2020年7月12日創立記念主日礼拝<光のような教会、塩のような聖徒>

大阪教会 教会創立99周年感謝礼拝 <2020712日>五旬節後第6主日 任職主日

說敎 鄭然元牧師 / 通訳 金光成長老

 

* 題目 : 같은 교회, 소금 같은 교인 のような教会、塩のよう

* 聖經 : 마태복음 513-16 マタイ513-16

 

 

<日本語/共同>

13. 「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人に踏みつけられるだけである。14. あなたがたは世の光である。山の上にある町は、れることができない。15. また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。16. そのように、あなたがたの光を人の前に輝かしなさい。人が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。

 

<説教>

 

主の導きにより、私たちの大阪敎会が創立99周年を迎えることになりました。5月にあった教会創立主日には信徒が集まって、礼拝をささげることができませんでした。今日、任職式を準備しながら、その意味を考えるための感謝礼拝を捧げています。キリスト教の歴史が短い日本や韓国の状況で、100年の歴史を持つ教会は多くありません。何よりも、日本の地で朝鮮人教会が立てられたことは東京敎会以来、関西地方では初めてのことでした。当時、歴史的な状況は、朝鮮が日本に国を奪われ、主権を失った状態でした。朝鮮民族は生き延びるために、日本に渡り始めた時期でした。

 

紡織工場で働いていた二人の若い女性と一人の神学生によって始められた、小さな炎の祈りと努力が険しい歴史の中で光を灯して来たのです。創立者の一人である申南秀執事任の孫が尹浩信名誉長老任でおられます。主が私たちの大阪敎会を愛してくださり、主の恵みにより、今日を迎えられました。もう一つは、今まで、そして今日も大阪敎会を愛する信徒皆さんの信仰と奉仕により、歴史を引き継いできたことです。教会の歴史は、主の導きの歴史であり、聖徒の仕えの歴史とも言えます。

 

神が天地を創造される前、地は混沌であって、闇が深淵の面(おもて)にありました。この混沌と闇に向かって、神が言われました。「光あれ。」こうして光がありました。天地創造の過程の中で、なぜ「光」を最初に造られたのでしょうか。私たちが、事物を見ることができるのは、光があるからです。太陽や灯りは、それ自体が光の源泉、すなわち光源と呼びます。光の源泉である光源は、自然光と人工光に分けられます。自然光は、人が調節できない太陽の光と星の煌めく光を指します。人工光は人が調節できる光源から出ることを指します。例えば、今日聖書のみことばに出る蝋燭や灯火のように油を燃やして光を作ることもあります。電気のように物理的な反応を起こして明るくさせる光もあります。

 

人々は一般的に、光がなければ、何も見られないようになっています。光は速度を持っています。私たちは、学校でこのような物理的なことを学びましたが、しっかり覚えていません。17世紀にガリレオ・ガリレイがお互いに灯(あか)りを持ち、約1km離れたところで立たせました。相手の灯りが見えたら、すぐに灯りを上げる方法で、その時間差を通して光速、光の速度を測定しようとしました。しかし、この実験では、光が往復するのにかかった時間が10万分の1秒程度であり、あまりにも速く、正しく測定できませんでした。

 

無論、今日の発達した科学は光速が測定できます。どの程度速いのか?光が地球から月まで到達するのにかかる時間が約1.3秒で、光速は1秒で地球を七周半を回れる速度だそうです。しかし、光の性質を探ると、さらに驚きます。光の性質は、直進性を持っており、空間上の最短距離を通過するのです。また、光は、反射と透過性を持っています。もう一つは、真っ直ぐ行く直進性と同時に、屈折性を持っており物事に立ちはだかれると、それを避けるため屈折してから再び直進し、真っ直ぐ行くのです。

このような光の特性は、物事を見る役割を全うさせ、闇を照らす役割を果たします。今日、イエス様のみことばを見ると、この光の原理が上手に説明されています。光が必要な部屋に灯火をつけて升の下に置くことは、一般的な判断によれば、正しい行動ではありません。灯火で部屋全体を明るくするためには、燭台に置くことで、より明るくできます。

 

他の翻訳を見ると、イエス様から私たちに「灯火を持っていなさい!」と話されたときは、すなわち、あなたは光を筒の中に隠しておくのかとの意味です。「灯火をつける」ということは、「光が必要だ」ということを前提にしたものです。当然、光を照らして明るくすることが正しいのです。イエス様は、「あなたがたは、世の光である。」と話されています。世の闇を明るくするために、あなたがたが、光にならなければならないということです。

 

イエス様は塩についても話されました。塩も私たちの日常生活の中で、本当に必要なものです。塩(common salt)は、塩化ナトリウム(NaCl、sodium chloride)を主成分とし、しょっぱい味がします。食塩(table salt)は、料理の味を出すのはもちろんですが、人の体のバランスをとるために必要な要素です。人の体の中で、異なる物質の間で生じる圧力を調節する役割を塩が担っています。(注:浸透圧)体液にアルカリ性を維持させ、酸とアルカリの均衡を維持させてくれるそうです。塩は、海水の約3%が塩分で構成されており、海水から入手できます。これは天然の方法ですが、人工的にも生産できることを私たちは知っています。

教会の使命と信徒たちの責任ある生活を言うたびに登場するのが、光と塩の話です。なぜでしょうか。私も説教の主題とタイトルを決めてから、黙想をしました。イエス様が「あなたがたは、世の光であり、塩である。」と言ったその意味を見つけるのは難しいことではありませんでした。なぜなら、前述したように、人間の生活に欠かせないものだからです。生活の中で最もありふれたものが、最も大切なものだからです。

 

この世に存在する物体は、息をして生きるように神様が造られました。特に人は塵(ちり)で形作られた後、その鼻に命の息を吹き入れて下さり、人が生動する、生きて動く存在となりました。「息をする」ことは、空気を口や鼻で吸い込み、それが肺に入って酸素が吸収され、体全体に酸素を供給することです。この空気の価値、空気の大切さを知っているが、意識せずに、空気を吸います。しかし、今回のコロナウイルス禍で、人の呼吸機能、そして重症患者への酸素の供給が人を生かしたり、もしくは死なす状況になるのを見ました。

病院に入院された方をお見舞いすると聞かれます。「食事はよく取りますか。味はいかがですか。」ほとんどの方は「よく食べていますが、味が薄いんです。」医師の判断によって、塩分、塩の量を調節する食事をする必要がある場合、薄味になりますが、場合によっては美味しくないとも表現されます。しかし、夏場である最近、天気予報の熱中症の情報の中に、必ず登場する言葉があります。「十分な水分・塩分補給と休息を」。即ち、塩分と水分が人にいかに重要なのかを教えてくれます。このような生活の中で、なくてはならない光と塩のような役割を、教会と信徒が担うべきだという意味で、イエス様は話されたのです。

 

教会がこの社会で担うべき使命を説明する光は、闇を照らし、暗闇の中で迷う魂を生かすために存在している、このことを知らない信徒はおられないでしょう。「ユージン・ピーターソン」のメッセージでは、「このように言うこともできる。あなたがたは、光になって、この世に対して、主は隠しておく秘密ではなく、この秘密を明るく顕せることができるだろう。」と訳しました。先に申し上げたように、光は非常に速い速度を持っています。隠すことができない、主の秘密を世界中に知らせるべきであり、主の光を顕せるために、今、ここにいるということを覚えておきましょう。

 

光は、どのような物事が塞いでも、自ら屈折してから光を照らします。一度作られた塩は味が変わらないと言われます。ただし、それが必要でないときはどうでしょうか。ゴミ箱に捨てられます。今日、教会創立99周年を迎える主日。皆さんとこのみことばを交わしながら、励まし、慰めを分かち合いたいことがあります。 私たちの祖母、祖父、私たちの母、父がどれほど素晴らしく誇り高き、クリスチャンだったのかという事実です。自負心を持ってください。語ることさえ厳しい差別の中でも、主だけを頼りにし、崇め、生きて来られた信仰の先輩たちでおられます。苦難の時、お互いに手を取り合いました。涙が流れ、痛むとき、互いに慰め合い、背中を押し合いました。その方たちがおられたからこそ、今、私たちがいるのです。その中には、在日韓国人だけではありませんでした。日本人たちもおられましたし、今日も、私たちは共にしております。

 

99年という長い年月の間、いつも良い時間だったでしょうか。とんでもないです。大変で心の痛みがひどいときには「教会から離れてしまえばそれまでなのに」。そう思いながらも耐えて、忍耐してきた信仰の先輩たちと信徒の皆さんに感謝しますという言葉を捧げたいです。来年は100周年、「ヨベルの年」を迎えることになります。このヨベルの年(禧年)は、これまで物理的に、精神的に、信仰的に縛られていた過去のことをすべて解き放ち、喜びで迎えることができますよう、切に願います。至らない僕である私は、大阪敎会に召されて、東京から大阪に来て20年になりました。大阪敎会の歷史100年の1/5を皆さんと共に過ごした貴重な時間です。しかし、皆様は、一生涯、更には父、母から、祖母、祖父の時から仕えて来た方もおられます。なんと素晴らしいことでしょうか。

 

愛する信徒の皆さん!

世が混乱すればするほど、闇が深くなればなるほど、私たちは主の光を照らすようにしましょう。世の生活の苦しみから嘆きが溢れる所、ため息が出る所、生きた心地がしないとの悲嘆の声が聞こえる所に、塩のような味を出すようにしましょう!今日のみことばの最後の部分、「あなたがたに来(きた)る客を喜び持って迎えよう」「快く施しなさい」「あなたが他の人に心を開くと、彼らもあなたに刺激を受け、主に、天におられる慈しみ溢れる御父に心を開くようになるだろう。」との祝福と使命を共に経験する時間になりますように、祈願いたします。

 

<祈り>

イエス様、感謝します。私たち大阪教会を愛して下さり、99年間守って下さいました。

私たちに向かって、あなたがたは世の光で世の塩だと話されました。光のような大阪教会、塩のような信徒たちにならせて下さい。感謝しながら、主イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン