2021年2月14日主日礼拝<エルサレム神殿完工と奉献式>鄭然元牧師

大阪教会  <2021年 2月14日>主日礼拝

説教 鄭然元牧師 / 通訳 金光成長老

題目 : 예루살렘 성전 완공과 봉헌식  エルサレム神殿完工奉献式

聖経 : 에스라 613-18 エズラ613節-18

<日/新共同訳>

13. そこで、ユーフラテス西方の長官タテナイとシェタルボゼナイ、およびその仲間たちは、ダレイオス王が書き送ったことに従い、命令どおり実行した。14. ユダの長老たちは、預言者ハガイとイドの子ゼカリヤの預言に促されて順調に建築を進めていたが、イスラエルの神の命令と、ペルシアの王キュロス、ダレイオス、アルタクセルクセスの命令によって建築を完了した。15. この神殿は、ダレイオス王の治世第六年のアダルの月の二十三日に完成した。16. イスラエルの人々、祭司、レビ人、残りの捕囚の子らは、喜び祝いつつその神殿の奉献を行った。17. この神殿の奉献のために雄牛百頭、雄羊二百匹、小羊四百匹をささげ、また全イスラエルのために贖罪の献げ物としてイスラエルの部族の数に従って雄山羊十二匹をささげた。18. そしてモーセの書に書き記されているとおり、エルサレムにおける神への奉仕のために、祭司たちをその担当の務めによって、レビ人をその組分けによって任務に就かせた。

 

<説教>

愛する信徒の皆さん、お元気でしたか。

今日も皆さんと一緒に、主に映像で礼拝をささげております。日本の10地域に緊急事態宣言が再発令された後、コロナ感染者が少しずつ減ってきています。一日も早く自由に礼拝をささげる時間が来るよう一緒に祈りましょう。

バビロンの捕虜だったユダの民が神様の約束どおり、エルサレムに戻ってくるようになりました。戦争で荒廃したエルサレムの神殿を立て直すことは容易なことではなかったです。外部からの妨害もありました。挫折感に陥った指導者たちは、今後どのようにしたらよいか分からない状況でした。この時、神様の言葉がハガイとゼカリヤの預言者に臨むようになりました。それは、神様の神殿を再建築せよとのことでした。

まず、神殿建築を再開できたのは、神様の言葉のみ力でした。私たちが信仰生活をしながら一番に考えるべきことは、神様の言葉を最優先にし始める必要があります。ゼルバベルと祭司イエシュアも預言者ハガイとゼカリヤが伝えてくれた神様の言葉に基づいて、神殿建築を再開できる勇気を持つようになったのです。私たちは神様の仕事をするとき、主の言葉から勇気と力を得られます。そのとき、試練と待ちの姿勢が共に来ます。私たちは、生活が苦しみと試練に襲われると信仰で勝てるように多くの努力をします。もっと神様が望む方向に進むため、祈りながら実践しようと努力します。

ゼルバベルは神様の言葉を聞いて力を得て工事を再開しました。しかし、今回も総督と人たちが来て、誰の指示によって建築するのかと聞きます。エズラ記5章を見ると、総督タテナイ(Tattenai)はユーフラテス川の西方全地域を治めたバーサ総督でした。建築を中止せよという王の指示を破ってなぜ再び工事をするのかと聞いてきました。工事に関わる人々の身分と名前を把握しました。総督タテナイはゼルバベルから聞いた内容を偏見なく書いて送り、「キュロス王」が神殿建築を許可したのか、事実確認を求めました。タテナイ総督の手紙を受け取った「ダレイオス王」は部下たちに事実確認をするように指示をしました。その内容が今日、私たちが読んだ6章の前半に書かれています。王の記録保管所を調べて、その内容を見つけ総督に返書を出しました。この時間までに神殿建築は中断され、またもや待たなければいけませんでした。

「ダレイオス王」は以前に「キュロス王」がエルサレムの神殿建築を指示したという王の勅令を記録保管所から発見しました。そして、工事を早めるように命じました。今日の本文13節、「13. そこで、ユーフラテス西方の長官タテナイとシェタルボゼナイ、およびその仲間たちは、ダレイオス王が書き送ったことに従い、命令どおり実行した。」としました。やっとユダの指導者たちは安心して神殿建築ができるようになったのです。「14. ユダの長老たちは、預言者ハガイとイドの子ゼカリヤの預言に促されて順調に建築を進めていた」と記録されています。

今日、私たちも神様の仕事をするとき、覚えておくべきいくつかの事実があることを悟ります。一番目は、神様はご自分の意志、すなわち主のみ旨は、主の方法で成就させる方であることです。すなわち、神様の計画をまず知らないといけません。捕虜から帰って来たという事実は、すでに主が預言者を通して与えられた約束の言葉の実現でした。神様の時間と摂理の中で、神様の仕事を成し遂げていくのです。二番目は、神様の選ばれた人々を通して、神様の仕事をされるということです。まず、神様はバーサ王キュロスの心を動かしました。絶対的な権力を持つ王が植民地地域の人々の不満を宥める柔和政策を取りました。そして、その地域の神々の神殿を作らせ、王のために祈ってもらうようにしたのです。

私たちの民族の近代史で日本帝国主義は、1910年の韓日併合(へいごう)後、ソウル南山に「朝鮮神社」を設けました。1920年に建築し始め、1925年に完成され、その後「朝鮮神宮」と呼ばれました。朝鮮全国に神社を作り、朝鮮総督府は、強制的に神社参拝をさせました。各地方の学校と家庭にも小さな神社を作るように指示しました。さらには、すべての行事で神社参拝を強要しました。教会でも神社参拝は国家行事だから礼拝をささげる前にさせたのです。以後、神社参拝に対する悔い改めと反省がありましたが、教会が分裂される痛みが残りました。14節の後半に「イスラエルの神の命令と、ペルシアの王キュロス、ダレイオス、アルタクセルクセスの命令によって建築を完了した」と記されています。

神様の命令は、王たちを通して命じられ、確認され、神殿建築が完成したと言っていました。神様の命令が、イスラエル民族の信仰の中心地になる神殿を建築させたのです。以前説教で話したように民は「今は神殿を建築するときではない!」と言いました。しかし、神様の言葉が臨んだ預言者たちは建築の責任を引き受けた指導者たちと共に動きました。ここで神様の仕事をするとき、私たちが持つべき心構えと態度がわかります。神様の仕事に対して、教会の指導者たちと信徒たちが心を一つにして協力しなければなりません。どのような共同体でも、私たちが目指してすべきことを前にしては、互いに協力して、心を一つにしなければ神様の仕事は完成できません。

三番目に、神様の仕事を成し遂げるために献身する姿勢が必要です。聖書で見ると、キュロス王はゼルバベルを帰らせながら、エルサレムの神殿から持ってきた神殿の祭具類を持たせました。キュロス王は、エルサレムに帰る人々とエルサレムに残って住んでいた人たちに、神殿再建のために喜んで贈り物をささげなさいと命じました。

エズラ記1章5、6節「5. そこで、ユダとベニヤミンの家長、祭司、レビ人、つまり神に心を動かされた者は皆、エルサレムの主の神殿を建てるために上って行こうとした。

6. の人は皆、あらゆる意のげ物のほかに、銀と金の器、家財、家畜、高な贈り物をもって彼らを支援した。神様に喜んで献げものをささげました。神殿建築のために使われる

家財、物品、家畜もささげました。

<参考7. その神殿の工事をさせることにせよ。ユダの長官と長老たちは、かつて神殿があった場所にその神殿を再建しなければならない。8. この神殿を建てるために、あなたたちがそのユダの長老たちを援助することを、わたしは命ずる。その経費はユーフラテス西方からの税収による国費によって賄われ、滞りなく正確にそれを彼らに与えよ。9. 天にいます神に、焼き尽くす献げ物としてささげるために必要な雄牛、雄羊、小羊、それに小麦、塩、ぶどう酒、油をエルサレムの祭司たちの要求に従って、毎日欠かさず与えなければならない。10.こうして彼らが天にいます神に供え物をささげ、王と王子らの幸福な人生を願って祈ってくれるようにせよ。>

総督タテナイの書簡をもらい、事実確認をしたダレイオス王の勅令にはさらに驚くべきことが記録されています。まず、王は神殿建築への干渉をやめろと言っていました。そして経費は王の財産、徴税による国費から賄(まかな)い、滞(とどこお)りなく工事担当者に与えて中断されないようにしました。それだけではありません。祭司たちの要求に従って神にささげる物も与え、天にいます神に供え物をささげながら祈るようにさせました。

今日の教会も同じです。私たち大阪敎会のすべての予算執行は信徒の皆さんの献身で行われます。信徒たちが献身し、ささげる献金で教会を運営するとのことです。ささげた献金は礼拝のため、教育のため、宣教のために使われます。教会建築も同様です。「キュロス王」と「ダレイオス王」も神様の神殿建築のために自分たちの物をささげました

私たちも同じです。昨年2020年は、コロナ禍で礼拝を正しくささげられない状況が続きました。礼拝をささげられなかったことによって、信徒が教会に来られず、自然に献金もささげられませんでした。教会の財政が厳しくならざるを得ませんでした。しかし、最後の一年を決算してみると、感謝なことに信徒たちが苦しいコロナ時代にもかかわらず、真心を込めてささげた献金で足りたのです。どれほど感謝すべきことで、ありがたいことなのかわかりません。1月の最後の主日に公同議会を開き、報告すべきでしたが延期となりました。次の機会に、詳細に報告いたします。

今日の聖書のみことばをみると、ゼルバベルと祭司イエシュアは預言者たちの助けと民の献身によって神殿建築を完成させました。神殿奉献式も神に感謝しながら、全イスラエルが喜んでささげました。喜び祝いつつ奉献を行い、感謝のいけにえを神様にささげました。私たち大阪敎会の歴史の中でも、このような喜びの時間がありました。この礼拝堂の建築過程を見ると、1978年7月2日に起工式礼拝をささげました。そして、11ヶ月後である1979年6月17日に大阪敎会は新しい礼拝堂の入堂式が行われました。今から42年前、当時の状況を覚えておられる信徒もいらっしゃるでしょう。金(キム)徳(トク)成(ソン)牧師と建築委員長金(キム)京(キョン)秋(チュ)長老と建築委員たちと全信徒がどれほど喜んで感動し、礼拝堂の完成を迎えたのでしょう!私は説教の準備をしながら想像するだけでも、鼓動が高まり興奮し、感動が押し寄せてきました。

愛する信徒の皆さん、私たちが一生涯信仰生活をしながら、主の神殿を建築する、教会建築に参加できることがどれほど大きな祝福であるのか計り知れません。教会創立100周年、この喜びの時間を、神様の摂理と導きで迎えています。私たちの信仰の先輩たちが涙と犠牲と献身によって続いてきた大阪敎会の歴史です。立派で、美しい教会を後輩たちに残してくれたことがどれほど感謝なことですか。

説教をまとめます。神様のみ力で神様の仕事をするとの強い信仰を持ちましょう。全信徒が心を一つにし、お互いに激励し助け合う心を持って共に行動しましょう。徹底的に私が先に仕えるとの献身の心で神様の仕事に参加しましょう。喜びと感謝の心で共におられる主の働き人になりますように、主のみ名によって祈願いたします。

<祈祷>

今日も主のみ前で礼拝をささげる私たちに与えてくださった恵みに感謝をささげます。イスラエル民の経験したことが、私たちの経験にならせて、主の導きを信じ進む指導者たちを信頼し、祈りで助け、共に進めさせてください。過ぎた100周年に感謝しながら、今日私たちに与えて下さった使命を担える信仰を与えて下さい。主イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン