2021.1.3主日礼拝<100年の喜びと感謝を分かち合い伝える年>鄭然元牧師

大阪教会  <2021年 1月3日> 新年初主日礼拝

 説教 鄭然元牧師 / 通訳 金光成長老

* 제목/題目 : 100년의 기쁨과 감사를 나누고 전하는 해

100年の喜びと感謝を分かち合い伝える年

* 성경/聖書 : 이사야 61장1절-3절 イザヤ書61章1節-3節

[(日)新共同]

  1. 主はわたしに油を注ぎ/主なる神のがわたしをとらえた。わたしを遣わして/貧しい人に良い知らせをえさせるために。打ちかれた心を包み/捕らわれ人には自由を/つながれている人には解放を告知させるために。2. 主がみをおえになる年/わたしたちの神が報復される日を告知して/嘆いている人を慰め 3. シオンのゆえに嘆いている人に/灰に代えて冠をかぶらせ/嘆きに代えて喜びの香油を/暗い心に代えて美の衣をまとわせるために。彼らは主が輝きを現すために植えられた/正義の樫の木と呼ばれる。

<説教>

信徒の皆さん、2021年の新年初主日です。新年の挨拶を申し上げます。明けましておめでとうございます!31日送旧迎新礼拝と元旦の新年初日の礼拝を映像礼拝で捧げました。今日は2021年の初主日礼拝を礼拝堂で、共に捧げることができ感激です。今年は、私たち大阪敎会が創立100周年を迎える意味ある年です。堂会は、今年の教会標語を今日の説教の題目である「100年の喜びと感謝を分かち合い伝える年」としました。中心になるみことばも共に読んだイザヤ61章を選定しました。

100年という歳月は長い時間が流れたことを意味します。一世紀が過ぎ、新たな世紀を迎える意味深い年なのです。信徒の皆さんも覚えておられると思いますが、100周年を前にし、色々な計画を立てて信徒の皆様は100周年行事のために、心を込めて記念献金をしました。去年2020年、私たちは色々な100周年準備をしてきましたが、新型コロナ禍で、すべてが中止されるほど困難が極まりました。

今年もどうなるか予測が難しいですが、事前に準備することも必要だと思います。最も重要なのは、ある行事や集いではありません。それより100年という長い歳月の中で共におられた主の導きと先輩たちの労苦を忘れずに感謝するべきです。この喜びを私たちの隣人と分け、伝える必要があると思います。2021年新年の初主日は、私たち大阪敎会が100周年を迎えて進むべき方向を、みことばの中で見つけなければならないです。

イザヤ書61章は、イスラエル民族をバビロンから解放させ救いを宣言する喜びの預言です。実際に、イスラエルは南北に分かれた後に、北イスラエルは紀元前720年頃にアッシリヤに滅亡されました。南ユダは紀元前670年頃に、バビロンの戦争で負けました。エルサレムは凄惨(せいさん)に砕かれ滅びました。国を奪われた民族になり、バビロンに捕虜として連れて行かれ奴隷生活をしています。彼らの人生を想像してみましょう。

まず、当時の彼らは、言語が異なっていました。生活が大変でした。神に礼拝を捧げられない状況でした。しかし、ユダヤ人はバビロン捕囚生活の中で、神について、彼らは新たな理解と信仰の継承という想像を超えることを一つ経験しました。神殿の祭祀(さいし)を中心にしていたイスラエル人が集団で集まり、みことばを聞き、自分たちの子どもに教える驚くべきことを始めたのです。このような捕虜生活をしていた民に聞こえてきた預言は、捕虜から解放されるという希望のみことばでした。打ち砕かれた心を包み、捕らわれた人には自由を、つながれている人は解放されるという自由と解放の宣言でした。

愛する信徒の皆さん、私たちの民族が日本の圧政の中で解放された光復節を考えてみてください。36年間の抑圧から解放された喜びの日。バビロンの捕虜になったイスラエルは朝鮮の二倍ほどの70年の捕虜生活から解放される預言でした。2節で「主がみをおえになる年」と言っています。「恵み」とは、考えもしなかった何かがプレゼントされることを意味します。バビロンの地に連れて来られ、すでに2世代が過ぎ、おじいさん、おばあさんが亡くなり、いつか自分たちもこの地で死ぬだろうと思っていた彼らにとって解放の宣言は、正(まさ)しく恵みでした。

続くみことばは、神が「報復される日」を告知すると言っています。つまり、敵を討つ、仕返しをする、復讐することを意味します。主なる神が、イスラエルに代わってバビロンに報復するというみことばです。歴史的事実から見ると、イスラエルは解放され、自分たちの祖国、故郷に帰って来られるようになります。シオンと呼ばれる「エルサレム」で嘆いている人々に花束が与えられると言いました。灰を被って泣いていた人には香油が注がれると言いました。彼らの暗い心に喜びがあふれる賛美が響き渡ると言いました。憂慮に満ちた彼らが、神の輝きを現す民になると言いました。

イスラエル民族がバビロンから解放されるのと比較できそうな日があります。ヨベルの年です。すでに昨年の1月19日主日礼拝でヨベルの年について説教をしたことがあります。今年の元旦、新年礼拝でお伝えしたレビ記25章に出てくるヨベルの年に関するものです。ユダヤ人にとって、神の戒めをよく守ることを行動で最もよく示すのが安息日の規定を守ることです。今日もイスラエルを訪問している間、金曜日になるとご飯も食べられないほど、安息日を徹底的に守ります。

7年ぶりに戻ってくる「安息の年」をユダヤ人は守ります。安息の年が7回繰り返され、50年になる年、贖罪日に「角笛」を吹いて「ヨベルの年」を知らせます。すると、イスラエル人は想像を絶する仕事を始めることになります。お金を貸すとき担保としていた土地をもらい、お金の返済ができなかった場合でも、元の所有者に返します。奴隷として取った人も、自分の家に帰らせます。種も蒔かず土地も休ませます。想像することすらできないことが始まるのです。

もう一度私たちの想像力を駆使して、考えてみましょう!このようなことが可能でしょうか。以前、説明したように戦争に負け、南ユダのゼデキヤ王は両眼を抉(えぐ)り取られ、バビロンに連れて来られました。民も鎖に縛られ捕らわれて来ましたが、神は彼らを解放してくださるという預言を聞いたときの、その喜び、イスラエル民族は大変苦労しながら生きている中、ヨベルの年を迎えると帰ることができ、自由を得られる喜びの年になるのです。

2021年、私たち大阪敎会は創立100周年。ヨベルの年に該当する喜びの年です。今まで私たちの教会を守ってくださった神様の恵みに感謝と共に持つ嬉しい気持ちです。信仰の先輩たちに感謝する心が私たちには必要です。今日があるのは、過去の時間にあった多くの困難に耐え忍び、守ってきた信仰と教会への情熱と愛、祈りと仕えで実った結実です。もちろん、祈りで教会を始めた方々が、今日、このような教会になるだろうと期待して、始めたのではないでしょう。しかし、祖国と故郷の両親、兄弟から離れて、異国生活を始めた少女たちの切なる祈りが、今日まで続いていることに感謝します。

私たち大阪敎会の歴史は、在日同胞の苦難の歴史と共に歩んできました。韓国語で礼拝をささげることができない時もありました。韓国人牧師は牧会できない時期もありました。解放を迎え、多くの信徒が本国に帰国をするとき、がらんとした教会を守った私たちの父、母のおかげで、今日、私たち大阪敎会の歴史が続いてきたのです。

説教者は、このような経験をするときに感動します。先週の主日の礼拝を終えて、少し休んでから再び事務室に上がりました。誰かが訪れたという連絡がありました。来られた方は、高校生の頃に大阪敎会にたまに来たことがある在日同胞2世でした。高校生の頃、関西の中高生が一緒に集まった修養会の話や、友だちの名前を教えてもらいましたが、日本の名前でした。今は神戶に住んでおり、今里で所用があって来たが、大阪敎会が新たに教会を経てたのに、一度も来たことがなくて、探して訪れたということです。どうやってこのように大きな教会を建てたのかと驚いたそうです。談話したの後に帰ろうとされた際、私はありがたくて一緒に祈りを捧げてもいいですかと聞くと、ぜひ祈りをお願いしますと言いながら、3人の子どもがいると話されました。その方を見送りながら、私は考えました。

教会、礼拝堂は私たちにどのような意味を与えるのだろうか。60年の歳月が過ぎても、覚えているのは、その時、その教会、そこにいた友人たち、友だちと会えるだろうという期待感を持たせるところ。先生から聞いた聖書のみことばと共に過ごした時間に、その思い出が恋しくなったとき訪れるところが教会です。最近堂会で、若い長老任たちが青少年の憩いの空間が必要であると話されます。私は考えてみます。これは、単なる空間を意味するのではなく、青少年と若者が精神的に留まることができる場所、安らぎが得られる場所ではないかと思います。

今日、私たちは、成人式を前にして、教会は早目の成人式のお祝いを準備しました。子どもたちと孫たちに必ずしなければならないことは、私たちが持っている信仰を継承させることです。どのような状況にあっても、私たちの子どもたちがイエス・キリストの福音の中で生きるように助けなければなりません。今年を最高の年にする方法の一つを、早朝礼拝時に話しました。さらにもう一つ紹介すれば、世代間交流を絶えずせよ!ということです。

よくおじいさんとおばあさんが孫を甘やかすと言います。現代社会での問題の一つは、「家族と世代間の断絶」ということです。多くの社会問題の根本に、断絶が非常に重要な要素になっています。変っていく社会の構造で、家族さえも共に暮らすのが難しくなりました。祝日や家族の行事の時に会えるかどうかの世の中となりました。

今年はコロナ禍で「来ないで、来ないで」がスローガンになってしまいました。それだけでなく、外国に住んでいる私たちは、これも容易ではないです。おじいさん、おばあさんが孫に会い、昔話や聖書の話もしてあげることが難しい時代になりました。しかし、世代間の疎通や連合は現代の文明の機器であるITなどで可能になっています。お互いに努力すれば、疎通が可能になると思います。

話をまとめます。2021年新年、私たちが主の恵みの中で生きながら、感謝溢れる一年になりますよう祈願いたします。大阪教会は主の恵みの中で、創立100周年を迎えることになりました。この喜びと感謝の気持ちを、分かち合い伝えることでもっと意味ある一年になりますよう願います。主が信徒の皆様と大阪教会と共におられると信じます。

<祈祷>

新年を与えて下さった主よ、感謝します。新年、初主日礼拝を捧げます。

与えて下さったみことばから、大阪教会が百年の喜びを全信徒と主に分かち合えるように導いて下さい。信仰の家族が先に感謝するようにさせて下さい。そして、私たちの隣人と分かち合えるようにならせて下さい。新年には主にもっと近づき、隣人とも近づけるように、そしてコロナ禍も早く終息できますように導いて下さい。感謝しながら、主イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン