大阪教会 主日礼拝<2020年 12月27日>送年主日礼拝
説教 鄭然元牧師 / 通訳 金光成長老
* 題目 : 주의 길을 준비하면서 主の道を備えて
* 聖書 : 이사야 40장 3절- 5절 イザヤ書40章3節-5節
- 외치는 자의 소리여 이르되 너희는 광야에서 여호와의 길을 예비하라 사막에서 우리 하나님의 대로를 평탄하게 하라. 4. 골짜기마다 돋우어지며 산마다, 언덕마다 낮아지며 고르지 아니한 곳이 평탄하게 되며 험한 곳이 평지가 될 것이요. 5. 여호와의 영광이 나타나고 모든 육체가 그것을 함께 보리라 이는 여호와의 입이 말씀하셨느니라.
3.呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え/わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。4.谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。5.主の栄光がこうして現れるのを/肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される。 |
<説教>
2020年の最後の主日を迎えました。2020年は新型コロナウイルス感染で、全世界は大きな苦しみを被った一年です。刻々と変わる変化や状況は、これまで経験したことがなかったので、困惑し、うろたえました。私たちが住んでいる社会生活はもちろん、仕事と家庭にも多くの変化がありました。国を導いていく国家運営や地域社会でも右往左往する姿が見受けられました。私たちが信仰生活をしながら、今まで持っていた重要な価値が変わり始めました。どんなことにおいても優先順位が変わり始めました。
教会も同じでした。感染拡大を防ぐための方法として、人々が集まることを禁止する措置が下されました。教会も当然同じ措置を取りました。市民が不安がらないために、注意を払う行動も必要となりました。韓国の場合、異端の集団で生じた集団感染から、膨大な感染者が出てコロナ禍が始まりました。このことは、異端の集団だけでなく、その後も教会で集まれば、患者が発生して問題になり、今日、この時間、韓国の教会は、礼拝すら捧げられず、すべての教会が映像での礼拝になっています。
私たち大阪敎会も礼拝の時間と方法を数回変えなければならなかったのです。教会にとって非常に重要なイベントが延期になり、会議ができない状況になりました。美しい聖歌隊の讃美とグロリア吹奏楽団のコンサートもキャンセルせざるを得なかったです。信徒の交わりは中断され、お互いに手を取り合って握手し挨拶し、励まし合うことさえ許されない状況になりました。何よりも大阪敎会は2021年、来年迎える創立100周年を控え、準備してきたすべてのものが中止、もしくはキャンセルされました。
2020年1月元旦、新年の感謝礼拝を捧げながら、「信仰、希望、愛で始めましょう!」という題目の説教を新年メッセージとして皆さんにお話ししました。私たちの信仰の最も根本的であり、本質的な信仰と希望を持って、神の愛と隣人と教会を愛する信徒になることを固く決心しながら始めました。
来年迎える創立100周年を前にして、教会の標語を「主の道を整える教会」と決めました。「教会」という信仰共同体が、主の道を整えるところだとすれば、教会に属している私たちは当然、主の道を備える人になるべきだとお話ししました。そして、今日の最後の主日を迎え、今年を振り返ってみると、あまりにも虚しく感じます。目的地に向かって進むべきなのに、私たちはその道の途中で迷いました。その道を選び、私たちが進むかを決定する際に、私たちは、今まで経験しなかった状況の中で進む道を決めざるを得ませんでした。堂会員に感謝するのは、その都度、総合的な情報と、事態を見守りながら準備に最善を尽くして下さいました。討論と決定の過程では、教会の礼拝と信徒たちの健康を最優先に考えながら、対策を講じるため努力してくださいました。
愛する信徒の皆さん!
今日、私たちが過ぎた時間、私たちが経験したことを顧みることは、明日の準備のために非常に重要なことなので、申し上げる次第です。イスラエル民族が民族のアイデンティティを持てるようになったのはヤコブの12人の息子とその家族がエジプトでの生活を終え、カナンの地に移住するときでした。エジプトで奴隷のような生活をしながら、集団生活をしていました。もはやそこを離れて出発する過程から、彼らは多大な困難に直面しました。その歴史を、私たちはあまりにもよく知っています。
40年という長い歳月は、イスラエル民族にとっては苦難の時間であり、訓練の時期でした。主はこの40年間の荒野生活で、神の民とならせるため過酷な試練と苦しみを与え、信仰で一つになることを期待されたのです。先に申し上げたように、私たちは、2020年、予測できないことが続き、困惑しました。そのような時間の中、主の方法で私たちを導いてくださったことを、今になって気づきます。
明らかに前に進められず、止まったままである部分が多かったです。私は担任牧師として考えました。なぜこのような時に、このような試練が私達を襲ったのか。そのように考えながら、黙想中に重要なことに気づかされました。走っていくことも重要ですが、立ち止まっているときに見えてくることがありました。互いに合うことで解決できるのだと思っていたのが、他の方法でも可能であるのがわかりました。普段ありふれたものだと思ったのが、いかに大切なことだったのかを教えてくれました。大したことではないと軽んじていたのが、どれほど貴重な宝物だったのかをわからせて下さったのです。
過ぎた24日クリスマスイブに、8人の特別聖歌隊員と一人のソリスト、二人の伴奏者と聖書朗読者一人、牧師が説教を担当しました。さらに、目に見えないところでは、映像を配信するため苦労した3-4人の奉仕者がいました。その少ない人数の人々が、イエス様に捧げる聖誕の讃美は、今まで触れたのとはまた別の感動がありました。多くの方が映像を通して参加した讃美の礼拝について感想を語って下さいました。普段の礼拝がどれほど貴重で、どれほど感謝で、どれほど大切であるのか悟りました。聖歌隊の美しいハーモニーの讃美が、どれほど貴重なのかをわからせてくれたのも、このコロナ時代の産物でした。
愛する信徒の皆さん、虚しくて苦しくて悶々とされていると察します。何もできなかったと自分を責めないでください。私たちは、立ち止まっている中で学び感じたことがありました。それがどれほど貴重なものなのか、今はわからないけど後には知るだろうという言葉を覚えておきましょう。主の道を整える教会、主の道を備える信徒に与えられた祝福があります。それは道を作ろうとし目に見える結果が表れなくても、その中で私たちが学び悟ったことが非常に大切なのです。
今日のみことばは、今年の第一主日に読んだ新約聖書マタイ3章1節-3節を引用したものです。ルカによる福音書にも出てくるみことばです。このように、旧約聖書のみことばが新約聖書で2回も引用されていることは、それほど重要であることを意味します。荒野で叫ぶ者の声がありました。 「主の道を備えよう。その道筋をまっすぐにせよ」。道を作るためには、谷が埋められ、山や丘が低くされ高低がないようにすると話されました。私たちが道を車で運転して行くとき、目的地まで常に快適に運転できる道だけではありません。くねくねしたカーブもあります。上り坂下り坂もあります。雨の日や雪の日に運転すると、用心深く事故がないように、さらに注意を払うようになります。
4節の後半、「険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。」というみことばは、預言者イザヤが、イスラエルの民が捕虜生活を終え、国と故郷に帰って来ることを先に言っているのです。捕虜として捕らえられていった道を戻ってくる民が、平らな道のような心を持って、安らかに帰ってくるという意味が含まれています。それだけではありません。この慰めと回復を5節のみことばのように、「主の栄光がこうして現れるのを、肉なる者は共に見る。」と宣言されました。
愛する信徒の皆さん、
私たちは、数日前聖誕節を喜びで過ごしました。インマヌエルの神が、まさにイエス様なのです。イエス様は神の栄光のためにこの地に来られました。そして、この栄光の輝きを羊飼いや東方の博士たちだけが見たのではありません。まさに私たちも、これを一緒に見るようになったのです。主の道を備えるのは、今日、主をよく迎えるための準備を整えるべきです。主が来られ、伝えて下さった福音をこの地の人々が聞いて信じ、神の国の民にさせるために道を整えるのです。
主のみことばを聞き献身し仕え奉仕する信徒が、多くなることが主の道を平らにさせることです。主のみことばを読んで実践することにより、誰もが天国に向かって、その道を歩けるようにさせます。つまり、天国へ行く道を見つけやすく、歩きやすくするために準備することです。
私はこの年末になるたびに、子どもの頃の学生時代が浮かびます。学年終了時には成績表を担任の先生からもらいます。友だちに見られないようにしてそっと自分のを見ます。成績が良ければとてもうれしくて幸せです。しかし、成績が悪かったら、あ、ため息が出ます。どうやって親に見せればいいか心配していたことを思い出します。一年間の牧会を顧みることは、牧会の成績表をもらうようです。
信徒の皆さんはいかがでしょうか。一年間、あなたの人生の実りを見ながら満足でしたか。もし足りないものが浮べば、心を新たにしましょう。来年には、この足りないものを必ず補おうと決心しましょう。私たちの信仰は、私たちが願えば願うほど実現できると、主が話されました。今年の収穫は終わりました。「コロナウイルス」という原因によって、多くのものを失いました。実を結ぶことができないほど、困難が大きかったと皆が知っています。
自分の生活の中で最善を尽くしたのかという質問に、明確に答える必要があります。主人に5タラントで商い、5タラントを残しましたと喜びあふれる報告ができる、大阪敎会になるようにしましょう。信徒の皆さんも個人的な生活の中で、よい実を結ぶことを願います。2020年、あまりにも大変で苦しかった一年、主の恵みで今まで過ごせたことに感謝しながら、新年を迎えましょう。
<祈祷>
愛があふれる主よ。私たちに来られる主の道を整えようと命じました。私たちが天国に向かっていく道も備えなさいとしました。主の体である大阪教会が2020年教会標語としたみことばを顧みながら、反省と主に新たな決心をします。主よ、私たちと共にいて下さい。新年を祈りと共に、新たな希望が持てるように祝福して下さい。主イエス・キリストのみ名によって、お祈りいたします。アーメン