2020年5月10日主日礼拝<使命による回復>鄭然元牧師

大阪教会 主日礼拝 <2020510>教会創立99周年記念

                       説教 鄭然元牧師 / 通訳 金光成長老

* 聖書:ヨハネによる福音書 21章15節-17節

* 題目 : < 使命による回復>

<日本語/新共同訳>

15.食事が終わると、イエスはシモントロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。16. 二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。17. 三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。」

<説教>

愛する信徒の皆さん、過ぎた一週間、いかがお過ごしでしょうか。

教会学校の子どもたちもお元気ですか。5月5日、子どもの日なのにもかかわらず、家で過ごしたでしょう。緊急事態宣言の延長で、登校日もより伸びそうです。

信徒の皆さんの健康を祈願いたします。

今日は大阪教会の創立記念主日であり、重要な行事が計画されていた主日です。普段は、教会学校の子どもたちと全ての信徒が共に教会の誕生日を祝う日なのです。新しい任職者を立て、今まで努めて下さった先輩たちに感謝を捧げる時間も持つ予定でした。新型コロナウイルス感染によって、すべてが延期となりました。一日も早くこの事態が終息し、計画している行事を、主の恵みの中で行われますように願っております。

私は2020年のイースターの後から、イエス様の復活と弟子たちの間にあったことを振り返りながら、説教を続けてきました。今日の本文のみことばで、復活されたイエス様は弟子たちの故郷であり、働いているガリラヤ湖に行かれました。福音書で復活後の内容を見ると、弟子たちが集まっているところに来られ、特定の弟子たちとの関係について記録した箇所があります。一度、イエス様が弟子たちの前に現れましたが、偶然にもトマスは、その場にいませんでした。その後、トマスが弟子たちと一緒にいるとき、イエス様が来られ、トマスにご自分の手を伸ばし、自分の復活を確認させたことがあります。

復活されたイエス様とペトロは持続的に会っていました。しかし、ペトロとイエス様の間におきた内容については、記録がありません。ペトロの立場から見れば、面目なく、イエス様に会うことが重い負担になっていたかもしれません。どんなことがあっても先生と一緒にいて、自分はつまずかないと断言していたのに、先生であるイエス様を知らないと言ったからです。大祭司カイアファの家で鶏が鳴いたとき、イエス様と視線が合いました。あまりにも恥ずかしくて外に出てから激しく泣きました。結局、イエス様は十字架につけられ死にましたし、その3日後に復活され、弟子たちを訪ねて行かれたのです。

漁師ペトロと弟子たちはガリラヤ湖に行き、魚を捕っていました。夜通しで網を打って、魚を捕ろうとしたが、その日は何にも捕れませんでした。ところが、夜が明けたころ、岸に立っている人が叫びます。「何か食べるものがあるか」。魚が捕れなかった漁師たちは「ありません」と答えます。すると再び叫ぶ声が聞こえます。「船の右側に網を打ちなさい!」という声でした。漁師たちが網を船の右側に打ってみると、驚くべきことが起こりました。もはや網を引き上げることができないほど魚が捕れたのです。

そのときにやっと、ヨハネは岸に立っている人がイエス様であるのがわかります。「主だ」と他の船に乗っている弟子たちにも聞こえるように大きい声で言いました。この言葉を聞いたペトロは直ぐに上着をまとって湖に飛び込み、イエス様に向かって行きました。魚をたくさん捕った船が陸に近づきました。陸に上がった弟子たちの目の前に広がった光景は、先生であるイエス様が準備した朝ご飯でした。そして、弟子たちが全員集まったとき、食事が始まりました。イエス様が弟子たちに「今捕った魚を何匹か持って来なさい」と話されました。このように復活されたイエス様は、以前話された通りに、ガリラヤで弟子たちと会われたのです。

弟子たちは再び会ったイエス様と朝食を食べています。食事が終わると、イエス様は弟子ペトロにいきなり質問をされます。「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と質問されました。このとき、ペトロは答えています。「主よ、私があなたを愛していることは、あなたがご存じです」とペトロが言うと、イエス様が言われたのは、「私の子羊を飼いなさい」でした。そしてすぐに続いて2度目、3度目も同じ質問をされました。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか」イエス様が三度も同じ質問をするのを聞いたペトロは、今回はすぐに返事をしません。今日の本文のみことばで見るペトロは、「主よ、あなたは何もかもご存じです。私があなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます」と答えています。悲しみの中で答えたが、それを聞いたイエス様は「わたしの羊を飼いなさい」と言われました。

私たちは、このみことばをとてもよく知っています。私も何度も本文のみことばを選び、説教をしました。信徒の皆さんは、このようによく知っているみことばを、どうしてまた選択して説教をするのか気になるでしょう。もう一度本文のみことばを注意深く読むと、三度の質問と三度の答えが出てきます。全部似通っています。しかし、イエス様の最初の質問では、「シモン、あなたはこの人たち以上に私を愛しているか」と言われます。

この人たちとは、一緒に漁に行き、食事を共にする他の弟子たちを指します。 「この人たちよりも」 これは比較法です。ペトロの答えからも、彼の心理状態が窺えます。三度目の質問に対して答えるとき、ペトロは「私があなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます」と言っています。

少し問題提起をしながらみことばを繙(ひもと)くと、単刀直入に、「はい、主よ、私が主を愛します!」と答えれば、簡単明瞭なのにペトロは「あなたがご存じです」と答えます。そして、第三度目の質問には悲しくなり、きちんと言えず、「あなたがよく知っておられます」と答えています。先も申し上げましたが、ペトロの立場では、イエス様とやりとりするのが負担になっていたかもしれません。皆さんも考えてみて下さい。先生を知らないと嘘を言いながら、イエス様を否認していた自分を思い出すと、どれほど恥ずかしく、面目なかったでしょう。さて、話を少し変えてみましょう。信徒の皆さん、愛はどんなものですか?

愛し合う関係において、愛する相手の立場を確認してみたくなるでしょう。本当にあの人が私を心から愛しているのか?互いに愛し合っているのが、確認できれば、その後のことは命を差し出しても、その愛を守ろうとするでしょう。今、イエス様と弟子たちの間で、必要なのは口で言うことだけでなく、行動と決断が必要なようです。

今日のみことばで、イエス様とペトロと弟子たちとの関係は完全に回復しました。イエス様がペトロの答えを聞きながら、彼に与えた言葉を、私たちは知っています。「わたしの小羊を飼いなさい、私の羊の世話をしなさい、私の羊を飼いなさい」と話されました。弟子たちに使命、彼らがすべきことを明確に教えてくださったのです。イエス様の十字架の死によって、彼らは失望し故郷に戻って来ました。そして、漁師の仕事を再び始めたペトロと弟子たちに、新しい使命を与えて下さったのです。覚えていますか!イエス様は、ペトロと初めて会って、彼らを弟子にするとき、「あなたを人間をとる漁師にしよう」と言われました。今、ペトロと弟子たちは、真に、人間をとる漁師になるという目的が明らかになりました。失敗し、失望し、イエス様のみことばの意図がきちんと理解できず、挫折に陥っているときに、イエス様は彼らのもとに来られました。イエス様は弟子たちを愛しておられます。イエス様は私たちを愛しておられます。イエス様は私を愛しておられます。ペトロに質問された、あなたはわたしを愛しているか。今までペトロにだけ向けた質問であると考えましたが、違っていました。イエス様がペトロを愛してくださいました。目的、使命を与えるために、それを確認させたのです。ペトロがイエス様を愛するより、私たちがイエス様を愛するより、私がイエス様を愛するより、イエス様があなたと私を愛しておられるのです。人間関係とは、お互いに相手に対する信頼と愛で結ばれていることであるのを、再度確認する時間です。イエス様は、弟子たちと私たちを、今も愛しておられます。

<祈祷>

弟子たちを愛するイエス様、イエス様はガリラヤで魚を捕っていた彼らに来られました。愛する心を確認させ、全ての不安と不信から抜け出させてくださいました。主よ、私たちを愛して下さり、感謝します。この主日の朝、私たちも主を愛しますと告白し、新たな使命、目的を持って生きて行くようにして下さり、感謝します。この世で行きながら、すべきこと、主の福音を持って、この世に仕え、羊に仕える私たちにならせて下さい。感謝しながら、主イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン。