2020送年2021迎新礼拝<私たちの避け所となられる神様>鄭然元牧師

大阪教会 送旧迎新礼拝 [2020年 12月 31日/金/午後11時30分]

説教 鄭然元牧師

 

* 題目 : 우리의 피난처 되신 하나님 私たちの避け所となられる神様

* 聖書 : 聖書1(旧約) 욥기ヨブ17章11節-16節

聖書2(新約) 히브리서ヘブライ 6章13節-18節

 

[旧約]

11.わたしの人生は過ぎ去り/わたしの計画も心の願いも失われた。12.夜は昼となり/暗黒の後に光が近づくと人は言うが 13. わたしは陰府に自分のための家を求め/その暗黒に寝床を整えた。14.墓穴に向かって「あなたはわたしの父」と言い/蛆虫に向かって「わたしの母、姉妹」と言う。15.どこになお、わたしの希望があるのか。誰がわたしに希望を見せてくれるのか。16.それはことごとく陰府に落ちた。すべては塵の上に横たわっている。

[新約]

  1. 神は、アブラハムに約束をする際に、御自身より偉大な者にかけて誓えなかったので、御自身にかけて誓い、14.「わたしは必ずあなたを祝福し、あなたの子孫を大いに増やす」と言われました。15.こうして、アブラハムは根気よく待って、約束のものを得たのです。16.  そもそも人間は、自分より偉大な者にかけて誓うのであって、その誓いはあらゆる反対論にけりをつける保証となります。17. 神は約束されたものを受け継ぐ人々に、御自分の計画が変わらないものであることを、いっそうはっきり示したいと考え、それを誓いによって保証なさったのです。18. それは、目指す希望を持ち続けようとして世を逃れて来たわたしたちが、二つの不変の事柄によって力強く励まされるためです。この事柄に関して、神が偽ることはありえません。

<説教>

2020年と言う時間が終わろうとしています。

公平なる神様が、この世に生きる全ての人に365日、一年を同様に与えられました。

後、何分後には新年のファンファーレを聴きながら私達は、2020一年を迎えるようになります。世界は、新型コロナウィルス感染事態によってとても苦しい1年を過ごしました。

皆様も、どんなにか辛かったことでしょうか?今まで経験し得なかったこと、日常生活を変えなければならないことにも辛い思いをいたしました。また、しなければならない事に対して、今までしてきた事と真逆な行いをする事がどんなに大変だったでしょうか?

アウグスティヌスは、時間に対する定義を次の様に言っております。“私たちには、3つの現在があるのみです。過去の現在と現在の現在と未来の現在がある”と言いました。この言葉の意味は, 過去の現在とは ’記憶と追憶’と言う形態で存在し、現在の現在とは’洞察と決定’ する事であり、未来の現在とは’期待感と希望’で存在していると言いました。過ぎた過去の出来事を振り返るのは、今現在どの様に生きるべきか? 明日、つまり未来の生き様にどんな希望を持って進むべきか、を考える事が正しい姿勢であると思います。

今日、この様に1年を送りながら、過ぎた時間を振り返りまた、来る新年を希望で迎える私たちの姿と同じ様に思います。2020年は人類の歴史に何を残すのか?を考え祈りながらメッセージを準備致しました。二言無く、’コロナの年’と言えるでしょう。多くの人々が、予防接種もない状態で迎えた感染病により、全世界の人口の1%が感染され、大変苦しんでいる状態におかれています。予測すれば、すぐに約200万人の命がこの世を去る、様な危機的な状況が続いています。

旧約聖書に出てくるヨブは、神様に認められる信仰と徳望を得ている人でした。しかし、彼が受けた試練とは、受け入れ難く誠に辛い試練でした。その原因は、サタンからの試みによる物でした。サタンは、人間に肉体的に精神的に信仰的に苦しみを与え、その人の信仰をはかりに掛けついには神様を恨み信仰を捨てる事を目標にしています。ヨブが受けた苦しみはとても大きなものでした。

今日の御言葉に、11節、”私の人生は過ぎ去り、私の計画も心の願いも失われた”とあります。人は誰しも、この世での生活が無限で無い事を知っています。私に与えられた時間が、いつかは終わる時が来る事も皆様が知っている真理です。私達が立てた数多くの計画と、望みながら願っていた事もやがて皆、失なわれてしまう事も知っています。

2020年も生きながら、切実に感じた事はどんな事でしたか?私たちの計画と願いと希望が、そんなにも間違った事だったのでしょうか? そして、それは実現不可能な事だったでしょうか? そうではありません。しかし人々は、自分が願っていた事が叶わなければ、わだかまりを心に残してしまいます。ヨブがどんなに苦しかったか、’墓が自分の家であれば良かったのに、陰府に落ちた方が生きるよりも良いではないか ’ と考えてしまったほどです。

皆様も、生きながらこんな考えをした事はありませんか?あまりにも苦しく辛い事が起これば、心の底からヨブの様な言葉が出てしまわないでしょうか?ヨブは、この試練と精神的、肉体的な苦しみの中から、もはや自分には希望もなく、もし希望があれば陰府に降る、と言う極端的で絶望的な表現しているのです。ヨブの苦難と同じ苦しみと試練は、誰にでもいつでも起こると言う事です。このような苦難が、私たちにやって来たらどのように克服しながら生きるべきでしょうか?私たちが、神様を信じて生きる信仰者として最も大切に思う事とは何でしょうか? それは、神様の御言葉です。御言葉は、過去に、現在に、より進んで未来へと私たちを神様の約束の世界に導びかれるのです。苦しく辛い時に、私たちを慰められ、新たなる力を下さり、希望溢れる様にして下さるのは何でしょうか? すなわち、神様の御言葉です。

2021年を始めるこの時、私たちにくださった新約聖書の御言葉を聞きましょう。神様が、信仰の先祖として立てられたアブラハムにくださった約束の御言葉は、14節 “私は必ずあなたを祝福し、あなたの子孫を大いに増やす”と言われました。愛する信徒の皆様、2021年の最初のこの時間に私達にくださる御言葉をこの一年の間、いや一生涯に渡って心に刻んで生きて行きましょう。神様が、あなたを必ず祝福し、あなたの子孫は大いに増やす。この様に、個人的な面における祝福を期待する事はとても良い事です。それだけでなく2021年の私たち大阪教会は、神様の恵みで創立100周年を迎える喜びの年です。私たちの大阪教会が、この御言葉の祝福を経験する事を望みます。

18節には、特別な表現をしています。神様は、嘘をつく方では無いと言っています。そして、変わらない2つの普遍の事柄があるとを私たちに約束されます。“それは、目指す希望を持ち続けようとして世を離れて来た私たちに力強く励まされるためです。この事柄に関して神様が偽る事はありえません”と言われます。日本と韓国、北朝鮮や全世界に、平和の祝福があります様に願いましょう!コロナ禍が、一日も早く終息します事を祈りましょう!

お互いに励まし合い、神様を愛し、隣人を愛する事を決心しながら、新年を迎えましょう!私と皆様、私達皆が神様の御言葉を信じて従う生き様になります様に願います。

新年には、私達が持っている希望が、必ず成し遂げられる2021年になります様に願います。神様が祝福してくださり、繁栄させてくださる事を信じて出発致しましょう。