2021年1月24日主日礼拝<捕らえ移された民が戻って来る>鄭然元牧師

大阪教会  <2021年 1月24日>主日礼拝

 

說敎 鄭然元牧師 / 通訳 金光成長老

 

* 제목 : 사로 잡혀 간 백성이 돌아오다. 捕らえ移された民が戻って来る

* 성경 : 에스라1장 5절-7절 / 2장 1절-2절 エズラ記1章5節-7節/2章1節-2節

5. そこで、ユダとベニヤミンの家長、祭司、レビ人、つまり神に心を動かされた者は皆、エルサレムの主の神殿を建てるために上って行こうとした。6. 周囲の人々は皆、あらゆる随意の献げ物のほかに、銀と金の器、家財、家畜、高価な贈り物をもって彼らを支援した。7.キュロス王は、ネブカドネツァルがエルサレムの主の神殿から出させて、自分の神々の宮に納めた祭具類を取り出させた。

 

[()新共同訳] 2

1. 捕らえ移された先から上って来たこの州の人々は次のとおりである。彼らはバビロンの王ネブカドネツァルによってバビロンに連行されたが、それぞれエルサレムとユダにある自分の町に帰った者たちである。2. 彼らはゼルバベル、イエシュア、ネヘムヤ、セラヤ、レエラヤ、モルドカイ、ビルシャン、ミスパル、ビグワイ、レフム、バアナと共に帰って来た。イスラエルの男子数。

 

<説教>

愛する信徒の皆さん、過ぎた一週間いかがお過ごしでしょうか。

今日、私たちは教会で集まって礼拝をささげることができず、映像礼拝をささげています。

大阪地域の緊急事態宣言が出され、一週間が経ちましたが、患者が増え続けて死亡者の数も減らないのです。各自健康には特に注意して下さい。元気な姿で再び教会で礼拝をささげられますよう、願います。

今日のみことばは、イスラエル民族が苦難の歴史の中でどのように生きてきたのかを調べるために、旧約聖書を本文に選択して読みました。南ユダがバビロン、ネブカデネザル王によって滅び、神の神殿があったエルサレムまでも完全に破壊されました。バビロンに連れて行かれたユダの民にうれしいニュースが聞こえてきました。それは新たに王になったキュロスがバビロンの時代に連れてこられた人々を自分の故郷に戻るように指示をしたのです。エズラ1章で、神様は、キュロス王の心を動かしました。驚くことに、キュロス王は主なる神は、真の神だと告白しながら、ユダの人々をエルサレムに帰らせました。それだけではありません!指導者を立てて神様を礼拝する神殿を建築しなさいと命令だけでなく、財政的な支援も約束ました。

この時期をバビロン捕虜の1次帰還と呼びます。この時、呼ばれた人がいました。「ゼルバベル(Zerubbabel)」という人物です。キュロス王はゼルバベルをユダ地域の総督に任命しました。ゼルバベルはエホヤキン王の孫です。彼の父は、ペダヤです。(代上3:19)新約聖書マタイ1:12で、「12. バビロンへ移住させられた後、エコンヤはシャルティエルをもうけ、シャルティエルはゼルバベルを、」イエス様の系図に出てくる重要な人物です。ところがマタイの福音書では、「シャルティエル」の息子としても名が出るが、それはシャルティエルが甥であるゼルバベルを息子にしたか、もしくはシャルティエルが死んだ後、弟「ペダヤ」が結婚して産んだ子だからかと思われます。

ゼルバベルはキュロスの許可で大祭司ヨシュアと共に、エルサレムに戻りました。ゼルバベルに与えられた任務は神殿を建築することでした。エルサレムに戻ってきたゼルバベルとユダ人の人数と指導者の名前をエズラ2章で記録しています。「64. 会衆の総数は、四万二千三百六十人であった。65. ほかに男女の使用人がいて、それが七千三百三十七人いた。また、男女の詠唱者(えいしょうしゃ)が二百人いた」

全体に5万名程度でした。そして、戻ってきた人たちは各地域に散らばって住んでいました。70. 祭司、レビ人、民の一部、詠唱者、門衛、神殿の使用人はそれぞれ自分たちの町に住んだ。イスラエル人は皆それぞれ、自分たちの町に住んだ。」と記録しました。

7ヶ月が過ぎ、彼らはゼルバベルと祭司たちが住んでいるエルサレムに集まりました。3章で、彼らはまず、神様の前で焼き尽くす献げものをささげました。皆さんもよくご存じの通り「焼き尽くす献げものを祭壇にささげる祭事で、いけにえを焼き尽くして礼拝をささげます。すべてを神様にささげる犠牲のいけにえでした。まだ神殿が建築されてないため、臨時の祭壇を作りました。このように神様に祭事をし始めてから、朝晩、祭司長を中心として焼き尽くすいけにえをささげました。

エズラ1章を見ると、キュロス王はエルサレムの神殿にネブカドネツァル王とその部下たちが持ってきた神殿の祭具類をゼルバベルに返しました。エズラ1章を見ればキュロス王はエルサレムに建てる神殿のために随意(ずいい)の献げ物をささげました。そして、神に心を動かされた者が主の神殿の建築のため、登って行こうとしました。2章では、戻ってきたユダの民の指導者たちも、エルサレムの神殿があった場所に到着したとき、神殿建築のために、自分たちの所有物の中で、金、銀、祭服をささげました。

それで力を得たゼルバベルは神殿基礎と神殿建築のため、準備をします。エズラ3章7節で「彼らは石工と大工に銀貨を支払い、シドン人とティルス人に食べ物と飲み物と油を与え、ペルシア王キュロスの許しを得て、レバノンから海路ヤッファに杉材を運ばせていた。」この内容を見ると、ソロモンがエルサレムの神殿を最初建築するときを思い出させます。彼の父ダビデ王から建築設計と神殿建築材料について説明を聞いたソロモンは、父の指示通りに神殿を建築しました。

ゼルバベルも祭司「イエシュア」と共に神殿建築のために着実に準備しているのです。そして、エルサレムに戻ってから2年2ヶ月が過ぎたとき、資材の準備ができ、神殿建築を始めしました。まず、神殿の基礎工事を始め、祭司は礼服を着ました。レビ人は楽器を準備してダビデ王の定めに沿って、大声で主を讃美しました。彼らは、自分たちの信仰的告白を感謝しながら、主に栄光をささげます。

すべての民も、この光景を見て大喜びしながら讃美をささげました。昔の神殿を見たことがある年取った指導者の中には、あまりにも嬉しくて大声をあげて泣いたと記録しています。感激した民の喜びの叫び声が遠くからも聞こえました。号泣する声と感謝して叫ぶ声が識別できず、遠くまで響く感動的な時間を迎えたのです。どれほど嬉しかったでしょうか。先祖が建てた美しいエルサレムの神殿は異邦人の手によって、完全に破壊され、その跡だけが残っていました。そこに再び神殿の基礎が据(す)えられたことだけを見ても、感動を受け感激しました。私はこの場面を読みながら、大阪敎会建築の歴史と交差する感覚が起きました。

今年教会カレンダーを作成するために、事務室では多くの時間を割いて写真を整理し、決定する作業をしました。数年間、教会の活動を撮影しておき、その中で意味のある写真をカレンダーに載せました。カレンダーを配布すると、ある部会の分量が少ないと言われる場合もあります。しかし、今年は100周年である記念の年なので、私たちの教会の歴史で最も感激的な瞬間を撮った写真の中で、10月のメイン写真を選びました。それが、この礼拝堂の起工式の瞬間を撮った写真です。

私たち大阪敎会の歴史を見れば、設立後43年になった1954年の共同議会で、教会建築を決意しました。しかし、長い時間を経て、経済的な問題や場所などの困難が多かったようです。教会55周年辞には、「一般信徒の意見と一致できないことに祈りと忍耐を持って、成し遂げられると信じて進めてきた」と記録しています。そして20年後の1978年、建築実行委員会が設立され、本格的に教会建築が始まりました。建築委員会、建築実行委員会が1年の間に45回会議を持ったと記録されています。ほぼ毎日集まったと言っても過言ではありません。このような祈りと努力で1978年、教会建築の礎を築くことになったのです。

愛する信徒の皆さん、今日私たちが分かち合えるみことばから確認できることがあります。主の神殿を建築することで、神様のみわざが見えます。最初には、異邦人キュロス王の心を動かしました。先週のみことばでキュロス王は、「天にいます神、この主がユダのエルサレムに御自分の神殿を建てることをわたしに命じられた」。そして彼の信仰的な告白が続きます。「3. あなたたちの中で主の民に属する者はだれでも、エルサレムにいますイスラエルの神、主の神殿を建てるために、ユダのエルサレムに上って行くがよい。神が共にいてくださるように。」と言います。

第二は、ゼルバベルと当時の祭司たちと指導者たちです。彼らは自らキュロス王の話を聞いて、立ち上がった人々でした。先に述べたようにバビロン捕虜から故郷に帰ってエルサレムの神殿を建築するという意志を持つ人々でした。神の国のことは誰が担うのでしょうか。主が選択した人たちと主の働きをするという意志がある人が担います。神の国のことは、結局宣教的な考えであり、主のみ旨に従い、立てた教会を通して福音を伝える働きを行うことです。そして、これらの宣教と伝道と神様を礼拝する場所である教会が中心にならざるを得ないのです。

愛する大阪教会の信徒の皆様、私たちの先輩たちは祈りと協力でこの美しい教会を建築し、残してくださいました。感謝すべきです。そして、私たちはこの信仰を継承しなければいけません。主が私たちと共におられます。

<祈祷>

慈しみ深き主よ、神様の摂理は計り知れない神秘の中で、そのみ旨を成就させることをみことばを通して

学びました。今日を生きる私たちがすべきことを探し、実践できる強い信仰を与えてください。

私たち先輩が残してくれたことに常に感謝する心を持たせてください。そして、私たちの子どもや子孫がこの信仰を継承できるとうに導いてください。感謝しながら、主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン