来られ

* 聖經 : 요엘 2 28-32(日/ヨエル31-5) 

()新共同訳]3

1.その後/わたしはすべての人にわがを注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言し/老人は夢を見、若者は幻を見る。2.その日、わたしは/奴隷となっている男女にもわがを注ぐ。3.天と地に、しるしを示す。それは、血と火と煙の柱である。4.主の日、大いなる恐るべき日がる前に/太陽は闇に、月は血にわる。5.しかし、主の御名を呼ぶ者は皆、救われる。主が言われたように/シオンの山、エルサレムには逃れ場があり/主が呼ばれるりの者はそこにいる。

<説教>

愛する信徒の皆さん、一週間お元気でいらっしゃいましたか。

ほとんどの信徒は映像で、何人かは教会に出て礼拝をささげておられます。主の祝福が共にありますよう願います。今日、教会の節期は、聖霊降臨主日です。イエス様が昇天された後、120人の弟子たちは、エルサレムにあるマルコの家の上の部屋に集まりました。彼らはイエス様が約束された聖霊を切に願いながら、熱心に祈りました。五旬祭の日になったとき、彼らはすべて約束された聖霊の洗礼を授けられました。

この時期、エルサレムには、ユダヤ人の祝日で五旬祭の日[Pentecost ペンテコステ]を守るために、あちらこちらから多くの人々が集まってきました。ペンテコステは旧約の3大祭りの一つである「七週間」のギリシャ語表記です。レビ記23:16の「五十日」を「ペンテコンタ ヘメラス」(pentekonta hemeras)にしたがここで「ペンテコンタ」は「50」という意味です。「七週間」は過越祭の日に麦束をささげてから50日になる日に祭りが始まるからです。この日から新穀(しんこく)の献げ物をささげ始めます。もう一つの重要な意味を持つのは、イスラエルの民が出エジプトをしたとき、シナイの荒野に着き、律法をもらうようになりました。神様との契約を結び、契約共同体になったことを記念する節期でもあります。ペンテコステは単純な麦秋(ばくしゅう)感謝節ではなく、神との契約によって神の民になったという意味深い節期なのです。

ペンテコステは収穫に対する感謝と律法をいただいたことを感謝する二重的な意味を含めているのです。

神様はこのように意味ある日にもう一つの歴史的なことを加えました。それは、約束して下さった「聖霊」すなわち「神様の霊」をこの世に臨在されました。預言者ヨエルを通して見せた預言を先ほど読みました。

「1.その後/わたしはすべての人にわがを注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言し/老人は夢を見、若者は幻を見る。」と話されました。それが、この神様の預言が成し遂げられました。すなわち、神様の約束通り聖霊が弟子たちに下り、神様の新たな仕事行い始めました。イエス様も十字架につけられる前、弟子たちに約束の言葉を与えられました。ヨハネによる福音書16章7節に

「しかし、を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、辯護者はあなたがたのところにないからである。わたしが行けば、辯護者をあなたがたのところに送る。」と話されました。

イエス様がこの世から去っていった後、「弁護者」すなわち「聖霊」が来るとの約束です。ここで、一つの質問が浮かびます。弟子たちはイエス様と3年と言う年月を共に過ごしました。イエス様から学んだ真理と教えだけで彼の精神を引き継ぐのは不可能だったのでしょうか。この質問は今を生きる私たちにも該当されます。私たちがみことばを通して学んだイエス様の生き方と精神だけでは信仰生活が不可能なのでしょうか。この質問は「聖霊はどのようは方で、どのような役割をする方」なのかを定義するのに必要です。

聖霊[Holy Spirit]はギリシャ語で「プネウマ(pneuma)」です。「プネウマ」は新約聖書で聖霊の意味として一番よく使われた言葉であり、旧約聖書の「ルーア(ruach))と対等な意味を持っている言葉です。「ルーア」が旧約聖書で「神様の霊」の意味でよく使われているように新約で「プネウマ」は聖霊の意味でよく使われました。このことばを韓国語聖書では「聖潔の霊」、「御父の霊」、「その御子の霊」「イエスの霊」、「キリストの霊」と表現しています。

旧約聖書で、預言者は聖霊の助けをもらい、神様の民と全ての人にも聖霊は注がれると今日のヨエル書のみことばに出ています。神様の霊が選ばれた民に活力を与えるだろうと預言的に暗示しています。

さらに、来られるメシアには能力を、すべての人類には溢れるほど注がれるその時を預言しています。弟子たちと信じる信徒たちにも聖霊は必要であり、その聖霊がくることを言葉で預言して下さったのです。その約束の聖霊がこの地に降ったのです。イエス様の約束通り、降臨した聖霊がクリスチャンに行うことは何でしょうか。降った聖霊が行ったことがあります。

一つ目は、聖霊降臨を信じている人たちに夢を与えて下さいました。イエス様の弟子たちが心を一つにし

熱心に祈った時聖霊が降り、彼らは神の国の夢を抱けるようになりました。その夢は世を支配する悪霊は去り、神様が治める天国の夢です。悪霊が司ると人間は貪欲となり罪悪に陥ります。悪霊は全ての夢を捨てさせ、諦めさせ、絶望させます。しかし、聖霊がとどまれば、新しい夢を見るようになります。聖霊降臨で神の国の夢を抱くようになった弟子たちは初代教会を建て、地の果てまで福音を宣べ伝えました。

今日、クリスチャンにも同じ夢が必要です。 物質主義と世俗主義に捉えられている現代の人々は真実な夢を失い彷徨っています。彼らに真なる人生の夢を提供し、救いに導く夢を抱かせないといけません。

去年から経験しているコロナ禍の中でも、私たちが祈り、期待していることがあります。一日も早いコロナの終息を期待しています。無論、科学や医学的にワクチンを接種することによって、免疫ができ感染を遮断することができることもわかっています。

イエス様の公(こう)生涯(しょうがい)の期間、多くの病人が集まってきました。時には、イエス様が病で苦しんでいる人たちを尋ねて行ったこともありました。エルサレムを訪問した時、ベトザタの池に行きました。そこは神秘的な物語が伝えられていました。天使が通ったあとに池の水が沸騰するが、その時一番に池に飛び込む病人はどんな病であろうが、綺麗に治るとの話でした。その池に行かれたイエス様は38年間病気で苦しんでいる人を見、「良くなりたいか」と言われました。38年間病人だった人は自分が治る希望を捨てて生きていました。深い絶望で人生を諦め、諦念した状態で生きていたのです。しかし、ある日彼に来られたイエス様が「良くなりたいか」と聞かれました。この質問は神秘であり強力でした。元気で幸せに暮らしている人たちと一緒に生活できる夢が彼の暗鬱な心に芽生えました。そして、イエス様は「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」と命令されました。

今日もこの時間、神様はクリスチャンに夢を約束されました。神様の中で、平和で正義ある世界が創り上げられる夢です。多くの人が絶望し諦めたまま生きているが、聖霊がとどまり、神様のみ声をきくと諦めていた夢を再び抱くようになります。

約束通りこの世に降った聖霊は私たちに救いに至る信仰を与えて下さいます。神様は全能であり、信仰を持っている人を通してその全能な力が現われます。イエス様は病を癒すたびに、信仰を確認し、「あなたの信じる通りになる」と話されました。信仰の人にはすべてが可能です。使徒パウロは「わたしを強めて下さる方のお陰で、私はすべてが可能です。」と言いました。神様の夢を抱き、現実化しようとするとき、多くの障害や妨害や試練があります。しかし、信仰の人には問題ではありません。信仰の人は問題を超えておられる神様を崇めているからです。

約束通り聖霊が降り、弟子たちに信仰を与えました。弟子たちは彼や彼らを逼迫(ひっぱく)する宗教指導者や群衆を眺めずに共におられる神様に注目しました。エルサレム神殿の美しい門のそばに座っていた生まれながら足の不自由な人を立ち上がらせた奇跡を起こした後、ペトロは神様がなさったことだと宣布しました。弟子たちを脅かす議場で、堂々に話します。「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいどうか考えて下さい」。聖霊が彼らに与えた信仰に世間は勝てませんでした。今日を生きるクリスチャンは約束された聖霊で満たさらなければなりません。聖霊の人は劣等意識や敗北意識に陥りません。平凡であっても、聖霊様を受け入れることによって、最も偉大な人生を生きるようになります。

3.約束の通り降臨した聖霊は能力を与えて下さいます。

使徒言行録1章8節であなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける, わたしの証人となる。」とイエス様は約束されました。力はギリシャ語で「デュナミス」と言います。聖霊の力は世を変える前に、クリスチャンを変えます。聖霊は平凡な弟子たちを偉大な使徒にならせました。ガリラヤ湖の漁師だった彼らを卓越な伝道師に変えられました。ガリラヤの田舎者を、全世界を抱く宣教師にさせました。恐れに勝ち抜き、勇気と能力を持つ証人にさせました。約束された聖霊を授けられた使徒パウロは全人生をささげて証人になられました。パウロは使徒言行録20:24でこのように叫びます。

「しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神のみの福音を力く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。

最後のもう一つは、約束された聖霊の賜物を授かることです。

約束された聖霊の臨在を通して、各自聖霊の賜物(カリスマ)を授かるとのことは、神様の様々な恵み(カリス)を受けた管理者、奉仕者になることを意味します。使徒ペトロの第一手紙、一ペト4:10

あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまなみの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい.

聖霊の賜物を授かった人の使命は仕え、奉仕することです。使徒パウロは聖霊の賜物を授かり、教会を造り上げるために使いなさいと言いました。(一コリ14:12)実はこのような全ての賜物を神様のお呼び、すなわち使命と直結しているのがわかります。賜物を授けるのは聖霊ですが、聖霊は神の子、イエス・キリストと父なる神の約束と繋がり、働くことがわかります。

愛する信徒の皆さん、今日を生きるこの時代の苦難はコロナ禍によって苦しみを受けて生きていくことだとも言えます。このような苦難までも、約束されたみことばで勝ち抜き、克服しましょう。苦難の中でも、その苦難に勝てる信仰を与えて下さり感謝です。神様は聖霊の力と賜物を授け、この時代を勝ち抜けるように導いて下さるでしょう。

2021年 聖霊降臨節・ペンテコステは私たちの信仰を顧みる尊い時間になりますよう、祈願いたします。

聖霊様と共にすべての苦難に勝ち抜くようにしましょう。

<祈祷>

聖霊様が信徒たちに授ける夢と信仰と賜物を通して、神様の国を造り上げるようにさせて下さり感謝します。慈しみ深い聖霊様が今日もみことばで、私たちと共におられることに感謝します。私たちを助ける弁護者の約束の言葉に従い、信仰を持って歩めるようにさせて下さい。主イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン