2020年 8月16日主日礼拝<命の水を私たちにください!>鄭然元牧師

大阪教会 主日礼拝 <2020年 8月16日>五旬節後第11主日

說敎 鄭然元牧師 / 金光成長老

 * 題目 : 생명수를 우리에게 주옵소서! たちにください

* : 요한계시록 215-8 ヨハネの黙示録215-8

 

<日/新共同>

5. すると、玉座に座っておられる方が、「見よ、わたしは万物を新しくする」と言い、また、「書き記せ。これらの言葉は信でき、また真実である」と言われた。6. また、わたしに言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。いている者には、命の水の泉からなしにませよう。7. 勝利を得る者は、これらのものを受けぐ。わたしはその者の神になり、その者はわたしの子となる。8. しかし、おくびょうな者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、みだらな行いをする者、魔術を使う者、偶像をむ者、すべてうそを言う者、このような者たちにする報いは、火と硫の燃える池である。それが、第二である。」

 

<説教>

信徒の皆さん、一週間をいかが過ごされましたか。

先週まで、礼拝堂で信徒の皆さんと一緒に礼拝を捧げました。しかし、コロナウイルス感染患者がますます増え、やむを得ず、このように再び映像礼拝を捧げることになりました。映像礼拝となっても、一緒に捧げる方々もおられます。今、礼拝堂には、教会の近くにいる信徒の中で、SNSでの礼拝が大変な方々が出ておられます。主の大いなる祝福がありますよう祈願いたします。

皆さんと私のキリスト教の信仰の意味が、人間の歴史の中でどのような価値を持っており、どのような影響力を持っているのか。これは神学的な質問であり、信仰生活の根本的な問題を説明する言葉にもなります。また、この質問は、信仰生活の目的が、現在の生活に限ったことなのかとのことです。単に私たちの信仰が、今日という現在の問題に答えを与えるだけであれば、他の宗教と変わりません。今日の説教は出だしが少し難しいかもしれません。

私達が持っている信仰の目的が、現在の歴史と今日の生活問題にだけ適用されるのであれば、キリスト教の本質と離れているとのことです。勿論、キリスト教の信仰は、今日という時間とここという現場とは関係なく、ただ遠くの天の国だけを夢見ていることも本質から離れています。では、キリスト教の信仰の本質と目的はどこにあるのでしょうか。キリスト教の信仰の意味と本質と目的は、今日という現在で、明日という未来を見つめて生きていくことです。主のみことばである聖書は、この二つの側面、すなわち、現実的な面と超越的な面を同時に教え、我々はこれの実現のために、この地に住んでいる旅人だとしました。

人類の歴史を振り返ってみると、19世紀は文化的、歴史的に楽観的な時代でした。教会と神学の流れもほとんどが、人間の歴史の中で希望を見つけようと努めました。人間は、この歴史の中で、真の楽園を見つけられることも作り上げることもできると思ったのです。この時期は歴史の彼方にある「永遠の世界」 に対する関心と希望が益々希薄になりました。ところで、人間の夢がこの世の歴史の中では成し遂げられないことを20世紀に入ってから確認させられました。それは、第一次世界大戦の勃発から始まりました。 1914年新帝国主義の道を選択したヨーロッパで始まり、5年近く続いた戦争だったのです。イギリス、フランス、ロシアの連合国とドイツ、オーストリア、ハンガリーの同盟国が戦争を始めました。総死傷者3億2千万人、死亡者3万人、負傷者2億9千万人でした。

この戦争は、米国がドイツに宣戦布告をしたうえ連合国として参戦することによって、力が弱まったドイツを皮切りにオーストリアが降伏をし、戦争は終わりました。ところが、このような歴史の中で一つ、目に見えないことが起こりました。それは後に「スペイン風邪(インフルエンザ)」と呼ばれた伝染病でした。スペインは第一次世界大戦とは関係ない国だったが、当時のスペインから始まった感染が全ヨーロッパを覆い、アジアまで広がったそうです。

我が国は、1918年当時、日本の植民地であった朝鮮では「戊(イム)午(オ)年(ニョン)毒感」または西班(ソバ)牙(ナ)風邪と呼ばれました。1918年、朝鮮総督府の統計によると、韓国の人口1800万人のうち、約16.3%である288万人がスペイン風邪の患者でした。その中で、14万人が死亡し、日本は25万人がこの風邪で命を失ってしまいました。世界保健機関(WHO)は、当時の世界人口の約1/50に相当する4〜5千万人がスペイン風邪(インフルエンザ)で死亡したと記録しています。第1次世界大戦で民間人を含めての死亡者が3000万人と推定されているのと比べると、当時、この伝染病がどれほど甚大な被害を与えたのかがわかります。戦争と疫病を一緒に経験する、当時の人々と教会はどのように考えたでしょう。

人間がこの世界で、真の楽園を建設しようという夢は消えてしまいました。教会と神学は再び人間が夢見る楽園は、この歴史の中で行われるのではなく、歴史の向こうで行われるものと考えるようになりました。人類と教会の歴史2000年を振り返ってみると、歴史を刻む瞬間ごと、主はどのように現れたのかを考えるようになります。戦争や無慈悲な力を通して、圧制と迫害が起こると、教会は凄惨(せいさん)に踏みにじられてしまいました。教会はあまりにも無気力でした。

ペストが発生して、当時のヨーロッパの人口の1/3が死に至り、第1次、第2次世界大戦が続いて勃発しました。スペイン風邪のような伝染病が多くの命を奪いましたし、今日は新型コロナウイルス(COVID-19)と呼ばれる伝染病が歴史の前にたちはだかっています。最近の統計を見ると、全体の患者が2100万人となり、死亡者は76万人を超えました。現代社会は、非常に発達した科学と先端技術により予防と治療剤を作り出すでしょう。しかし、いつまでこの状態が続くだろうかとの疑問や不安が全世界を覆っているのが問題です。

今日から私たちは礼拝堂で共に讃美し、説教を聞き、信徒の交わりができる礼拝すらできなくなりました。愛する信徒の皆さん、今日、私たちは一緒に読んだみことばを通して、どのように考えましたか。限られたこの地での生活を大切に思い、生きながら準備する姿勢は「植える生活」とも言えるでしょう。再び降臨するキリストと共に歩む新しいエルサレムの生活は、「刈入れる生活」と言えます。

主はこの世界で、人間の文化圏で生きている私たちに、どのような試練と難関があっても、主のみことばで生きろと言っておられます。そして私達に与えられるみことばは、「見よ、わたしは万物を新しくする」と言い、また、「書き記せ。これらの言葉は信頼でき、また真実である」と言われました。万物を新らしくするのは、主のみことばであり、主の意志です。

人類は、自分や自分の民族、自分の国だけを考える自己中心的な欲望に満ちました。これによって作られた罪の歴史とその欲望が原因となり、追いつく苦しみから、試練を受けます。これらの繰り返される歴史の車輪を再度廻そうとされる主の意志があるのです。6節では、使徒ヨハネに与えられた、主のみことばは、「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。」でした。アルファとオメガ、ギリシャ語のアルファベットの最初の文字と最後の文字を用いり、この世の歴史の初めと終わりであるのを暗示するみことばです。イエス様が言われた通り、宇宙万物を言(ことば)で創造した神、世の終わりまで共におられることを完全に成し遂げます。

そして、続くみことばが「渇いている者には、命の水の泉から価(あたい)なしに飲ませよう。」でした。肉体を持っている人は、男性65%、女性60%が水、水分になっている存在です。一日平均2000ml〜2500mlの水を飲まなければならないそうです。特に夏場、私たちは暑さで汗を流して水分が蒸発するので、病気を得やすいです。従って、水を持続的に飲まなければいけないし、水分を取らなければ、生命に支障が生じます。様々な水の効用があるのも知っています。

今回も日本と韓国、中国は大雨で大きな被害を受けました。このように洪水が起きると、さらなる水害が続きます。雨で財産が流れ、水が押し寄せて家や道路と生命さえも奪っていきます。そして飲み水がなくて苦しみます。それで、救済措置の中で最初にすることが、飲み水を提供することです。このように、同じ水でも水の内容によって、水の価値が変わります。

主が使徒ヨハネに与えられたみことばは、命の水を渇いている者に価なしで飲ませるとのことでした。ヨハネ4章に「サマリア地域のシカル」という町で起きたことが記録されています。イエス様はガリラヤに行かれる途中、サマリア人の住んでいる地域を通らねばならなかったのです。当時のユダヤ人たちは、サマリアを人扱いせず、交際しなかったのです。ところが、イエス様は井戸の側で水くみに来たサマリヤの女に出会いました。

のどが渇いていたイエス様は、その女性に「水を飲ませてください」と言われました。すると、サマリアの女は言いました。「ユダヤ人のあなたがサマリアの女の私に、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と聞きます。サマリアの女の質問にイエス様は「もしあなたが神の賜物を知っており、また、『水を飲ませて下さい』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう」と答えました。

すると女は再度イエス様に言います。「主よ、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。」何もないから私に「水を飲ませてほしい」と言ったのではないですか、そのような態度でした。そしてこの井戸の歴史的な背景を説明しながらイエス様に聞きます。「あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです。」と自分が知っていることを説明しました。

するとイエス様は答えて言われました。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。 しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」しかし、サマリアの女はまだイエス様の言葉を深く理解できませんでした。それでヨハネ4:15で、女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。

イエス様がサマリアの女に与えたみことばは、今日を生きる私たちに与えるみことばと同じです。イエス様が与える水を飲む人は、永遠に渇かないとのみことばです。今日の本文のみことばを通して、主が全世界の人々に与えられたみことばが再度確認できます。「渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう。と主は約束して下さいました。

愛する信徒の皆さん、暑い夏場、私たちは渇いています。一日に2000~2500mlを飲まないと私たちの健康を保てないとの科学的な根拠がある事実があります。この水と同時に、私たちに提供される永遠に渇かない命の水の泉から湧き出るその水を飲めるのです。どれほどの恵みでしょうか。主が話されます。

 7. 勝利を得る者は、これらのものを受けぐ。わたしはその者の神になり、その者はわたしの子となる。

今日を生きる私たちクリスチャンは、私たちが住んでいるこの世の中で、主のみことばと恵みによって生きています。与えられた信仰によって、今日の試練と不安から抜け出し、私たちは神の子になりました。そして、この地での生が終わると、永遠の命を得るでしょう。私たちのために準備してくださった新しい天と新しい地に入ることを確信しながら、喜びに満ちた信仰生活を送りますよう、主のみ名によって祝願いたします。

<祈り>

愛の主よ、暑い天気とコロナウイルス禍により、礼拝堂で信徒たちが集まり、共に礼拝を捧げるのが厳しい状態です。しかし、私たち信徒は各家庭で共に讃美と祈りとみことばを捧げています。私たちを祝福して下さい。みことばで力を得させ、主のみことばから命の水を得て渇きがない信仰生活を送れるように導いて下さい。全てに感謝しながら、主イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン