2020/11/15感謝節礼拝<試練の中での感謝>鄭然元牧師

大阪教会 主日礼拝 <2020年 11月15日>五旬節後第24主日・感謝節

説教 鄭然元牧師 / 通訳 金光成長老

 

* 제목 : 시련 속에서 감사 試練の中での感謝

* 성경 : 시편136편 22절- 26절 詩編136章22節-26節

[日/新共同譯]

22. 僕イスラエルの嗣業とした方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
23. 低くされたわたしたちを/御心に留めた方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
24. 敵からわたしたちを奪い返した方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
25. すべて肉なるものに糧を与える方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
26. 天にいます神に感謝せよ。慈しみはとこしえに。

<説教>

今日は2020年の感謝節の主日です。一年を顧みて、主に感謝をささげる主日です。しかし今年、2020年は私と信徒の皆さんにとっても、一度も経験したことのない厳しい一年でした。どのような形で感謝を献げられますか。考えてみると、この試練の時代でも、感謝することがたくさんあることがわかりました。信徒の皆さん、感謝のリストを作ってみてください!と勧めるならば、感謝の条件がたくさん浮かぶでしょう。明らかなのは、2020年の感謝節はどの年よりも違った感謝節を迎えることになったという事実です。私は11月の2回の説教を通して、コロナ禍の中でも生きていることに感謝しなければならないとお伝えしました。先週の主日には、私たちは魂の救いと共にこの地で成すべき救いの働きに対して感謝しました。

毎年、感謝節になると、区域ごとに讃美を献げ、主には感謝を、信徒たちは喜びを分かち合いながら、感謝節を過ごしました。しかし、今年は事情が随分と変わりました。合同礼拝もできなく、区域別に分けて少人数での礼拝をささげる奇妙な状態になったのです。しかし、礼拝堂に出てきて、主に礼拝をささげられることだけでも、感謝ではありませんか。私は毎週、カメラに向かって説教をしながら、胸が詰まる思いを度々しました。主よ!このように信徒たちと共に礼拝をささげることができ、ありがとうございます!と感謝するのです。

今日のみことば、詩篇136篇は、「感謝の詩」の中でも最も代表的な「感謝の詩」です。主に感謝することを勧める詩編です。私たちに重ねて求めるその内容は、「主に感謝せよ」ということです。この詩編は、イスラエル民族の大きな祝日である過越祭に、各家庭から始め、全民族が一緒に歌う詩篇です。イスラエルの歴史の中で、民族を救ってくださったことを羅列しながら、その試練を克服させた神様に感謝をささげようとのことです。1節、「恵み深い主に感謝せよ、慈しみはとこしえに」とのみことばから始まります。前半では、優れた神、宇宙万物を創造され、司る神に感謝せよと言っています。

 

その次の部分では、神の導きにより、イスラエル民族がモーセと共に出エジプトをします。エジプトを出て紅海を渡ってから、荒れ野で40年の試練の生活の中で経験したことを一つずつ紹介します。10節は、10番目の災いを歌っています。「エジプトの初子(ういご)を討った方に感謝せよ。慈しみはとこしえに」。13節では、イスラエル民族の前に現れたのは葦(あし)の海でした。後ろには馬に乗ったエジプトの軍人が追いかけてくる状況です。しかし、イスラエルを救って下さった神様は海を二つに分け、その中を通らせました。このことを覚え、感謝せよと言っています。

40年間、主は荒れ野で食べ物や着る物の心配せず過ごせるようにさせました。早朝には、マナとうずらを与えて下さいました。彼らが着ていた服と履いていた靴は、古びず、すり減らなかったです。神が見せられた奇跡に感謝せよと言っています。荒れ野の中を通過し、カナンの地が近くなるほど周辺国との葛藤が生じ始めました。ただ通り過ぎるように許してほしいとのモーセの要求を拒み、むしろ襲って来た国を神が滅ぼしました。このすべてのことを覚え、感謝せよと言っています。

 

21節と22節には、「彼らの土地を嗣業(しぎょう)として与えた方に感謝せよ。僕イスラエルの嗣業とした方に感謝せよ」と言います。今日の大都市の生活は、農漁村の構造とは異なり、職場や仕事が嗣業になります。仕事を失うことは、嗣業を失うことであり、直ちに食べて生きていく生活問題が苦しくなるとのことです。今回のコロナウイルス禍によって国々の雇用問題に赤信号が点灯しました。私たちが住んでいる日本は、過ぎた10月の統計では、完全失業者数210万人。前年同月に比べ42万人の増加。8か月連続の増加であるそうです。韓国も失業者数が10月末を基準にすると102万8千人で、前年より16万4千人増加しました、1999年以来、21年ぶりに最大規模だそうです。このように生活が苦しくなってくると、私たちは感謝する気持ちをなくしてしまいます。

しかし、この困難の中でも、食べ物や着る物を与えて下さったことに感謝せよと言っています。また、生活において、私たちが人間らしく生きることに感謝せよと言います。23節には、「低くされたわたしたちを御心に留めた方に感謝せよ」と言います。社会的に保護されるべき立場に置かれている弱者と差別の対象になる生活をしている厳しい状態を指します。世の人々からは優しく見られない状況だとしても、神は低くされた私たちを御心に留めておられるから感謝せよということです。

 

また、政治外交的には、イスラエルを潰そうとする周辺諸国との敵から救い出してくださったことを感謝せよと言います。最後の25節は、「すべて肉なるものに糧を与える方に感謝せよ」です。食べる糧がない壮絶な苦しみは経験がない人々には理解し難いでしょう。特に戦争や自然災害に遭ったとき、肉体的な飢えと精神的な苦痛と試練に見舞われるとき、人は自然に不平不満を吐き出すようになります。

しかし、今日のみことばはそのような極限な状況や試練の時でも、感謝せよと言っています。実は我々が「感謝節」を祝う由来は米国の教会の影響からです。その影響を強く受けている韓国と日本の教会が大切に扱う節期(せっき)です。聖誕節と復活節と感謝節を最も重要な節期だと思っています。

 

旧約の節期の中、仮庵(かりいお)祭(Feast of Tabernacles)はオリーブ、葡萄などを収穫し取り入れた後、 「ティシュリ月」(7月、太陽暦で9-10月)15日から祝う感謝節期を指します。穀物を刈入れ、取り入れた後守る節期であるとの意味で「刈り入れの祭り」とも呼ばれました。出23:16「あなたは、畑に蒔いて得た産物の初物を刈り入れる刈り入れの祭りを行い、年の終わりには、畑の産物を取り入れる時に、取り入れの祭りを行わねばならない。」

 

そして、「天幕の祭り」とも呼ばれており、今日の感謝節に最も近い意味を持っています。神の恵みと祝福の中で一年の農作業を終え、感謝する節期です。ユダヤ人社会では、新年祭の意味も含まれています。しかし、感謝節は、やはり米国の教会と深い関係があります。ヨーロッパから米国に渡った初期の移住者たちの信仰と生活について私たちは知っています。イングランド国教会との葛藤を経験したピューリタンたちが今の米国北東部地域であるプリマスに移住しました。彼らは最初に到着したところで農業を始めたが、収穫を得られませんでした。食べるものがなくて苦労をしているときに、先住民、即ち先にその地に住んでいたインディアンの助けを得て、農業を再開しました。インディアンから学んだ栽培技術で、春にトウモロコシなどの作物を植え、秋の収穫は多かったのです。この収穫に対する感謝を神に、そしてインディアン族を招いて収穫を感謝する祭りを1621年に3日間したことから由来しています。

 

考えてみると、彼らの生活の中で食べ物がどれほど大切で、収穫の喜びがどれほど大きかったかを、彼らは体験して感謝をささげたのです。イスラエル民族の歴史の中で、米国の最初の移住者の生活の中でも、苦難と試練を克服してから、神に感謝をささげる姿が見られます。私たちも同じです。この時代の苦難と試練の中でも、今日、私たちは感謝しています。感謝する心は、ポジティブな心から始まります。私に与えられた現実の前で、ネガティブな視線にもなるでしょう。ネガティブな判断は常に不平不満ばかり出させます。しかし、ポジティブな視線で見れば、感謝が自然に出るようになるのを私たちはよくわかっています。

26節「天にいます神に感謝せよ。慈しみはとこしえに。」

 

2020年コロナウイルス禍と共に始まった一年、私たちの生活は何がどうなったのかもわからずに過ぎました。また、どのようになるだろうか。不透明な状態で未来を迎えることになります。どれだけ顧みても、感謝することが浮かびません。しかし、先週、米国の製薬会社である「ファイザー(Pfizer Inc)」のアルバート・ブーラCEOは、今回のワクチン開発の進行について、「科学と人類にとって非常に良い日」と発表しました。ファイザー医薬開発チームのウィリアム・グルーバー博士は恐らく希望を提示できるだろうと言い、COVID-19の苦しみから脱出できる可能性を得た意義深い日とも言いました。このような医学と科学の成果に対して、長いトンネルのような試練から抜け出し、希望を言う研究者たちの姿で私たちは何を感じられますか。彼らを労う心ではありませんか。発表後は忽(たちま)ち、誰が先にその薬を使えるのかという質問が飛び交いました。国々がその薬を確保すると国民に約束する光景も広がりました。恐らくお金がある国は心配いらないでしょう。しかし、貧しい国の人々はどうなるでしょうか。心配です。

 

愛する信徒の皆さん、2020年感謝節の意味はコロナウイルス禍の試練の中でも、どのような感謝の姿を持つべきかと考えさせられます。私たちと共におられる主を讃美し、感謝をささげる。そのような確固たる信仰で進まなければいけないのです。まだ試練が終わっていないのです。世界的に患者が増え続けており、死者が多くなっています。いつ、どこでどのような形で感染されるかわからない不安と経済的、精神的にも深い試練に陥っていきます。世界中で、命に対する極端な行動を取ってしまう人が増えています。韓国と日本はもちろん、世界の先進国と呼ばれる国でもコロナ禍くらいの深刻な状況になっているのです。このようなとき、私たちの希望は何でしょうか。

 

私の命を与え、食べ物を与え、働ける仕事を与えて下さったことに感謝しましょう。互いに関心を持って、愛を分かち合える人々を与えて下さったことに、平凡にみえるのが実は大切なことであるのを悟り、感謝しましょう!今日も少し離れた席に座っている信徒がおられることに感謝しましょう。26節「天にいます神に感謝せよ。慈しみはとこしえに」。主に感謝をささげ、その慈しみを讃美する日になりますよう、主のみ名で祈願いたします。

 

<祈祷>

全能なる創造の主である神様。今日、このような美しい秋を私たちに与えて下さったことを感謝し、礼拝をささげる私たちに限りない祝福を与えて下さったことに感謝いたします。苦難と試練の中でも主を讃美する私たちの口や体と心を新たにし、もっと感謝が溢れるようにさせてください。主イエス・キリストのみ名でお祈りいたします。アーメン