2021/4/11「復活されたイエスがガリラヤで」鄭然元牧師

大阪教会 主日礼拝 < 2021 4月 11復活節第二主日

                         説教 鄭然元牧師/通訳 金光成長老

* 題目 : 復活されたイエスがガリラヤで

聖經 :  ヨハネによる福音書21章1節-6節

 

[()新共同譯]

1. その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。2. シモンペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。3. シモンペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。4. 既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。5. イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。6. イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。

<説教>

愛する信徒の皆さん、一週間どのように過ごされましたか。3月7日から礼拝堂に集まって礼拝をささげながら、共に喜びました。しかし、一ヶ月で再び映像礼拝をささげるようになってしまいました。関西地域でコロナウイルス感染状況が酷くなりました。大阪教会の堂会は信徒の健康と地域住民のことを考慮し、このような決定を下しました。大変でも、ワクチン接種が順調に進み、社会全体が落ち着くまでもう少しの我慢をお願いします。先週、復活節礼拝を教会で皆さんと共に捧げられただけでも感謝です。

復活されたイエス様が初めて会ったマグダラのマリアに話された内容を覚えているでしょう。弟子たちのところに行き、約束した通りガリラヤで会おうと伝えるようにさせました。イエス様はエルサレム、ゴルゴタの丘で十字架で死なれました。アリマタヤのヨセフが家族のために準備しておいた新しい墓に葬られました。3日目に復活されたイエス様に初めて会った人は、マグダラのマリアでした。マグダラのマリアに言われた言葉、なぜ!イエス様は弟子たちにガリラヤで会おうと話されたのでしょうか。イエス様の墓はエルサレムにあり、ガリラヤはそこから100Km以上離れた所です。なぜ?ガリラヤで会おうとしたのでしょうか。皆さんも一度考えてみてください。

新約聖書の四つの福音書で復活されたイエス様は11ほどの行動があると数えられます。初めは死んだイエス様の体に塗る香油を持って墓に来たマグダラのマリアに現れました。そして墓に行った他の女性たちにも現れました。3番目は、エマオに向かっていた2人の弟子と共に歩きながら、話し合いました。弟子たちが集まっているところに行きましたが、その場に弟子トマスがいませんでした。後でトマスとイエス様が会ったとき、トマスが抱いていた疑いを晴らすため、ご自分のわき腹と手に残った痕跡を触らせました。

なぜ!ガリラヤで弟子たちに会おうとされたのでしょうか。皆さんと私が知っているガリラヤを考えながら、このみことばを紐解いてみましょう。ガリラヤ(Galilee)は、一般的にイスラエルの地のうち、パレスチナ北部を指します。ヘブライ語の「ガリ」(galil)という言葉は、「円」、「巡回」、「地域」という意味を持っています。ここには、BC63年ローマ人の行政区域に入るまで、決められた境界線がありませんでした。ガリラヤはアッシリヤ人が北イスラエルを滅亡させたとき(BC734-722)からマカバイ期間(BC80)まで、ユダヤ人による統治ができませんでした。それで、約800年程度はユダヤ政治外におかれていたと言えます。

韓国語の聖書イザヤ書9章1節で「異邦のガリラヤ」(イザ9:1/大いなる光を見死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。)という言葉が出てきます。しかし、日本語の聖書は、この言葉さえも出ません。

再び言うと、イスラエル北部の広い地域を「ガリラヤ」と呼ばれました。イエス様が育った「ナザレ」もまさにガリラヤ地域内にあります。イエス様を「ガリラヤ人」と呼び、すなわちこの地域出身であることを指します。

エルサレムはイスラエルの南に位置し、「ガリラヤ」は北です。その中間に位置している地域が「サマリア」です。当時、ユダヤ人たちは、「サマリア」地域に住んでいる人々を、ユダヤ人、イスラエル人として扱いませんでした。サマリアよりももっと北に位置する「ガリラヤ」は、地方の方言が強く、生活習慣も異なりました。エルサレムから遠く離れていた地域だったので、政治的にも疎外地域でした。さらには、ガリラヤでは預言者すら出ない地域だと見下されていました。このような「ガリラヤ」なのに、なぜ!イエス様は弟子たちに「ガリラヤで会おう!」と言われたのでしょうか。

「ガリラヤ」と言えば、次に考えられるのが「ガリラヤ湖」です。先ほど話したように、「ガリラヤ」地域のガリラヤ湖は、イスラエルで二番目に広い湖です。今日の本文では、「ガリラヤ湖」と言わず「ティベリアス湖畔」と記しています。これはヘブライ語の呼び方です。イエス様の3年間の公生涯の期間、「神の国」を教えた所が「ガリラヤ地域」でした。飢えの人々を食べさせ、病や苦しみの中にいる人々を癒し、福音を伝えたところがまさに「ガリラヤ湖」周辺でした。

もう一つ忘れられないのは、イエス様が公生涯を始め、12人の弟子を選ばれました。今日のみことばを見ると、7人の弟子たちが魚を捕るところに復活したイエス様が来られたとの内容です。イエス様の12弟子の名前が福音書に4回出ています。しかし、名前を記録する方法では、少し相違がありますが、人数は間違いなく12人です。その中で、9人~10人がガリラヤ湖の近くに住んでいた人たちです。職業も魚を捕る漁師ほとんどで「マタイ」は徴税人でした。

それで、イエス様と弟子たちがまとまっていると人々は「ガリラヤ人たち」と呼びました。イエス様が十字架で死なれたことは、弟子たちにとって非常に大きな衝撃でした。弟子たちは、イエス様の死の後、身の安全に対する恐れもあったでしょう。そして、彼らは速やかにガリラヤに戻りました。3年間、漁師の仕事を休んだ弟子たちはペトロと一緒にガリラヤ湖に漁に行きました。しかし、彼らは不思議と、一匹の魚も捕れませんでした。

今日のみことばを見ると、夜が明けた頃、イエス様が岸に立っておられましたが、弟子たちはイエス様だとはわかりませんでした。このとき、聞こえた声がありました。「子たちよ、何か食べる物があるか」といわれたのです。すると弟子たちは、ありのまま答えます。「ありません」と言います。ところが、この時、もう一度、イエス様が言われました。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ」。この言葉を聞いた漁師たちが網を右側に打ったが、今度は魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかったと記録しています。

信徒の皆さんにも「故郷(ふるさと)」があるでしょう。「故郷(ふるさと)」という言葉を聞くと、何を思い出しますか。生まれたところを故郷(こきょう)と言います。しかし、故郷(ふるさと)とは育ったところ、子どもの頃や育ちながら馴染みあるところが故郷(ふるさと)だと言えます。春になると「コヒャンイボム(故郷の春)」という童謡を思い出します。日本で生まれ育った在日同胞と日本人信徒は、日本の歌「故郷/ふるさと」という歌を思い出すかもしれません。

故郷(ふるさと)は私の人生の出発点です。故郷は私たちの生活の中で思い出の場所でもあります。私たちが生きていく中で、ふと思い出すのが「故郷」です。その場所が懐かしいのです。そこの人々も懐かしいです。そして、そこの温かさに包まれたいと思います。それで、故郷は母の懐だと言われます。楽しく幸せに生きるとき母と故郷を思い出すより、生活が苦しく、厳しいとき母や故郷が恋しくなるのではないでしょうか。

私たちの総会の福音新聞4月号に、元老牧師との対談形式の特集が載せられることになりました。

私にとって義父であり、引退された楊烔春(ヤンヒョンチュン)牧師との対談でした。隔たりなく、人生と信仰と牧師として歩いて来た人生を回顧してくださるよう、要望しました。かなりの長い時間を録音しながら対談しました。テープ起こしをしながら、原稿を整理する中で胸を打つ話がありました。

子どもの頃の故郷で、教会と村人の話と故郷の教会の牧師の話をするとき、最も興奮し力強く話しました。1.4後退開始一週間前に北朝鮮の興南(フンナム)埠頭(ふとう)から米軍が用意してくれた船に乗り、故郷を離れて来るときの気持ちを一言で話しました。「讃美しながら、すべてのことに耐え抜いたんです」。

イエス様と弟子たちの故郷は「ガリラヤ」でした。挫折と苦痛、不安と死の時間を送ったイエス様と弟子たちは、彼らの故郷「ガリラヤ」で会おうと約束されたのです。ガリラヤは、イエス様が主の働きを始めたところです。多くの人々に福音を伝えたところです。そして今、復活し、弟子たちに現れたところです。なぜ!ガリラヤだったのか。その質問に対する答えを、もはや皆さんは見つけただろうと思います。

故郷は始まりです。弟子たちがイエス様に呼ばれたところがガリラヤでした。漁をしていたペトロを呼びながら、「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」。この呼びかけにペトロは船と網を湖に置いて、すべてを捨ててイエス様に従いました。そうしたペトロなのに、大祭司が送った軍人にイエス様が連行され尋問(じんもん)を受ける場所でどのようにしたでしょうか。門番の女中が「あなたも、あの人の弟子の一人ではありませんか」と言われたとき、ペトロは、「イエスを知らない」と否認し、涙を流しながら逃げてしまったのです。

このような関係の回復がどうやって可能になったと思いますか。どのようなことを通して回復できたと思いますか。その出発点に再び立つことではないでしょうか。復活は全ての関係の断絶だと先週の説教で話しました。断絶だけでなく、失った信頼を再び戻せるのが復活です。先生と呼んだイエス様を捨てて逃げた弟子と

イエス様との再会は、彼らに最初に出会った場所とその最初の時間を思い出させる必要性がありました。

愛する信徒の皆さん、皆さんの信仰の故郷(ふるさと)はどこですか。私の信仰の故郷は座る椅子もなく、広い床だけあった教会、北から避難してきた避難民のため、米軍が作ってくれた教会です。幼い頃、友達と遊びながら

教会学校の先生たちが聞かせてくれた聖書の物語に耳を傾けた教会だと思います。

今、私たちは教会に来て礼拝をささげられない状況です。無論、時間が過ぎれば再び教会に集まり、神様に礼拝をささげられるでしょう。この時間、私たちが慕うのは礼拝をささげ、会いたい信仰の兄弟、姉妹です。子どもたちに学生たちにみことばを伝えたがる教師たちの気持ちを思います。思いっきり讃美し、愛の交わりができる日を待ち望んでいるのです。

復活されたイエス様が弟子たちに「ガリラヤで会おう」と話された深い意味を考えましょう。私たちの信仰生活の中で、恐れを振り払って、勇気を出して、すべきことを再び始めるようになりましょう。

<祈祷>

愛が溢れるイエス様、私たちもガリラヤで復活されたイエス様に会いたいです。

私たちの罪により、裂けられ、痛められた体と精神的な苦痛を考えます。

私たちもイエス様との関係の回復を願います。信徒間の離れた全てが新たになることを願います。

私たちに恵みを与えて下さい。感謝をささげながら、復活された主イエス・キリストのみ名によって

お祈りいたします。アーメン