2021/1/31主日礼拝<神殿建築が中断される>鄭然元牧師

大阪教会  <2021年 1月31日>主日礼拝

 

說敎 鄭然元牧師 / 通訳 金光成長老

 

* 제목 : 성전 건축이 중단이 되다 神殿建築が中断される

* 성경 : 에스라  エズラ記4章1節6節

 

[(日)新共同訳]

1. ユダとベニヤミンの敵は、捕囚の子らがイスラエルの神、主のために聖所を建てていることを聞いて、2. ゼルバベルと家長たちのもとに来て言った。「建築を手伝わせてください。わたしたちも同じようにあなたがたの神を尋ね求める者です。アッシリアの王エサルハドンによってここに連れて来られたときから、わたしたちはこの神にいけにえをささげています。」 3. しかし、ゼルバベルとイエシュア、他のイスラエルの家長たちは言った。「わたしたちの神のために神殿を建てるのは、あなたたちにではなく、わたしたちに託された仕事です。ペルシアの王キュロスがそう命じたのですから、わたしたちだけでイスラエルの神、主のために神殿を建てます。」 4. そこで、その地の住民は、建築に取りかかろうとするユダの民の士気を鈍らせ脅かす一方、5. ペルシアの王キュロスの存命中からダレイオスの治世まで、参議官を買収して建築計画を挫折させようとした。6. クセルクセスの治世にはその治世の初めに、ユダとエルサレムの住民に対する告訴状が書き送られた。

 

<説教>

愛する信徒の皆さん一週間、いかがお過ごしでしたか。

2021年度も始まってからもう一ヶ月が経ちました。今日も、コロナ禍で映像礼拝をささげています。各自の場所で、真心を込めてささげますよう願います。新型コロナ禍が起きてから、1年が経ちました。2020年2月1日のニュースでコロナウイルス感染が、27カ国、確診者12,020人、死亡者259人と言われました。ちょうど一年が過ぎた今、200カ国に広がり、患者1億250万人、死者220万人だそうなので、驚くばかりです。健康に留意するよう、重ねてお願いします。

自分の生活において計画することや決心したことが順調に進むと、どれほど幸せでしょうか。

人の仕事だけでなく、神の働きを行うときも同じです。計画されたものが滞(とどこお)りなく進んだら、奉仕も幸せで楽しいでしょう。それは神の国の事、教会の事と個人の生活も同じだと思えます。

南ユダの人々が神の審判を受けて、バビロンのネブカデネザル王に滅ぼされました。王と民が捕虜として連れて行かれ、バビロンで奴隷生活を送っていました。70年という歳月が流れ、バーサがバビロンを滅亡し、新しいペルシア帝国を作りました。キュロス王はバビロンの時代に捕らわれてきたイスラエル民族を解放させてくれました。エルサレムに戻り、神の神殿を建設せよ!建て直すように命令を受けたゼルバベルは約5万人の同胞たちと一緒に帰ってきました。

戻ってきて2年2ヶ月が過ぎた後、本格的に神殿建築を開始しました。エルサレムの神殿の再建のためによく準備し、順調にことが運んでいきました。エルサレムの北の地域で住んでいたサマリア人が神殿建築をしているゼルバベルと家長たちのもとに来ました。神殿の建築を手伝わせてほしいということでした。彼らは言いました。「私たちも同じようにあなたがたの神を尋ね求める者です」。自分たちもヤハウェ、神にいけにえをささげていると言いました。ここで、イスラエルの歴史的な事実を再確認してみるようにしましょう。

イスラエルはソロモン王が死んだ後、南北に分かれました。国の名前を北が「イスラエル」とし、南は「ユダ」としました。北のイスラエルは、神である主に仕えず、豊かさをもたらす偶像に仕えました。結局、B.C 722年アッシリアに滅亡されました。我々がよく知っている通り、列王記下17章に詳細な歴史が出ています。当時、アッシリアの王サルゴン2世はサマリアだけでも男3万人を捕虜として捕らえていきました。アッシリアの移民政策は、北のイスラエル人を捕らえてきて、彼らが征服した他の民族と混合して生きらせることでした。純粋なイスラエル民族の血統を維持できないようにしたのです。北のイスラエルの中心都市であったサマリアに他の民族の人々を移住させ住まわせ、サマリア人と結婚させました。このような混血民族がサマリア人でした。

当時サマリアで宗教的な問題が起きました。結局、イスラエル人と他の地域で民族との戦いが起こりました。アッシリアの王は、北ベテルから捕虜としてきた司祭をサマリアに戻させ、宗教的な葛藤を失くすようにしました。列王記下17章33節「彼らは主を畏れ敬うとともに、移される前にいた国々の風習に従って自分たちの神々にも仕えた。」混合宗教の形を持つようになったのです。

一方では、アッシリアの立てた植民地政策がうまく実行されていました。文化や人種や宗教を混ぜてしまうと、自分たちの固有のものだと固執できなくなります。結局、サマリアには混血民族が生じました。後世、イエス様の時代でもユダヤ人は、サマリア人を正統のイスラエル人やユダヤ人と思わず、軽蔑をしていた理由がここにありました。このように、200年を生きてきたサマリア人たちがエルサレムの神殿建築の噂を聞いて尋ねてきました。自分たちも建築を手伝わせてほしいと。自分たちも神にいけにえをささげてきたと言いました。

しかし、今日の聖書のみことばを見ると、ゼルバベルは断固として拒絶します。「わたしたちの神のために神殿を建てるのは、あなたたちにではなく、わたしたちに託された仕事です。」と言いました。キュロス王が私たちに命じたように、主のために、私たちだけで建てます。」と言います。この話を聞いたサマリア人は、嫉妬心に駆られました。彼らの行動は、バーサの参議官を買収し、神殿建築を挫折ざせようとしました。彼らは王にゼルバベルとエルサレムの住民に対する告訴状を書き送ったのが、今日の本文の内容です。

今日のみことばに続いて起きることを見ると、サマリア人は神殿を建てますと言わず、「都を再建し城壁の工事を築いている。」としました。城壁が完成されることは、王に損害を与えるに相違ないと謀略をめぐらしました。その結果、エルサレムの神殿建築を中止せよとの王の公文書が朗読されました。バーサ王キュロスの植民地政策は、その地域の人々と宗教的な葛藤を起こさないようにするため、柔和であったと先週お伝えしました。このような政策を維持してきましたが、植民地の地域で城を築き、自分たちに敵対する姿勢ならば、強引に中止させました。結局、神殿建築は中断となってしまったのです。

当時、神殿を建築していた人々は、バビロンに捕虜としてつれていかれた人たちでした。主の神殿建築を許してくれるという王の約束を信じ、手を挙げて起き上がった人たちでした。自分の財産も差し出しました。自分の時間も出し、力を尽くし神殿建築に励んでいる最中だったのです。そしたら、すべてのことが神のみ旨の中で順調に進むのが当然ではありませんか。ところが、ゼルバベルと指導者たちはサマリア人の妬みと謀略により、神殿建築を中断せざるを得なくなったのです。

ゼルバベルとイスラエルの家長、指導者たちは主の神殿が建築できることを望んでいました。しかし、サマリア人の妨害で、神殿建築は中断させられました。このことによって、15年間、エルサレムの神殿建築は中断されたままでした。妬みと嫉妬心がもたらした恥ずかしい結果です。私たちが信仰生活や主の働きをする中で、順調どころか難しいことが起こる場合が度々あります。神の働きと教会の事業も妨害される場合があります。

私たちは生きながら、他人に後ろ指を指されずに、正しく生きようと努力します。主のみ旨に合うように、みことばに従い、主の働きに関与します。このような生き方ならば、すべてが順調に回るべきでしょう。もし私たちが主のみ旨だと思ったことが、中断され立ち止まってしまうのであれば、どんな思いをしますか。「なぜこのようなことが起きるのか。」という疑問が生じます。「ああ、神のみ旨ではなかったのか。」と思い、「この辺でやめたほうがいいかも。」と放棄するようになるでしょう。

世界の歴史を見ると、ペスト(黑死病)が1347年から始まりました。数年の間にヨーロッパで2500万人の人々が死にました。この伝染病により、欧州は社会構造が崩壊されました。当時はペストがどのように起こるのか、どのような経路で感染されるのかをわかりませんでした。それとともに社会は貧しく、下級階級の人々に、その原因を覆(おお)わせました。乞食、ユダヤ人、ハンセン病患者、外国人がペストを広げると考え始めました。結局は社会的な弱者に集団暴力を行い、さらには虐殺しました。

ペスト期間中に起こった虐殺は魔女狩りのようで、ペストによる社会的な混乱をマイノリティーに転嫁(てんか)した社会的暴力でした。一方、ペストが無限に広がり、人々の生活の態度が変わり、「今この瞬間を楽しもう」という言葉が生まれました。ヨーロッパの人々の宗教的な生活と考えにも大きな影響を与えました。1700年代までペストは、世界に影響を与えました。一部の人々は、ペストによる神の審判なので苦行をすることで罪を清めようという主張をし始めました。結局、このような誤った考えが溢れていた教会の状況の中で、宗教改革が開始したのです。

神はこの痛みの現場をどのように見ておられるでしょうか。非常に気になる質問です。今日、世界的に伝染病が広がっている現実の前で、私たちがすべきことがたくさんあります。しかし、これまで私たちが行ってきた方法や考えでは、乗り越えられない事態だと思います。社会的に、どの国も人命を失ってしまうのは最も悲しいことです。そして、経済的な面でも非常に厳しい状況です、国ごとに経済成長率は低下して国民が生活苦で苦しんでいます。この絶望的で凄惨(せいさん)な現実の前で、何より先に、私たちはお互いのために祈るべきだと悟ります。そして、私たちがすべきことを始めるのです。

ゼルバベルと祭司ヨシュアも神殿建築が中断されたとき、どれほど失望し挫折したかを考えてみてください。人々がその仕事を中断させたが、彼らはあきらめませんでした。主がその働きをあきらめなかったのです。すべての問題の解決は、神の人々と、彼らに与えられた使命を通して実現されるのがわかります。使徒パウロが与えて下さった慰めのみことばがあります。一コリ2章5節、「あなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでした」。この世の知恵や、消滅される統治者の知恵でもなく、完全なる信仰の人々に与える知恵によって、すべてのことを信じるようになるとのことです。

使徒パウロも、神の働き、福音を伝える仕事をしながら、ユダヤ人から激しい迫害をうけました。それだけではありません。教会内でも度々艱難に遭いました。その背景にあるのは、妬みや嫉妬と他人を認めない誤った信仰でした。ガラ4章「17あの者たちがあなたがたに対して熱心になるのは、善意からではありません。かえって、自分たちに対して熱心にならせようとして、あなたがたを引き離したいのです」。ゼルバベルが神殿建築に熱心にやっているときに、サマリア人が訪ねてきて、彼らが望む方向にならなかったとき、取った行動は「引き離す」ことでした。

神と人を引き離すのは、サタンの業でした。主の働きを熱心にしようとする信徒たちの心に、疑心を抱かせ、協力心をなくさせ、ことを破綻させる、それがサタンの業なのです。今日、教会を離れていく人がいます。彼らの中に信徒や教職者の仲を引き離そうとする人がいます。結局、このようなことにより、傷つき、教会から離れる人が多いことを、私たちは経験で知っています。

愛する信徒の皆さん、私たちの前にどのような艱難が押し寄せても、主への私たちの決心を自ら崩さないように願います。聞きやすい甘い言葉にも気を付けましょう。私たちは、我々が歩むべき信仰の道を黙々と歩きましょう。神のみ力の手が私たちと共におられます。

<祈祷>

全知全能で、わたしたちの生き方を見ておられる主よ、

今日も私たちはコロナ禍により、映像礼拝で礼拝をささげています。今日のみことばを通して、主への働きや生活の中で、思うとおりにならない場合が多いことをわかりました。その時、失望せず、試みにあわず、主のみ崇めながら進む信仰人にならせてください。私たちが疲労困憊のとき、私たちの手を取り、同行して下さるイエス様を頼りにし、進めるようにさせて下さい。私たちと共におられる主イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン