2020/6/21主日礼拝<主を見いだしうる間>鄭然元牧師

大阪教会 主日礼拝 <2020621日>五旬節後第3主日

說敎 鄭然元牧師 / 金光成長老

 

* 題目 : 주를 만날 기회를 いだしうる

* 聖經 : 시편 323-7 詩編323-7

<新共同訳>

3. わたしはけて/絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てました。
4. 御手は
も夜もわたしの上に重く/わたしの力は/夏の日照りにあって衰え果てました。〔セラ〕
5. わたしは罪をあなたに示し/咎を
しませんでした。わたしは言いました/「主にわたしの背きを告白しよう」と。そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを/赦してくださいました。〔セラ〕
6. あなたの慈しみに生きる人は皆/あなたを見いだしうる間にあなたに祈ります。大水が溢れ流れるときにも/その人に及ぶことは決してありません。
7. あなたはわたしの
れが。苦難から守ってくださる方。救いの喜びをもって/わたしをんでくださる方。〔セラ〕

 

<説教>

信徒の皆さん、過ぎた一週間もお元気でしたか。

今日も、このように礼拝堂で皆さんと一緒に礼拝を捧げることができ、嬉しく存じます。

又、教会に来られない状況にいる信徒は、YouTubeでライブ放送礼拝を捧げておられます。教会学校の子どもたちも3階礼拝室で、先生と一緒に礼拝を捧げています。3月に、コロナウイルスによる緊急事態宣言が発令され、3ヶ月ぶりとなる19日に解除されました。社会的な雰囲気も、少しずつ回復してきています。まだ注意すべきことが多くあるのをご存じだと思うので、今後も健康に留意してください。

今日、皆さんと一緒に分かち合いたい説教の中心は、「私たちの祈りの生活に関するもの」です。私たちは、「祈りを魂の呼吸」とし、祈りの重要性を強調します。人は一瞬たりとも息ができなければ、命に支障をもたらすようになります。

去る5月30日に米国であった白人警官が黒人の犯人を逮捕する過程で、膝で首を締め、息ができなくなり、死亡事故につながった事件が起きました。この逮捕の過程の映像が流れ、米国のあちこちでデモが起き、一部の地域では暴動が起きたニュースを見られたと思います。「息ができない」「呼吸が止まる」とのことは,「生命活動が中断される」と同じ言葉です。このように息ができなければ、人は命を失ってしまうのです。即ち、私たちの霊の呼吸である祈りを中断すると、信仰生活においての生命の維持が難しくなるとも言えます。

過ぎた一週間も、私は時間ごとに主が祈らせるのを経験しました。私たちの信徒たちにも考えられないことが起き、社会的にも驚くべきことが起こりました。祈りなさいとのことだろうと悟り、牧師は祈るべき存在だと再認識させられました。今日の聖書のみことばでは「祈るようにさせる主の驚くべき摂理」が見えます。祈らせるというのは、祈るしかない環境に導くとも言えます。

ちょっと馴染みない言葉かもしれませんが、祈らなければならないこと、祈りでなければ解決できないことが私たちの周りで起こります。それらは、結局は祈りで問題が解決されるという事実を、主が私たちにわからせるためなのです。絶えず祈っているが、私たちの祈りに答えてくださらないと感じる場合もあります。韓国と日本の歴史的な問題と現実の政治的状況の為、私たちは全心で祈りを捧げます。韓半島の問題、南北の平和な生活のために祈らないクリスチャンがいるでしょうか。それにもかかわらず、南北の問題を見ると、悶えます。16日の南北連絡事務所の建物が崩れるのを見ながら、私の心も崩れ落ちるようでした。

今日の聖書の中心には、イスラエルの偉大なる王、メシアの系譜の人物であるダビデ王が出てきます。ダビデは若い年に、ペリシテの巨人ゴリアテ将軍との戦いで彼を殺して英雄になります。サウル王の憎しみを受けるようになったダビデは、敵国であるペリシテに亡命するなど、波乱万丈な人生を生きました。ダビデはサウルが死んだ後、イスラエルの王となりました。ダビデの最大の業績は、イスラエルを歴史的な面で最高に富強させました。それだけでなく、信仰でイスラエルを正しく立てさせました。

今でもイスラエル人に、歴史的な人物で最も尊敬される人がダビデだそうです。今から3000年前の人物なのにも関わらずです。このように、尊敬され偉大なダビデも人であるが故、彼の人生において致命的な過ちを犯した事実も信徒の皆さんは良く知っておられます。ダビデに忠誠を尽くしたヘト人の「ウリヤ」は異邦人であったが、誠実な軍人でした。当時、イスラエルはアンモンとの第二の戦争中でした。現在のヨルダンの首都アンマンである「ラバ城」まで攻撃しました。イスラエルの勝利は目前でした。ダビデは戦争に出た軍人ウリヤの妻、バテ・シェバを自分の女にしました。ダビデは司令官ヨアブに書状をして、ウリヤを激しい戦いの最前線に出させ、結局戦死させました。この内容は、「サム下10章-12章」に詳しく記しています。

サム下11:27 喪が明けると、ダビデは人をやって彼女を王宮に引き取り、妻にした。彼女は男の子を産んだ。ダビデのしたことは主の御心に適わなかった。

自分に忠誠を尽くす部下、「ウリヤ」を死に追いやって、その妻バト・シェバを自分の王宮に引き取り妻にしたことは、主の御心に適わない悪を働いたことでした。罪を犯したダビデ、主と人に大きな罪を犯したダビデの心理的な状態は、どうだったのでしょうか?預言者ナタンに罪を叱責されたダビデは、主のみ前で自分を省みるようになります。今日のみことばを見ると、ダビデの状態がわかります。

3. わたしは黙し続けて/絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てました。
4.
御手は昼も夜もわたしの上に重く/わたしの力は/夏の日照りにあって衰え果てました。〔セラ〕

「私は黙し続けた」という言葉は、自分の罪を隠すことに汲々(きゅうきゅう)し、主に祈らなかったということです。このような状況の中で、ダビデは自分の骨まで朽ち果てる苦痛を感じていました。押し寄せる主の激怒への恐怖によって、自分の力は夏の日照りにあって衰え果てたと言いました。自分の魂が大きな苦痛を受けていることについて、違う表現をしているのです。ダビデは5節で

5. わたしは罪をあなたに示し/咎をしませんでした。わたしは言いました/「主にわたしの背きを告白しよう」と。そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを/赦してくださいました。〔セラ〕

 

わたしは罪をあなたに示し/咎をしませんでした。わたしは言いました/「主にわたしの背きを告白しよう」と。言いました。「主にわたしの背きを告白しよう」とは、自分の罪を認め、明らかにし、祈ったということです。

5節後半では「あなたはわたしの罪と過ちを/赦してくださいました。」と告白しています。

6節では、「あなたの慈しみに生きる人は皆/あなたを見いだしうる間にあなたに祈ります。」と話しています。

ダビデは、自分が犯した罪のせいで隠れており、主のみ前に出られず、自責感に陥り、死にそうになっていました。しかし、祈ることによって、主に会える機会を得たと告白しています。時には私たちも、自分の過ちによって、苦痛に陥る場合があります。この痛みの時間が長くなって苦しくなると、ほとんどの人は抜け出そうと努力します。しかし、その根本的な問題が解決しなければ、痛みが消えることはありません。

国と国の関係、共同体でも同様です。このような困難が起こると、お互いの顔を見ようとしません。ときには、その状況を避けようと、会わなければいいと考えたりもします。お互い困難な状態を避けようと特使を送るといっても、拒絶して会いませんでした。その結果はどうでしたか。崩れ落ち、破壊される絶望のみ残ります。私たちは、主のみ顔を避けることができません。

ダビデの場合を見ると、自分が犯した罪のせいで、主のみ顔を避けようとしました。しかし、その苦痛は、彼に切に祈るしかないようにさせました。偉大な信仰の人ではないとしても、正しい信仰生活のために努力する信徒は、どのような姿でしょうか。主と人に対して過ちを犯したときが、祈るときだというのを覚えておいてください。主は、祈るしかない状況に導きながら、問題を解決するのを願うからです。祈りは、自分自身を徹底的に省みる信仰的な行動です。祈りの時間は、一点の偽りも許さない尊い瞬間だからです。

今日のみことばを通してみると、祈るしかないように導いてくださるのが、主の恵みだと思えます。私たちの生活を主のみ前に出しておき、沈黙の祈りであろうが、泣き叫ぶ祈りであろうが、とにかく祈ってみてください。祈りを通して、主に会えるようになります。祈りを通して、断絶していたすべての関係が疎通できるようになり、解放され、解決されるのを経験できるでしょう。ダビデは本文の最後の7節に

7. あなたはわたしのれが。苦難から守ってくださる方。救いの喜びをもって/わたしをんでくださる方。〔セラ〕

ダビデは、徹底した悔い改めの祈りで、主のみ自分の隠れがであり、保護してもらえる所であると悟ったのです。罪によって苦しみの中にいたが、祈ることで苦難から守って下さることに感謝しています。ダビデは旧約聖書の詩篇の中で多くの詩を書きました。最近、私たちは毎日詩篇のみことばを読んで黙想をしています。主は、今日のみことばを通して、私たちを、自分の信仰を省みさせます。すべてのことを思い出させる聖霊は、私たちの過ちを悟らせて下さいます。そして、祈るしかない状況にさせられたとき、私たちは即、悟るべきです。ダビデは5節で、
5. わたしは罪をあなたに示し/咎を隠しませんでした。わたしは言いました/「主にわたしの背きを告白しよう」と。そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを/赦してくださいました。〔セラ〕

愛する信徒の皆さん!

主は私と信徒の皆さんに祈るしかない状況を与えました。コロナウイルス感染で世界が苦しんでいるこの状況の中で、祈るようにさせておられます。私たちの祖国、南北韓が平和の道を進めるよう、あれほど望みましたが、今では非常に困難な状況です。主は、国と民族のために祈るようにさせておられます。私たちが住んでいるこの地、日本が正義に溢れ、平和な国になることを願い祈ります。最も近い隣国である韓国と、良好な関係で生きて行くように願います。しかし、両国の間には葛藤や争いが続いています。主がもっと祈るようにさせていると思いましょう。

私たちの家庭や仕事と職場の中に、健康に、苦難がありますか。

であるならば、もっと祈らせる主のみ旨があると覚え、ひざまずいて、さらに祈りましょう。祈りは私たちの魂の呼吸であります。この呼吸を、元気に続けられますように祈願いたします。

 

<祈祷>

罪と咎で死ぬしかない私たちを、主の愛で導いてくださり、感謝します。

主から離れ、隠れてしまいたいとき、祈るようにさせるのも感謝します。

誠実な祈りを通して、罪の赦しと新しい生活へと進める信仰と勇気を与えてください。

この一週間、主のみ前で祈り、黙想する時間を多く持つようにさせて下さい。

主イエス・キリストのみ名によって、お祈りいたします。アーメン