2020年9月20日敬老主日<父母恭敬と子どもへの愛>

 大阪教会 主日礼拝 <2020年 9月20日> 敬老主日/五旬節後第16主日 

說敎 鄭然元牧師 / 金光成長老

* 題目 : 부모 공경과 자녀 사랑 父母恭敬どもへの

* : 에베소서 6 1-4 エフェソの信徒への手紙614 

[新共同]

1. 子供たち、主に結ばれている者として親にいなさい。それは正しいことです。2. 「父と母を敬いなさい。」これは約束を伴う最初の掟です。3. 「そうすれば、あなたは幸福になり、地上で長く生きることができる」という約束です。4. 父親たち、子供を怒らせてはなりません。主がしつけ諭されるように、育てなさい。

<説教>

愛する信徒の皆さん一週間もお元気でしたか?

今日は2020年の敬老主日です。敬老の日を中心に父母と年老いた方への尊敬と感謝を伝える日です。説教者である牧師は、説教を聞く聴衆である信徒たちに模範を見せるべきだと思います。なぜなら聞いている信徒や、牧師の家族が模範的に生きているかどうかをよく知っているからです。

韓国の親たちほど子煩悩な親もあまりいないでしょう。「お母さん、お父さん」といえば、犠牲の代名詞であり、自分のすべてを与えながらも、さらに与えたがる存在が親だからです。このような親たちが年を取り、老後になると、子どもたちは自分の父母にどのように接しますか。私たちの民族には、長い時間、精神的に支配してきた儒教的伝統が私たちの考えに影響を及ぼしています。今回の説教を準備しながら、考えてみました。

韓国の親たちほど子煩悩な親もあまりいないと、先ほど申し上げました。ところが、親たちに対する子どもの親孝行の思想も立派なものです。これが孝の思想です。今日みことばでは、「子供たち、主に結ばれている者として両親に従いなさい。それは正しいことです。」「父と母を敬いなさい。これは約束を伴う最初の掟です。そうすれば、あなたは幸福になり、地上で長く生きることができる」と言っています。

「恭敬、父母を敬う」ことに対する考えが、キリスト教的思考と儒教の孝の思想が似通っているように見えます。父母を敬う主題は同じように見えますが、その内容を見ると、大きな違いがあることがわかります。儒教精神の孝は、親と子の間は人本的で、垂直的な倫理が中心です。しかし、キリスト教の父母恭敬は神本主義で、神を敬うことを模本とし、神からきれいに両親へと繋がっているからです。

儒教が親と子の関係を垂直的なものと見ているので、絶対的な服従と従順で表現できるでしょう。一方、キリスト教は、水平的な関係で相互人格の尊重と対話と疎通によって互いに依存している形態です。韓国教会が今まで、儒教的な伝統の孝の思想とキリスト教のあり方において、二重の基準で判断した信仰生活をしてきたのも事実です。すべてが悪いわけではない精神世界の根を、我々は今より良いキリスト教的な実践生活に変えなければいけないでしょう。旧約聖書を背景に、十戒第5の戒め、「あなたの父母を敬え」は、ユダヤ人の共同体意識を踏まえて、父母を敬う姿を考えてみましょう。ユダヤ人の理解の仕方は、聖書的な親を敬う文化を提案しています。父母を敬うことが単に1つの家族の義務を超え、ユダヤ人の共同体の責任的な思考として捉えています。

今日の教会は、父母を敬う愛の実践現場になる必要があります。特に今日の教会は、すべての年老いた方の現実的な必要を満たすことはもちろんのこと、教会の外にいる「隣人の父母」にも関心を持つべきです。大阪敎会の老人大学を通して実現したいことは明らかです。老後の生活を送っている高齢の方々は、誰もが主の愛の手の中にある救いの対象であると同時に宣教の対象でもあります。

儒教の孝は、「自分の親」の世話を超えないが、キリスト教の孝は「他人の親」の世話までも主の「戒め」であることを認識する必要があります。2004年大阪敎会は「敬老学校」を開校しました。以前は70歳以上の女性会員の集まりだった「ナオミ部」が中心となり、聖書勉強をしていました。そんな中、社会的、教育的意味を持つ年老いた男女が共に集まる、新しい仕えと交際のための共同体を作るようになったのです。老年期を迎えた信徒たちに、社会的役割の変化や、肉体的にも変化が来ます。経済的には収入が変わっていく現実を受け入れ、後年の人生を有益な時間にするため、老人大学を開校したのです。

再度申し上げますと、父母を敬うことは個人の状況、すなわち、家族が親を愛し敬うように、信仰共同体である大阪敎会が教会の高齢者、地域の高齢者に対して関心を持ち、宣教の対象と考え、仕えることです。少し前までも親を世話することは家庭の責任、すなわち子どもたちとその子孫が責任を負うものだと思いました。しかし、現代社会では、親の世話は、福祉社会を実現するために、社会や行政当局がその責任を負う形になりつつあります。

このような変化とともに父母と高齢の方に対する考えが間違った方向に流れています。今回の新型コロナウイルス禍で、多くの市民が苦しんでいるのは事実です。伝染を心配しているのは当然のことであり、家族の世話が一番重要なことになりました。日本政府が今年の冬のインフルエンザの予防とコロナ伝染防止のために、インフルエンザの予防接種を高齢者や医療関係者に最優先に実施するというニュースが出ました。するとSNSでコメントがたくさん上がりました。年老いて肉体的に衰弱してきた方に、優先的に注射するのが正しいとの市民の意見が多かったです。反面、子どもたちを先にすべきで、なぜ年老いた人々が先なのかというコメントも多かったです。自分の子どもを心配する親の限りない愛が感じられます。

父母を敬うことは、主が人倫の歴史の中で最も重要だと考え、戒めを与えられました。条件付きであり、人と人との関係において最初に挙げられた戒めです。愛する信徒の皆さん、私たちをこの世に送り出してくださった父母を敬うことが、主から与えられたみことばです。3節、「そうすれば、あなたは幸福になり、地上で長く生きることができる」。皆さんと私が生きながら、期待する最初の願いは何ですか?この地で生きながら元気に長寿することではありませんか。

敬老の日を前に、日本政府は100歳以上の国民人口を発表しました。統計を開始した1963年には100歳以上の高齢者が153人でした。ところが、今年2020年の統計では、80,450人でした。昨年の統計からわずか1年で9000人が増えたとします。このように100歳時代が到来しました。

*厚生労働省は15日、全国の100歳以上の高齢者が同日時点で8万450人に上り、初めて8万人を超えたと発表した。

私たちの生活がどうであろうが、父母を敬い、隣人の父母までも愛することができる信仰の人々になるよう、主のみ名で祈願します。今日のみことばは、親が子どもにすべきことを教えて下さいました。

4. 父親たち、子供を怒らせてはなりません。主がしつけ諭されるように、育てなさい。

ユージン・ピーダーソン博士は、「お父さんたち、子どもを厳しすぎるほど叱り、怒らせないで下さい。主の方法で彼らを育て、導いてください」と訳しています。

親(父母/ Parents)は、父と母を指します。聖書には、様々なタイプの親が出ています。父には、信仰の模範を見せて子どもを祝福したアブラハム(創17:18;18:18-19)、ダビデ(サム下12:16;代上22:12)がいます。子どものために生け贄をささげたヨブ(ヨブ1:5)と、子どもを祝福し、呪ったノア(創9:24-27)もいます。軽率に立てた誓いのため、自分の娘を生け贄にささげたエフタ(士11:30-39)のような父親もいます。

子どもをきちんと教育しなかった祭司エリ(サム上2:22-29)は、自分の子どもだけでなく、イスラエル民族の信仰に困難をもたらせました。母としては、子どものために祈った母ハンナ(サム上1:27)がいます。一方、親の中には、エサウを愛したイサク(創25:28)、ヤコブを愛したリベカ(創25:28; 27:6-17)の話は、今日の親たちも記憶すべき話です。又、ヤコブがどの兄弟よりもヨセフとベニヤミンをかわいがったので、子どもたちと離ればなれになりました。(創37:3; 42:4; 48:22)

王上15章25節、ヤロブアムの子ナダブがイスラエルの王となり、二年間イスラエルを治めた。26. 彼は主の目に悪とされることを行って、父と同じ道を歩み、イスラエルに罪を犯させた父の罪を繰り返した。何の話でしょうか。ヤロブアムが主の前で逆らい、偶像を崇拝したのを見た息子ナダブが王になり、父がしたのと同じ悪を行いました。そして民族に罪を犯させたとのことです。

主は子どもたちにみことばを守るように教えるべきだと強調しておられます。親が子を愛することは、これ以上説明しなくても、信徒の皆さんがよくやっておられることです。振り返ってみると、私自身が子どもを愛することと養育に最善を尽くし、親として良い役割を果たしたのかと考えてみると、過ちが多かった気がします。それで、父母を敬うことも子どもを養育することもしっかりできなかった牧師であると、先に申したのです。 私がもう1回やり直せば、上手にできたはずではありません。今になっては、自分の過ちを悟り、遅ればせながら信徒の皆さんに紹介しているのです。子どもを育てながら、最善を尽くさない親なんていないと思います。しかし、結果を見ると、思いもよらぬことで苦しんでいる親がたくさんいます。私もそのような親の一人です。

私には子どもが二人います。男性と女性の差があります。性格を見ると、外面的には社交性があり、外向的に見えます。反面、よく見ると、内向的で自分の悩みに陥りやすい子どももいます。このような言葉があります。 「子を知るのに、父を越す人はいない」と「父になれるのは容易いが、父らしくなるのは難しい」という言葉です。ところが、考えてみると、私は二人の子どもをよく知らない父で、父らしくもない人であるとの反省に至ります。子を誰よりもよく知る父になるべきだったのに、うっかりしているうちに、年月は過ぎ子どもたちは成長したのにもかかわらず、未だに子どもたちをよく知らないという至らない父なのです。子が生まれたので父になったが、真の父らしい姿ではない人なのだと今になって悟っています。子どもに対する親の愛、信徒の皆さんは良くしておられるのでしょう。今日のみことば、「父親たち、子供を怒らせてはなりません。を反芻すべきです。

「ゲーリー・チャップマン」博士はキリスト教心理学者で、カウンセラーであり、有名な著述家です。私も数回紹介しましたが、『愛を伝える五つの方法』という本で、信徒だけでなく多くの人に影響を及ぼした方です。

「ゲーリー・チャップマン」博士が今回は『子どものための五つの愛の言葉』を刊行されました。親と子どもの関係について良い方法を提示してくれる本だと思いました。私たちは我が子であるけど、どのように関係を持つべきかを語る本です。一番重要なことは我が子との愛の言葉を見つけることだそうです。

親にとって不満足なことが多くあるでしょう。それでも、子どもたちが考えていることと、子どもが置かれている立場がありますのでまず褒め言葉をかけてから、それを認める言動が必要なのです。親と子どもの関係で、なぜ葛藤が生じるのか。そのほとんどの原因は、親が子どもをよく知らないからです。そして、親が子に対して持つ期待や希望に達してない現実のため、葛藤が生じ、問題が大きくなるそうです 「怒らせない」、この言葉の意味を、私たちはよく知っています。 「ゲーリー・チャップマン」博士は、「怒りと愛」という部分でこう言います。 「怒りは家庭生活の中で一番多くの問題を引き起こす感情である。これは結婚生活に葛藤を起こしたり、子どもたちに言葉と身体的な虐待を加えたりする」と。

そして続けて、「怒りの究極的で正しい目的は、正しいことをするようにさせ、悪に対抗させることである」。「しかし、自分の怒りの感情を調節できない親は、子どもにも怒りの感情を訓練させることができない。」と言っています。考えてみると、怒りの感情は、良くも悪くもなく、人が持つ普通の感情です。しかし、この感情を本人が調節できなければ、家族と子どもたちを傷つけてしまうことを、私たちは日常生活の中で、すでに知っています。それで、主のみことばでは、「主の方法で彼らを育て導いて下さい」と勧めています。

愛する信徒の皆さん、私たちは、父母をよく敬う信仰人にならなければいけません。それで、我々の子どもたちも、社会も年老いた方たちを敬うようになります。そして、親としては、子どもたちを真に愛することにより、私たちの社会がより明るくてきれいな人が住める所に変えましょう。私たちの家庭から始め、私たちの教会と地域と国が一つになり、創造の主のみ旨を成し遂げ、幸せな生活を送りますよう主のみ名によって祈願いたします。

<祈祷>

私たちに敬う父母を与えて下さった主の恵みに、感謝します。この世の全ての父母を敬う社会と我々にならせてください。私たちの子どもをみことばで養育し、主のみ国の実現のため励む信仰の人にならせて下さい。老後の生活を過ごしている年老いた方々には天のみ国を崇めながら、子どもたちと信徒のために祈る祈りの勇士にならせて下さい。感謝しながら、主イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン