2021年1月17日主日礼拝<主の神殿を建てなさい>鄭然元牧師

大阪教会  <2021年 1月17日>主日礼拝

 説教 鄭然元牧師 / 通訳 金光成長老

* 제목 : 여호와의 성전을 건축하라 主の神殿を建てなさい

* 성경 : 에스라 1장1절-4절 エズラ記1章1節-4節

[()新共同]

  1. ペルシアの王キュロスの第一年のことである。主はかつてエレミヤの口によって約束されたことを成就するため、ペルシアの王キュロスの心を動かされた。キュロスは文書にも記して、国中に次のような布告を行き渡らせた。2. 「ペルシアの王キュロスはこう言う。天にいます神、主は、地上のすべての国をわたしに賜った。この主がユダのエルサレムに御自分の神殿を建てることをわたしに命じられた。3. あなたたちの中で主の民に属する者はだれでも、エルサレムにいますイスラエルの神、主の神殿を建てるために、ユダのエルサレムに上って行くがよい。神が共にいてくださるように。4. すべての残りの者には、どこに寄留している者にも、その所の人々は銀、金、家財、家畜、エルサレムの神殿への随意の献げ物を持たせるようにせよ。

<説教>

愛する信徒の皆さん、

先週、私たちが住んでいる関西地域大阪府、京都府、兵庫県で新型コロナウイルス感染が深刻になり、日本政府は、緊急事態宣言を再発令しました。今日、私はがらんとしている礼拝堂でビデオカメラを前にし、説教を伝えています。 2020年から、私たちは、数回の礼拝の時間と方法を変更しながら、コロナ禍に対応して来ました。しかし、とどまるところを知らないコロナ禍は、すでに世界で9400万人の患者と死亡200万人を上回る死者を出しました。再び、教会で礼拝をささげることができない状況になってしまいました。しかし、私たちは主に礼拝をささげることを止めることはできません。私たちに与えられた最善の方法を使い、主に礼拝と讃美をささげているのです。家庭で子どもたちと共に、映像礼拝をささげる方がおられます。大変な時期ではありますが、このようなときこそ、家庭で信仰教育が行われる機会となりますよう願います。

イスラエル民族は、神から与えられた律法と預言者たちを通して与えられたみことばを無視しました。神様があれほど嫌う偶像崇拝をしました。さらに、神の神殿にさえも異邦人の神々を立てようとするのを見て、神様は怒りの審判を下しました。それは北のほうから来た強い軍隊によってユダとエルサレム城は滅亡されてしまう審判でした。早天、私たちが毎日読んで黙想しているエレミヤ書で知っている内容です。

BC586年、エルサレム城がバビロンの軍隊によって破壊されました。ユダの民は捕虜になり、連れていかれ奴隷生活をしていました。この捕虜時代に起きた驚くことは、異邦の地で神様の律法を子孫に教えたことです。彼らは集団生活をしていたところにシナゴーグ(会堂)を作りました。神様はエルサレムの神殿でとどまらず、どこでも礼拝をささげられる方として認識し始めました。このように、エルサレムの神殿の外での祭事、すなわち礼拝をささげる集いが会堂で始まりました。シナゴーグはヘブライ語で「ベイット・クネセット(Beith Knesset)」、すなわち「一緒に集まる」という意味を持つようになりました。このように、捕虜生活の中でも、信仰生活をしていたユダの人々に、イザヤと預言者たちを通して以前言われたことが実現するという奇跡のようなことがおきました。

ペルシア王国がバビロン帝国を滅ぼし、新しい帝国になりました。その中心には「キュロス」という王がいました。メディヤ王国とペルシヤを統一し、バビロンを征服して、当時最大の領土を占領した王であり、ペルシャの初代王がキュロスです。キュロス王の政策は、アッシリヤと違って征服した民族の伝統を尊重し、宗教の自由も認めました。これらの政策の一環として、バビロンの捕虜であったイスラエルの民を故郷に戻らせました。それだけでなく、彼らが仕える神殿も建築するように許しました。したがって、ユダ民族は、エルサレムの神殿も再建できるよう許されたのです。

このことは、完全に神様がされたことでした。しかし、これは聖書の歴史から見ると、キュロスのこのような措置は、ずっと前、預言者イザヤによって伝えられた預言が成就されたことがわかります。(イザ44:24-28;45:1-13)預言者イザヤはキュロス王について、国々を彼に従わせ、エルサレムと神殿を再建させる者であり、(イザ45:1)、油そそがれた者であり、イスラエルを解放させる牧者と預言しました。(イザ44:28;45:1)祭司であり、預言者であったエズラも今日の本文でわかるように、キュロスに対する預言の成就について記録しているのです。(エズ1:1-2;3:7;4:3)。

まさにこの時期に、神様がキュロス王の心を動かし、エレミヤの預言が成就できるようにされたのです。それはユダ民族の一部を自分の故郷に帰らせることでした。そして、彼らが信じていたヤハウェ、神様を礼拝する神殿、エルサレムの神殿を再建するようにしました。私は先週の主日の説教で、100周年を迎えた私たち大阪敎会が、この時点ですべきことについて話しました。最も重要な事は、私たちが持っている信仰を私たちの子どもたちと子孫に継承することです。二番目は、教会の次世代の指導者を育てて立てることです。そして、このような働きのため、センターの役割を担う教会を維持することだとお話ししました。

私は大阪敎会の歴史を読み返しながら、神様を礼拝ささげる場所がなかった時間を顧みるようになりました。教会が設立される100年前、1921年に金禹鉉(キムウヒョン)神学生と金(キム)義生(イセン)、申(シム)南秀(ナンス)さんが紡織工場の寮の部屋で祈りました。紡織会社の担当者から許諾を得て始まった一室の祈りは、6ヶ月間続きました。この祈り会が10人に増えました。寮の部屋で始まった祈り会は、翌年1922年に、神様の恵みで、当時一緒に信仰生活をしていた金成(キムソン)河(ハ)信徒の家の2階を借り、伝道所を設けるようになります。これが大阪敎会の正式な集会場所になったのです。牧会者と牧師が少なかった時代だったので、巡回牧師を迎えて新年査経会と集会を持ちました。大阪敎会にとっての最初の洗礼者は、金義生、申南秀姉妹でした。

しかし、すべてのことがいつも順調ではありませんでした。周りの日本人の妬みもありました。2階建ての家だった伝道所は信徒が増え、集いにくくなりました。再び主が、キリスト教学校[mission school]であるランバス女学院の支援が得られるように導きました。学校の寮の部屋を使用するようにしてくださったのです。当時の状況を、金(キム)徳(トク)成(ソン)牧師が発行し劉(ユ)時漢(シハン)長老が執筆された「大阪敎會55年史」でこのように記録しています。同胞の心の安息の場でもある伝道所は、あるいは郷愁を癒す憧憬處(しょうけいところ)でもあった。伝道する人が「イエスを信じて集まって喜んで生きましょう」といえば、ほとんどの同胞たちは「どこで集まりますか」としながら集う場所を期待していたと記録しています。

ランバス女学院院長の好意で寮にあった、20〜30人収容できるその空間は、信仰を育て同じ民族の郷愁を分かち合う場所だったようです。初期、私たちの先輩たちが集まったところでは、いつも奇跡のようなことが起こっていました。職場で仕事をしなければならないので、主日礼拝も昼間は集まる人が少なかったのです。それで夕方礼拝を始めることになり、多くの人々が集いました。感謝節献金をささげたが、意外にも相当な金額になったと劉長老は記録しています。ちょうどその時、関東大震災が起き、私たちの教会にも影響を及ぼしたそうです。そのような中、ランバス女学院にも変化が生じ、学校使用ができなくなりました。

そのとき、プール学院が許して、学校の空き倉庫を使用して礼拝をささげるようになりました。当時のプール学院の校長であるトリストーム女史(Tristom)が教室使用を許可してくれたのです。それも束の間で、学生の数が増え、1925年3月からは使用できないという通知を学校から受けました。ところが、私は歴史を読みながら、執筆者の本音が読み取れる部分に目が留まりました。81ページの下部に、劉(ユ)長老はこのように記録しています。「実情は、韓国人たちだから使用できないという理由がベースにあったので、羞恥と屈辱を耐え忍ぶしかなった。」と胸の内をさらけだしていました。

そしてトリストーム校長の助けと日本の牧師(森田)の協力で、桃谷の2階建ての家を借りることができるようになりました。歴史の本によると、最初の入党礼拝をささげたそうです。全信徒は前には見られなかった活気と喜びの中で、伝道所で信仰生活をするようになったそうです。私たちの歴史について、もっと深い関心を持って見る姿勢は非常に重要であると考えます。さらに、大阪教会の創立において、人物と礼拝所は、信仰生活と同胞社会に大きな影響を与えたことがわかります。

バビロンの捕虜生活をしている中で、彼らはシナゴーグに集まり、神様のみことばを子どもたちに教えました。そして、民族共同体としての一体感を持つようになりました。私たちの先輩たちも同じでした。礼拝所は、神様を礼拝する重要な場所です。同時に同胞の郷愁を分かち合い、大変な異国生活において精神的に互いを励まし合う大切な場所でした。今後、私は私たちの大阪敎会の歴史を信徒皆さんと共有しながら、先輩が行った美しい過去の歴史を探ってみようと思います。同時に、今日という生活の場で、どのようにすべきか、そして未来に向かって進むべきかを共に考えたいです。

キュロス王は捕虜になって奴隷生活をしていたユダの民の中で指導者を立て、故郷に帰って神殿を再建するようにしました!主が私と信徒に与えた今日の課題は何だと思いますか。まさに主の神殿を建築することです。しかし、すでに私たちには美しい建物である教会が許されています。どれほどありがたいことでしょう!私たちが今すべきことは、教会の建物をよく維持するために与えられた使命を果たすことです。

愛する兄弟の皆さん!

皆さんもよくご存知のとおり、イスラエル民族はカナンの地に入って住み、仮庵(かりいお)の祭を盛大に行いました。その理由は、荒野の40年の間、彼らは木の枝や葉で作られた仮庵で生活をしました。神様の恵みによって生きてきたことを覚えるためです。今日、私たちは、コロナウイルス禍により一緒に集まって礼拝をささげられない状況です。この時間に、私たちの先輩が苦労しながら過ごしたその時を振り返ってみましょう。

そして主は、私たちがすべきことを準備させる貴重な時間を、与えてくださったのです。

過ぎた歴史と時間に感謝しましょう。そして、未来に向かってわれらがすべきこと、教会の再建のため共に歩んで下さるように主のみ名によって願います。

<祈祷>

愛で歴史を司る全能なる主よ、この地に大阪教会を建てられてから100年になる今年、感謝をささげます。

顧みるとすべてが主の恵みです。この時代に主に導かれた信徒たちを通して、今日に至るようにして下さり感謝をささげます。願わくは、この艱難の時期に私たちに与えて下さった使命をよく担う信仰と勇気と力を与えてください。感謝しながら、主イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン