2021年 4月 4日 復活節礼拝「復活されたイエスに気づくこと」鄭然元牧師

大阪教会 主日礼拝 < 2021 4月 4日復活節礼拝

 

                         説教 鄭然元牧師/通訳 金光成長老

* 題目 : 復活されたイエスに気づくこと

聖書 : マルコによる福音書16章9節-12

 

</新共同訳>

9.イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、まずマグダラのマリアに御自身を現された。このマリアは、以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人である。10.マリアは、イエスと一緒にいた人々が泣き悲しんでいるところへ行って、このことを知らせた。11.しかし彼らは、イエスが生きておられること、そしてマリアがそのイエスを見たことを聞いても、信じなかった。12.その後、彼らのうちの二人が田舎の方へ歩いて行く途中、イエスが別の姿で御自身を現された。13.この二人も行って残りの人たちに知らせたが、彼らは二人の言うことも信じなかった。14.その後、十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。15.それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」

 

<説教>

ハレルヤ!イエス様が復活されました。

復活節の朝、信徒の皆さんと共に礼拝をささげることができ、とても幸せで嬉しいです。

(3部のみ)今日はシオン聖歌隊員の有志が復活の讃美をして下さいました。ありがとうございます。

一日も早く、コロナ禍が終息し、思いっきり主に讃美がささげられますよう、願います。

過ぎた2月17日、「灰の水曜日」から始まった四旬節が45日間続きました。そして、昨日の土曜日(4月3日)に終わり、今日は復活節を迎えました。復活節を迎えましたが、私たちが住んでいる世界は、まだ死の恐怖が蔓延(はびこ)んでおり、不安が募っています。私たちが住んでいる大阪地域は1月13日に緊急事態宣言が発令され、3月7日解除の後はよくなるだろうと期待しました。しかし、一週間前から感染者数が急激に増え、再び明日(4月5日)から1ヶ月間「まん延防止等重点措置」を適用することになりました。

このような時期に迎える2021年の復活節です。この時代の中で働かれ、話される主のみ旨をしっかりわかることが必要だと思います。イエス様の復活が起きた日の状況をみことばで調べてみましょう。マグダラのマリアがイエス様の墓を尋ねました。驚くべきことに、復活されたイエス様と出会います。弟子たちのところに行き、先生が復活されたと知らせました。しかし、弟子たちの反応は冷ややかでした。イエス様の復活を信じなかったと書かれています。イエス様が十字架につけられ、死なれた後、二人の弟子は、田舎に行く途中、復活したイエス様に会いました。最初からイエス様とわかったわけではありませんでした。みことばを教えてもらったときも弟子たちは、自分たちのそばにいる方がイエス様だとわからなかったのです。ルカ24章では、彼らは目が明けてから、イエス様であることがわかったと記しています。

ヨハネ20章、墓でマグダラのマリアがイエス様に会いました。とてもうれしくて触れようとしたとき、主は言われました。17節、イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから」。今日の本文11節では、「信じなかった」、13節「言うことも信じなかった」14節「イエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである」。弟子たちの態度がおかしいです。なぜ?最も近くにいた人たちでさえも、復活されたイエス様にすぐ気づかなかったのでしょうか。イエス様は復活後、今日の本文12節で、「別の姿」で弟子たちに現れたからです。単に本来の姿で戻ってこられたとの意味ではないです。「別の姿」で、「新しい存在」になり、この世に現れたということです。

私たちも、普段よく知っていた仲ですが、健康状態が見違えるほど変わってしまった人に会えば、どのように声をかけますか。「見違えるほどです。本当に違う人かと思いました。」と言います。今日の本文によると、コロナ禍中を生きている私たちが足を止め、心を整え、自分を省みながら、変わることを望んでいます。私たちは、復活後に別の姿で現れたイエス様がわかることができますか。別の姿であるイエス様がわかるためには、私たちの存在も新しくならなければいけません。

新しくなった創造の世界が、再び命溢れる希望の歌を歌えるようにさせるべきです。今の苦しみが明日の命を生み出す希望の陣痛にならなければいけません。そうすることにより、真の十字架の死と復活の意味がわかり、復活節を迎えられるようになるでしょう。新しい存在の誕生は、「与えられる事件」ではなく、「成らせる事件」であります。「成らせる」ことは、自然に成り立つことではありません。私たちの意図的な選択と持続的な努力でなっていくことを意味します。

モーセは一生涯、神様と同行した人です。モーセは告別の説教で、災難に襲われるとき、人間が選ぶべき道を明瞭に示しています。神様の戒めと定めを聞き従わなかったので、「呪いこと」が臨まれ、苦しみに投げられたと考えました。しかし、神様に立ち帰り、主の声に聞き従えば、神様も心を改めると言います。私たちの「立ち帰り」は、真の悔い改めによって可能です。神様が私たちを「立ち帰らせること」は「回復」です。私たちの考えと生き方を立ち帰らせるとき、私たちの生活が回復されるということです。

モーセの最後の説教が私たちに畏れと重い責任感を持たせます。一方、限りない希望も抱かせます。私たちが立ち帰るとき、神様は私たちを回復させて下さいます。しかし、私たちが心を背けば、捕虜生活のような状態にいさせると警告します。それで続く説教で、モーセは「しかし、もしあなたが心をそむけて聞き従わず、誘われて他の神々を拝み、それに仕えるならば、あなたがたは必ず滅びるであろう。」と告げます。(申30:17‐18)

 

私たちは、今、パンデミックを経験しています。「コロナ以前(BC)」と「コロナ以後(AC)」は、完全に異なるだろうと社会学者たちは言います。もし、私たちがこのパンデミックを経験してから、再び以前との生活に戻るのであれば、どうなるでしょうか。そして災難をもたらした貪欲と暴力と偽りの生活を再び送るのであれば、人間は必ず滅びるでしょう。希望と嬉しい知らせがあります。いくらひどい状況に置かれても、私たちはいつでも立ち帰ることができ、常に新たな存在になれるという事実です。

マグダラのマリアは一つ、二つでなく、なんと七つの悪霊に囚われ、苦しんでいた人です。しかし、イエス様が七つの悪霊を追い出して下さったとき、彼女は自由になり、新たな存在になりました。体と心と考えや生活態度が新たになった人だったので、マリアは「別の姿」で現れたイエス様をすぐに認められました。新たな存在にならなければ、復活されたイエス様がわからないのです。新たな存在にならなければ、イエス様が教えて下さった福音を宣べ伝えることができません。

今日、コロナ禍という闇の中で、イエス様はどのような姿で現れるでしょうか。いいえ、私たちがどのような存在になれば、「別の姿」で現れるイエス様を認められるでしょうか。それを可能にさせるのは、神様へ我らの心を立ち帰らせることです。闇を括(くく)りぬけた人たちだけが持つ明るくて眩しい光があります。このような信仰で、復活の希望と命を語らなければなりません。どのような苦しみと不安の中でも、イエス様が見せられたように、柔軟な姿で、新たな存在で、愛と平和の一歩一歩を繋いでいくべきです。

イエス様が復活されました。以前とは「別の姿」で新たな命となりました!姿は馴染みないけど、普段イエス様が見せた優しさを感じられるようになるでしょう。争いと戦いが絶えないこの世に、イエス様は平和を持って会おうと我々を呼ばれました。私たちはこのような希望を持って、不安と死が蔓延(はびこ)んでいるこの世を復活信仰で生きるべきです。二コリ5章17節で使徒パウロは言います。「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」。

唯一、神様のみことばによって、私たちは復活されたイエス様がわかるようになります。全能なる神様の能力と信仰によって可能になるのです。ハレルヤ!神様が復活されました。

<祈祷>

墓の石を取り除き、再び甦り、復活されたイエス様。別の姿で近づいてきたイエス様を弟子たちはわかりませんでした。しかし、2021年復活節の朝、私たちは主を讃美いたします。新たな被造物として、別の姿で現れたイエス様をしっかり認めます。死を克服し、この世に生きる全てのものに希望を与えるイエス様と

共に歩んでいきたいと願います。新たな心を与え、新たな能力を与え、新たな力で復活の証人として生きらせて下さい。復活した主、イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン