2020/12/6主日礼拝「平和の王が来られます!」鄭然元牧師

大阪教会 主日禮拜 <2020年 12月6日> 待降節第2主日

説教 鄭然元牧師 / 通訳 金光成長老

* 題目 : 平和の王が来られます!

* 聖経 :イザヤ書9章6節-7節

 

<日/新共同>

5.ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と唱えられる。6.ダビデの王座とその王国に権威は増し/平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって/今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍熱意がこれをげる

 

<説教>

2020年待降節第2主日です。メシアであるキリスト、イエス様を再び待つ第2主日「平和のロウソク」を灯し、礼拝を捧げています。コロナ禍を経験している、この苦難の日々の中、希望であり、平和の王として来られたイエス様を思いながら、一週間一週間聖誕節に近づいています。過去や現在の社会で、人間が最も熱望している生活があるならば、それは争いと戦いと戦争のない平和な世界です。

人間は生きながら、自分との戦いをしている存在だと言えるでしょう。自分との戦いとは、私の考えを行動に移す過程で、どのように決定するのかから始まります。私がどのように考え、今、私がどのように行動すべきかを決定する瞬間から、自分の心の中で戦いが始まるのです。使徒パウロは、ロマ7章23節、わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。

人は心の葛藤や何かを選択するとき「戦う」とも言えるでしょう。自分を超え、家族や隣人に対しての、私たちの考えや態度はいかがですか。人は、自分を治める力を持つようになると、他人との関係にもその力を使おうとします。そのとき、相手を労(いたわ)り、戦いを抑える心があります。しかし、その反面、自分が持っている力で相手を制圧し、戦おうとする場合もあります。そして、結局、戦いが起こります。もしこれが国と国の間で起こるならば、戦争が勃発するでしょう。

私たちの心が平和を生み出す考えをし、行動をするようにさせるのが何より重要なのです。しかし、世界はそのように回りません。個人や組織や国の仕事において、まず表れるのは、自己中心的な考えと態度なのです。結局、自分を守らなければならない、自分の国を保護する必要がある、そのようなことを力の論理で考えます。「私は平和を作る人として、考え行動しているのか」。まず、私たちが自分自身に問いを投げ、答えを求めてみるべきでしょう。

平和、平穏、平安という言葉の意味は似通っています。平和とは、戦争や葛藤がなく、穏やかで和睦するとの意味です。平穩とは、(ある対象が)静かで平安であるとの意味で、平安とは(ある対象が)心配や煩わしさがないとの意味です。聖書では、このような言葉をヘブライ語で「シャローム」(shalom)と言い、ギリシャ語では「エイレーネー」(eirene)と呼びます。その意味には「完全性、統一、調和と繁栄、健康、充満」が含まれています。この言葉には、概ね二つの対になる意味が含まれています。一つは、「平和、好意、友愛」には、戦争や敵などの反対概念に使われます。一方、「幸福、繁栄、福」は具体的に物質的な善に重点を置いている概念です。重要なのは、神と人、個人的な関係で形成された内的な調和が、他人との関係にまで影響を与えているとのことです。

再度申し上げると、私自身が神と、どのような関係を持っているかによって、隣人や共同体との平和に直結しているとも言えます。神と私の関係が完全で健康な状態であれば、隣人とも健康で平穏な状態になるというのです。しかし、残念ながら、人間は神との関係で間違った道を歩むことになりました。神に象って造られたアダムとエバがサタンの誘惑に落ち、神のように高くなろうという奢りの心を持つようになりました。その結果、人間は神の前で、罪を犯してしまいました。そして平和な関係は壊れてしまいました。神と和睦できず、人間は、益々罪を犯すことになり、神との関係はより深刻になっていきました。

幸せと繁栄と福を追って生きていくのが、人間をさらに罪に陥らせました。主が最も嫌う偶像崇拝を始めたのです。人が作り、自分の思いを入れて作った偶像の前で、彼らの望みはなんだったでしょうか。さらにもらいたいとの求めでした。他人を踏みにじっても得たいとの欲望に満ちた心を持って戦い始めるのです。国と国の間にも、例えば、国土の紛争を見てください。一寸の土地でも所有しなければならないと欲を出します。海に浮かんでいる小さな島、無人島で石ばかりだとしても、私のだと主張する理由は何でしょうか。少しでも広い海を持ちたい人の欲からなんです。我らの世界は所有と繁栄に命をかけて戦いをし、戦争をします。

結局、人間は自分との戦い、隣人との葛藤、時には、他国との戦争をしながら生きていく存在です。或いは、人類の歴史は戦争の歴史と言っても過言ではないでしょう。それとともに、人々は考えます。「どのようにすれば、戦わずに生きていけるのだろうか」。この世に住むすべての人々、ほとんどが、平和な世界を夢見ています。しかし、現実は、先に述べたように容易ではないのが事実です。平和実現が難しい世の中に、真の平和をもたらすためにはどうすれば良いでしょうか。

そして、待降節の第2主日の意味がなぜ平和なのでしょうか。キリストであるメシアがこの地に来られて果たす役割の一つが、平和を実現することです。私たちは、国家間で戦争をせずに、お互い仲良くしようと約束をすることを「平和宣言、平和条約」と言います。今から79年前、1941年12月9日、日本がアメリカハワイを奇襲攻撃して、太平洋戦争が始まりました。 2500万人の大切な人の命を奪った戦争は、1945年9月2日ポツダム宣言で日本が無条件降伏することで、戦争が終わりました。 5年後、1950年には、韓半島では、北朝鮮の侵略によって6.25動乱(朝鮮戦争)が勃発しました。 38度線を瞬く間に突破し、ソウルを占領した北朝鮮は、釜山(プサン)に近いところまで、押し寄せて来ました。済州島を除いたほとんどの地域が北朝鮮に占領されました。

しかし、米国を含むUN軍が韓国を支援し始めてから、戦況は変わりました。この戦争は、3年間続き、休戦協定を結んでから戦争中断となりました。死者250万人、使用された爆弾は、第1次世界大戦時に使用した量よりも多かったとの資料があります。未だに、南と北は休戦状態であり、いつ戦争が起こるかわかりません。今年2020年は朝鮮戦争勃発70年目になる年です。今まで南北は、終戦させ平和協定を結ぶため、数回機会を作りました。

2018年の第3次南北首脳会談。大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国との5回目の首脳会談が平壌(ピョンヤン)で開かれました。9月18日から9月20日まで大韓民国大統領文在寅(ムンジェイン)と朝鮮民主主義人民共和国国務委員長金(キム)正恩(ジョンウン)が会いました。会談のスローガンは「平和、新しい未来」でした。韓国の大統領としては初めて、8万人を超える北朝鮮の住民の前で直接演説も行いました。我々は南北の問題がスムーズに動き出していると思いました。しかし、今年は思いもよらぬことが起こりました。6月16日午後3時頃、開城(ケソン)にあった南北共同連絡事務所を北朝鮮が一方的に爆破してしまいました。平和を念願していた世界の人々は、その爆破シーンを見て大失望しました。

平和は一人によって実現されることではありませんが、一人の誤った判断は、国家間に戦争を起こして多くの命を奪ってしまいます。国家間だけの問題ではありません。世界の戦争の歴史で、常に子どもたちと女性が凄惨(せいさん)な状態に陥ることを私たちは知っています。このような世に、平和の王として来られる方がいます。私たちが待ち望んでいる聖誕節の主人公であるメシア、イエス・キリストなのです。

イスラエル民族は、周辺民族や国と絶え間なく戦争を続けていました。国民数が多くなく、戦略的に優れた武器を持った国でもありませんでした。しかし、国家的な危機に襲われるたびに、主が民を守ってくださいました。しかし、このような助けを受けたのに、主をよく信じてみことばに従う民族ではなかったのです。

詩編120:6-7 平和を憎む者と共に/わたしの魂が久しくそこに住むとは。7. 平和をこそ、わたしは語るのに/彼らはただ、戦いを語る。

イスラエル民族は、先祖の代から信じてきたメシアが来られることを待ち望みました。その時代、その時代、困難に襲われるたびに「メシア」が来られることを祈りながら待ち望む人々がいました。そのようなイスラエル民族に神からの預言が宣布されました。今日の本文のみことばです。預言者イザヤに与えられた神の預言でした。来られるメシアは権威と力を持つ神で、人々の永遠の父よ、平和の君と唱えられると話されました。ダビデの王座とその権威は増し、平和は絶えることがないと言われました。

 

みことばには、メシアは権威と力を持っておられるのと同時に、平和を実現する方だと言っています。私たちは新約聖書の福音書によって、この地に来られたメシアであるイエス・キリストがどのような方なのかをよく知っています。力を持っていましたが、剣や槍を持った方ではありませんでした。彼は力を持った方でしたが、強圧的に力でイスラエル民族を押さえつけた方ではありません。当時ローマ帝国は力で平和を維持しようとしました。植民地の地域で宥和(ゆうわ)政策を行い、その地域の住民とのもめ事を避けようとしながらも、彼らは力で植民地を統治しました。しかし、イエス様は武力的な力で平和を維持しようとしませんでした。

むしろ、イエス様は自分を非力な人の形で、自分自身を自らへりくだる謙虚さで、当時の人々と会っておられました。弟子たちに剣や武器を持って独立を成し遂げなさいと言いませんでした。隣人を自分の体のように愛しなさいとの言葉で民を愛するように命じました。王座を求めず、民に人気を得ようとしませんでした。哀れな人々は抱いてくださり、彼らの空腹を満たしてくださり、、病人を癒やしてくださいました。最期(さいご)には、十字架につけられ、イスラエルの民と全人類を救ってくださったイエス様の姿を、私たちは覚えています。

平和は口で言うことで成し遂げられません。行動によって実現されるものです。平和は無償に与えられるものではありません。自分を捨てる犠牲と仕えで実現される尊いなるものが平和です。平和は救いと関連があります。イエス様の誕生のとき天使たちは、「いと高きところには、栄光。神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」(ルカ2:14)と歌いました。天使たちは羊飼いたちに、誕生した乳飲み子イエスを「救い主、主メシア」(ルカ2:11)と知らせます。

平和がこの地に満ちることを望みます。私たちが住んでいる日本が、韓国と北朝鮮と友好な関係で生きていく民族になることを、私たちは祈りながら待ちます。韓国と北朝鮮が平和な関係になり、同伴者として生きていく民族になることを念願します。日本の地に住む日本人と在日同胞と外国人が平和に生きていくことを期待しています。

2020年コロナ禍の中でも、今こそ、お互いに助け合い、平和を生み出す時だと信じています。愛する信徒の皆さん、平和の働きのため、私たちができることを始めてみましょう。平和の主であるメシアが私たちと共におられます。

<祈祷>

2020年待降節第2主日、平和の主を待ち望みます。

争いや戦争が絶えないこの地に真なる平和を与えて下さり、感謝します。

メシアを信じる信仰で、全世界を平和に作っていくことを悟らせて下さり、感謝します。

十字架の謙遜と福音が世の平和の原動力であることを伝える力を与えてください。

隣人を自分の体のように愛することが平和を実現することであるのをわからせて下さり、感謝します。

平和がこの地に満ちあふれる聖誕節を迎えられますよう、我々を見守ってください。

平和の王である主イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン