2021/2/7主日礼拝<再開された神殿建築>鄭然元牧師

大阪教会  <2021年 2月7日>主日礼拝

 

說敎 鄭然元牧師 / 通訳 金光成長老

 

* 제목 : 다시 시작된 성전 건축 再開された神殿建築

* 성경 : 에스라5 2/67-8 エズラ記4章1節6節/67-8

 

[(日)新共同訳]第5章

1. 預言者ハガイとイドの子ゼカリヤが、ユダとエルサレムにいるユダの人々に向かってその保護者であるイスラエルの神の名によって預言したので、2. シェアルティエルの子ゼルバベルとヨツァダクの子イエシュアは立ち上がって、エルサレムの神殿建築を再開した。神の預言者たちも彼らと共にいて、助けてくれた。

6章 7節 その神殿の工事をさせることにせよ。ユダの長官と長老たちは、かつて神殿があった場所にその神殿を再建しなければならない。8. この神殿を建てるために、あなたたちがそのユダの長老たちを援助することを、わたしは命ずる。その経費はユーフラテス西方からの税収による国費によって賄われ、滞りなく正確にそれを彼らに与えよ。

 

<説教>

愛する兄弟の皆さん、一週間もお元気にお過ごしでしたか。

2月の第1主日、映像で信徒の皆さんに会い、神様のみ前で共に讃美をしながら、礼拝をささげています。映像礼拝に参加した信徒の皆さんに主の大いなる祝福が共にありますよう祈願いたします。

私たちは、数週間、ユダの民がバビロンの捕虜生活から帰ってくる過程とエルサレムの神殿再建に関するみことばを分かち合っています。バビロンに捕虜として捕らえていたユダの民はキュロス王の命令によって、70年ぶりにエルサレムに戻って来ました。エルサレムの神殿建築が新たに始まりました。この時、サマリア人がゼルバベルを尋ねてきて、神殿建築を手伝わせてほしいと要請しました。しかし、ゼルバベルと祭司イエシュアはこの提案を拒否しました。結局サマリア人は、当時ペルシア王だった「アルタクセルクセス」に事実とは異なる偽の書簡を送りました。内容をしっかり把握していなかった王は、神殿工事を中止させました。

まだユダ地域はペルシアの支配下におり、総督の統治を受けていました。序論で話したように、エルサレムの神殿建築が中断された理由は、サマリア人の妬みと彼らが仲たがいをさせたからです。工事が中断された状況下で、ユダの民は、自分たちが住む家を用意して、農業のために土地を耕し、定着のために励みました。各自、自分たちの生きる手だてを探しており、神殿建築の使命は、すべて忘れてしまいました。バビロンからエルサレムに戻ってくるときは、神殿を建築すると手を挙げて志願した人たちでした。しかし、彼らは自ら生の生活のため仕方ない状況になりました。そうすると、神様の神殿建築はどうなるのでしょうか。

今日のみことばを見ると、中断された神殿建築に新たな動きがありました。預言者ハガイとゼカリヤに主の言葉が臨みました。主の言葉を聞いた預言者が伝えた内容を聞いて工事を始めたということです。ここに登場する二人がいます。ハガイとゼカリヤです。旧約聖書を記録したと言われる「ハガイ」と「ゼカリヤ」です。ハガイは旧約聖書「ハガイ」を記録した預言者のうち一人です。ハガイは神殿建築が中断されたことについて、当時のユダヤ人を責め、励ました指導者でありました。彼の身分ははっきりわかりませんが、彼が祭司の役割をしたことから、当然「レビ」支派だったと言えるでしょう。

今日読んだ「エズラ記」聖書は内容的に見ると、「歴史書」の性格を持っています。しかし、ハガイ書は預言書であるため、旧約聖書の後半に綴られています。ハガイ書は預言書の中で最も短い2章で構成されています。ハガイという言葉は、「快楽」、「楽しい祭り」という意味を持っており、お祭りのときに生まれたから名づけられたという学者もいます。預言者ハガイはユダヤの民がエルサレムに戻ってくるときの心と、15年以上経った時点で変わったことについて述べています。自分の生活のためには努力するが、神様の神殿建築のことは、忘れてしまっていると民に説教しました。神様の神殿が建築されるべきだと3回も説教をしました。彼の説教がハガイ書に出ています。しかし、民は、今は、神殿を再建する時は来ていないと言いました。人たちはすべき目標が消えると、目の前にある事にしがみ付いて生きるのがほとんどです。

ハガイは、このように考えていたユダの民に向かって、主の言葉をそのまま伝えます。民の頭の中には、自分たちが努力して得る収穫について考えています。主の言葉は、「種を多く蒔いても、取り入れは少ない」でした。さらに「食べても満足することなく、飲んでも酔うことがない」と言われました。「衣服を重ねても温まることなく/金をかせぐ者がかせいでも穴にあいた袋に入れるようなものだ」としました。ユダの民が与えられた使命に心を留めよと強い言葉で説教しました。

そして、もう一人は、「ゼカリヤ」でした。ゼカリヤという名前は、聖書全体で約20人が出ています。「ゼカリヤ」という名前は、「主が覚えている」という意味があります。彼の祖父は、「イド」であり、父親は「ベレクヤ」です。(ゼカ1:1)彼はバビロンで生まれた2世でした。エルサレムに戻り、BC520年ダレイオス王2年目、神殿再建が始まった後、ハガイと同じ時代に活躍した預言者です。(ゼカ1:1)「ハガイ」が預言をしてから2ヶ月後、彼に、主の言葉が臨み、見たことを通して民に預言しました。

「ゼカリヤ」のメッセージは、イスラエルの民の先祖が犯した過去の誤った信仰生活を指摘しました。悔い改めのメッセージでした。罪を繰り返してはならないという強いメッセージでした。主はゼカリヤの預言者に8つの幻を見せました。その幻の内容を一つずつ教えながら、主のみ旨を伝えました。ゼカリヤの預言は「エルサレムの回復」が中心に据えられていました。

挫折感に陥ったゼルバベルと指導者たち、自分の生活だけを考えており、主の仕事を後回しにしている民に主の仕事のために立ち上がりなさいと励ましているのです。ゼカリヤは、エルサレムに戻って神殿建築ができないままでいる民の立場を誰よりもよく理解していました。様々な妨害があっても、エルサレムの神殿は、ゼルバベルと民の手によって完成できることを強調しました。ゼカリヤのメッセージの核心は、神殿建築が完成できるのは、人の力や能力ではなく、唯一の神、主の力によって成し遂げられるとのことでした。

私たちが住んでいる世界で、主の仕事をすることは、神の人として生きることを意味します。神様の仕事は主が選び立てた人たちとその意味を知り、実践しようとする意志を持つ人々を通して成就されます。その仕事をするとき、神様のみ旨と意志がない場合は、人々がいくら頑張ってもできないことを私達は知っています。私がしたくてもできないことが、神様の仕事です。ゼルバベルを尋ねてきたゼカリヤは、神様のみ旨を伝えました。大きな山が立ちはだかっても、その山は平らにされるだろうと言いました。

ゼルバベルはペルシアで王の側近でいながら、王が持つ権力の強さを誰よりもよく知っている人でした。王の命令がなければ何もできないことを知っている人だったのです。預言者ゼカリヤは神殿の親石をあげる時、彼らが感じた事を思い出しなさいと言いました。バビロンからエルサレムに戻ってきて、神殿の親石を取り出した時に、見事、見事と叫びが上がった感動の時間を忘れるなと話しました。ゼルバベルの手が神殿の基(もとい)を据えたので、その手が神殿を完成するであろうとゼカリヤは言い確認させました。預言者ハガイもゼルバベルに「あなたは神様の僕です。だから落胆せず、神様の仕事を始めなさい」と激励します。

<参考日/6.彼は答えて、わたしに言った。「これがゼルバベルに向けられた主の言葉である。武力によらず、権力によらず/ただわが霊によって、と万軍の主は言われる。7.大いなる山よ、お前は何者か/ゼルバベルの前では平らにされる。彼が親石を取り出せば/見事、見事と叫びがあがる。」8.また主の言葉がわたしに臨んだ。9.「ゼルバベルの手がこの家の基を据えた。彼自身の手がそれを完成するであろう。こうして、あなたは万軍の主がわたしを/あなたたちに遣わされたことを知るようになる。>

私たちは、生活で試練が襲うと、恐れて避けるのに慣れています。苦難と試練を避け、それが私に来ないことを祈り、目を閉じて耳を防ぎます。当時のユダの民をもう一度考えてみましょう!長い捕虜生活の最中に、故国への郷愁にふけエルサレムに帰ろうと思ったのではありませんでした。神様が臨在する神殿を建築するという強い信念で手を上げて出てきた熱情的な人でした。しかし、彼らも与えられた環境のせいで、使命感が薄れました。神様の仕事は考えず、自分たちの事ばかり考えていた態度に、預言者は叱責と同時に激励しているのです。

私たちも生きながら、そのような経験をたびたびします。何かを一生懸命したが、忙しくて疲れて大変だったのに、一つも残っていません。疲労が積もり虚無感だけが高まり、時には虚脱感に陥ることを経験しています。ハガイ書2章を見ると、ゼルバベルと祭司ヨシュアのため、説教を一度しました。「ゼルバベル」は王の孫であり、ダビデ王朝の王族でした。

彼は一度挫折を味わった指導者でした。15年間神殿建築工事は中断されていました。挫折感と無気力に陥ると、人々は自尊心が低くなります。自信を無くし、働く勇気が出せなくなるのです。この時期に、主の言葉を聞いたのです。ハガイの切実な説教を聞いた民が神殿建築のために起き上がりました。ゼルバベルと祭司ヨシュアは新しい力を得て起きあがり、神殿建築工事を再開しました。

私たちは、彼らの信仰的な決断を見ることができます。エルサレムに帰ってきた指導者たちと民に主の言葉が臨みました。彼らに最初に与えた使命を確認させ、それを担う働きを期待されました。神様の仕事に対する私たちの姿勢も同じです。時を正しく知る必要があります。再度申し上げますが、民は神殿を再建するときではないと言いました。しかし、ゼルバベルと指導者たちは再び立ち上がりました。彼らは主の言葉に基づいて立ち上がったのです。

愛する信徒の皆さん、今の世界はどの時代にも経験しなかったことが起きています。散らばると生き延(の)び、集まれば死ぬという言葉があるほどです。私たちも、主の言葉に基づいて立ち上がるべきです。私たちは今、顔を向き合って話せないし、一緒に座れず、集まれない状態です。私たちは、神が任せてくださった仕事をするためにひざまずいて祈りながら、主のみことばに頼って神様の仕事をしなければならない時点に立っています。

ハガイとゼカリヤは落胆している指導者や民を励まし、慰めてあげました。今、そのような姿が私たちに必要です。私たち大阪敎会の100年の歴史は、在日同胞たちが経験している差別と苦しみの中で、お互いに慰め励ましながら過ごしてきた歴史であると信じます。お互いに慰めと励ましの拍手を送るべきです。勇気を持って、再び立ち上がろうというみことばを聞きながら、私たちも起き上がりましょう。

信仰の本質は与えられた時をよく判断し、これを実践しようとする意志を持つとき、神様の能力の御手が共におられます。主と同行する私たちになりますよう、主のみ名によって祈願いたします。

<祈祷>

挫折感に陥ったゼルバベルと指導者たちに主の言葉で臨んだ神様、

難しい状況の中、どうすればよいかわからず彷徨う民に、再び起き上がる力を与えて下さった神様、

今日を生きる私たちにも新たな力と勇気を与えてください。教会創立100周年を迎える大阪教会は苦難の時間の中でも、必ずすべきことがあるのをわかっております。その事を担える信仰を与えてください。

互いに激励し、慰め合い、共に手を繋いで進む信仰の共同体にならせてください。主のみ力を信じ、進めるようにさせ、私たちに与えて下さった使命を担えるように良き道に導いて下さい。

私たちを愛して下さる主イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン