2020/11/29主日礼拝「 私たちの希望であるキリスト」鄭然元牧師

大阪教会 主日礼拝 <2020年 11月29日> 待降節第一主日

説教 鄭然元牧師 / 通訳 金光成長老

* 제목 : 우리의 희망이신 그리스도<아직도 희망은 있습니다>

私たちの希望であるキリスト

* 성경 : 로마서 15장 12절- 13절 ローマ信徒への手紙15章12節-13節

 

<日/新共同>

12. また、イザヤはこう言っています。「エッサイの根から芽が現れ、/異邦人を治めるために立ち上がる。異邦人は彼に望みをかける。」 13. 希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。

 

<説教>

 

2020年待降節第1週目を迎えました。メシアであるイエス・キリストの誕生を待つ期間です。聖誕節を控えて4週間を待降節と呼ばれます。講壇には聖誕節まで毎週ごと、ロウソクを一本ずつ灯します。今日は第1本目のロウソクに火を灯しました。「希望を象徴するロウソク」です。一本ずつ、ロウソクの火を灯すたびに、その意味を説明いたします。

 

新型コロナ禍は私たちの生活に多くの変化をもたらしています。会社員が職場に出て仕事ができないことが生じています。生徒が学校に行って勉強をするべきなのに、家で勉強をします。今年、大学に入学をした学生は、入学式もできず、学校で授業を受けられない奇妙な現象が生じました。「在宅勤務」、「ソーシャルディスタンス」、今まで使われず馴染みなかった言葉が、今では、生活化されてしまったのもコロナ禍がもたらした変化です。

特に、私たちが注目すべき重要なニュースがありました。昨年11月9日、日本政府の厚生労働省の統計による自殺者数を見ると、今年は合計17,219人です。男性11,541人、女性5,678人です。しかし、問題は、10月は2,153人で、9月より一ヶ月間325人増えた数字です。より関心を持って見なければならない部分は、女性が211人増えています。今年初めから始まったコロナ禍による死亡者が11月27日までに2,064人です。だとすると、コロナによって死亡した人が10月の一ヶ月に、自ら極端な選択をして命を失った人が100人ほど多い2,153人であるという事実です。

皆さんもご存知のように、日本は先進国の中で自殺率が非常に高い国です。しかし、最近の統計を見ると、日本は韓国と同じ割合で表示されているのです。韓国は13年間、自殺率が世界1位の国だったが、最近再び高くなっています。15歳から34歳までの若者の死者が16.3%で、日本と韓国が同じでした。死亡理由の1位が自殺だった、これも両国とも同じでした。

待降節の第1主日なのに、このような重い内容で説教を初めることになりました。メシアであるイエス様がこの地に来られた目的を聖書は語っています。全人類を愛する御父のみ旨は罪によって、死ぬしかない人類を救うことです。イエス様の誕生を最初に教えた「天使ガブリエル」はヨセフとマリアから生まれる赤ちゃんに名付ける名前までも決めてくれました。マタイ1:21「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」

「自分の民を罪から救う方」と教えて下さいました。罪は神と人間との断絶を意味します。イエス様が人の子としてこの地に来られた目的は、まさに神と人間との断絶を克服するためでした。イエス様は民を罪から救うために、悔い改めて天国を受け入れなさいとされました。人に犯した罪を悔い改め、清められ、神様を正しく信じなさいとされました。イエス様は神と人との関係を正すだけでなく、イエス様ご自身が人との関係を改善するために働きました。病で苦しんでいる人たちを癒やされました。様々な病人たちと会いました。前が見えない人もいました。重い皮膚病で隔離生活を強いられた人もいました。さらに、人々から後ろ指をされる身分の人たちもいました。税理士や体を売る女性も会われました。食べものがない人には食べものを与えられました。人間関係が断絶され、疎外された人々の友達になってくださいました。

人間と人間との断絶は、無関心と疎外をもたらす関係の破壊を意味します。人が人との関係で自ら避け、関係を絶とうとする理由がどこにあるでしょうか。最近コロナ禍によって一人暮らしの高齢者、仕事場がない若者たち、職場から追い出された人々が多くなりました。自営業者と貧困階層が今まで以上に生活に苦しんでいるのも事実です。誰も経験していないコロナ禍が長期化し、社会的交流と出会いの回数や人間関係の質を低下させていると社会学者は言っています。これが人の心理的な面に大きく作用しているのは事実です。同時に、経済的な貧困の不安と、実際に収入の減少に起因する苦しみを受けるようになりました。従って、生活のすべての部分において不確実な未来と生存に対する恐怖と不安も膨らんできました。このようなコロナブルー(blue)により、精神的な健康の問題と自殺問題が、同じく迫ってきた社会的問題となったのです。

家庭の中でも隔離され、社会や友人とも距離を置いて一人で生活をする人が増えています。特にうつ病現象は死亡率と再発の可能性が高いため、定期的な治療を必要とする場合もあります。悲しみと虚しさを感じ、些細なことに怒って過敏に反応し、容易く不満に陥り、絶望します。今まで楽しんでいた趣味も、運動や勉強だけでなく、日常的な生活にも、興味を失ってしまいます。自殺者や自殺しようと思う人は、これらのいくつかの複合的な影響で、そのような極端な考えをしてしまうのを私たちはよく知っています。しかし、そのようなことが私を襲い、私たちの家族や近い知人や隣人に起こると困惑し、対応策を見つけられない場合がほとんどです。

 

普段、健康だと思っていた夫が、妻が突然、身体的な異常を訴え、大手術をしたり、病気に苦しめられる時、私たちはどのように思いますか。私の妻は、私の夫が死なず、生きているだけでも幸いだと思うようになります。部屋の戸を閉めて、引き籠もっている息子と娘を持つ母親は、毎回食事の時間に食べ物を作って、子どもの部屋の前に置きます。自分の母と父と家族の顔も会いたくない子を持つ親の心情を想像してみましたか。食べ物を作りながら食事でもしっかり取り、元気にいてほしいと願う母親の心情を想像してみましたか。子が死なずに生きているだけでも、よかったと思っている親の心情を考えて見ましたか。

自分の人生を振り返りながら、挫折感と失望の中で自分自身を失い、生きていく力と勇気さえも喪失した人々に、私たちができることは何でしょうか。徹底的な絶望感に陥っている人々に希望はどのような役割を果たせるのでしょうか。私は、8月30日主日の説教で申し上げました。神様が私たちの願いとのテーマで説教をいたしました。私たちが持っている信仰の役割は、私たちの生活を導く力です。しかし、これさえも、正常な判断力と日常生活によって可能なことであり、精神的に弱く魂が鈍くなった時には、役立ちません。場合によっては、むしろ信仰に対して批判的で否定的な行動を取る場合もあります。ほとんどの人が苦しみに陥ると、自ら、「なぜ神は私をこのような状況に置かせたのか」と不満をぶつけます。偉大な信仰人であった「ヨブ」も苦難が襲い、信頼した友人たちでさえ、自分の立場を理解してもらえず非難されたとき、一時的ではありましたが、神様を恨む態度を取りました。

自分の生活の中で生きる勇気を失い、喪失した心が再び回復できるよう、私たちは助け合うべきです。先に述べたように、イエス様がされた役割を私たちは注意深く見ておく必要があるのです。病で、生活の苦しみで、人間関係の辛さの中でも、それが終わりではないとイエス様は話され、行動で示してくださったのです。マタイ16:26「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。」

 「全世界を手に入れる」とは、とても大変な偉業だと言えるでしょう。私たちが考えられるのは、人々から羨望を得られる安定した職場などもあります。他人の尊敬に値する仕事を持ち、お金もたくさん稼ぐことができる仕事だとも考えられるでしょう。しかし、このようなすべてのものも、人の命より大切なものはないとイエス様は力強く話されます。なぜ、私たちは家族にもかかわらず、断絶を経験しますか。なぜ、私たちは教会生活を共にしながら、信徒たち同士で啀(いが)み合い、教会を離れる人が生じ、信仰の断絶をするようになるのかを考えないといけません。

預言者イザヤは、ユダヤ民族とエルサレムが神様の裁きで受ける苦難を預言しました。イスラエルの周辺国と民族に対する、神様の憤りと裁きを言っています。今日のみことばで「エッサイの根から芽が現れ、/異邦人を治めるために立ち上がる。異邦人は彼に望みをかける」。エッサイの根は誰を指すのでしょう。エッサイの息子は、ダビデを指す言葉です。そして、ダビデの子孫であるメシア、イエス様がすべての国々(周辺国)を治めるようになるが、周辺国がメシアに望みをかけるとイザヤは言いました。続けて与える祝福の言葉は、13節に出ています。「希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。」と話しています。

待降節、メシアであるイエス・キリストがこの世に降臨したクリスマスを信仰で迎えるために、そして、再臨の主を待つ時期なのです。絶望に満ちたこの世に、救いの主であるイエス様の降臨により、希望を見つけられるように願います。主の恵みで私たちは罪による絶望との関係性の断絶による苦しみから解き放たれた経験をしました。この経験と事実を私たちの隣人と全世界に宣べ伝えようというのが待降節の意味です。特に絶望の深淵に堕ちている私たちの周りの若者たちと厳しい環境に置かれている女性と主婦たちが、その中から希望を見つけるように手助けしないといけません。これが終わりではなく、むしろ始まりであるということを伝えましょう。

主イエス・キリストは私たちの希望であるのを、まず、私たちが真心で受け入れる時間になりますよう願います。

<祈祷>

慈しみ深き主よ、罪で死ぬしかなかった人間を愛され、その独り子をこの地に送って下さいました。今日は2020年待降節の第一主日で、私たちに真なる希望であるイエス・キリストを思います。飼い葉桶の中で生まれた謙遜と十字架を担う力強さが私たちを救いの道へと導いて下さったことに感謝します。

挫折と絶望で深い試練に堕ちている人たちと極端的な行動までも考える深刻な状態に置かれ、苦しんでいる人たちに自由と新たな力を与えてください。この聖誕の時期に喜びあふれる回復を与えてください。

私たちが苦難の中でも希望であるイエス様と共に歩む待降節にならせて下さい。この祈りを希望の主である主イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン