2016.12.18 神は我々と共におわれる(朴喜煥)

2016・12.18                         朴 喜煥 牧師

聖書:マタイによる福音書1章18節-23節

題名:「神は我々と共におわれる」

 

(新共同訳)

18.イエス․キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。

19.夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。

20.このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。

21.マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」

22.このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。

23.「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。

 

(説 教)

今日のメッセージの前に少し、ご報告させたいことがあります。

今月、諸職会でもお知らせましたが。私は、12月末で、

大阪教会を辞任いたします。今週の週報にも正式に載せました。

 

振り向いたら、2011年2月27日でした。そこから約6年の年月が流れました。大阪教会は、私にとっては神学校を卒業して初めての牧会地として大変、恵みの時間でありました。

何よりも、皆さんのお祈りと支えと配慮のお陰だと思います。

途中には、自分の一身上のことで、15か月間も、病院に入院する事もありました。

退院後リハビリを今も続けてまいりましだが、2度も、足首の骨折と捻挫により、やっと杖で歩けたのが、今は車いすに戻ってしまいました。

今の現状では、教会も皆さんにご迷惑だし、自分の今後の事を考えた上で、健康を回復することに専念しようと決めました。

あくまでも個人の都合として大変、申し訳なく思っております。

 

今回長い病魔の中で、体で体験した聖書の言葉があります。ヨブ記1章21節の言葉、「主は与え、主は奪う、主の御名はほめたたえられよ」の言葉を、もっと信じたくなりました。

主は与える方!主は奪う方!

自分が計画しなかったことも、予想外のことが、私たちの人生にたくさん訪れます。

その時、神のみわざの中に居ることを気づいてください。

そうではなかったら、苦しむ時間が長くなるだけです。

 

さいわい、私たちクリスチャンはどんなことでも、耐える力があり立ち直るのが早いです。

特に、御言葉による慰めは大変、大きいし落ち込むより、勇気が湧いてきます。

 

今日のメッセージは、すでに旧約時代イザヤとエレミヤが預言者として活動する時から予告されてきた救い主が、新約時代の入り、いよいよマリアという処女を通して展開します。

ご存じのように受胎告知はマタイとルカの二つの福音書に、それぞれの視点から記されていますが、

マタイによる福音書は、父として選ばれたヨセフを軸として、

ルカによる福音書では、母として選ばれたマリアを軸として話しをしています。

 

今日の本文では、すでに、マリアには用が済んだ主の天使が、ヨセフの夢に現れ、御子について語ったことです。

 

この時間、この世に来られる主イエスキリストの本来の真理を

確かめたいです。

まず、14節に「イエス․キリストの誕生の次第は、次のようであった。母マリアは、ヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって、身ごもっていることが、明らかになった。」

ここで一つ問題は、二人が一緒になる前に身ごもったことでした。

 

当時、法的には12歳から結婚が許され15、16歳で結婚する者が多がったそうです。

現在の視点から見れば、この年でこのような大きな出来事を乗り越えることは大変、厳しい現実だったと思います。

でも、彼らはへりくだって神に服従する強い信仰心があったでしょう。

 

このような大きな神の計画に用いられた、夫ヨセフは正しい人でありま

したが、人間本来の本性をそのまま、現わします。

まだ、結婚もしてないのに、処女が身ごもつのは、

ユダヤの慣例では、許さないことだし、ひそかに縁を切ろうと決心

をしました。あくまでも、ヨセフの立場から考えますと、十分理解

が出来ます。

 

待降節に入り、イエスのご誕生をみんなが喜んで待っていますが、

当時のマリアとヨセフには、どれほど、大きな悩みの種だったで

しょうか!

 

まだ、処女であるマリアの立場では、何一つ言葉で言えない、

暗闇の底に落ちて怖かったと思います。

石に殴られ殺されるかもしれないと恐怖を感じたでしょう!

 

ヨセフの夢に現れた主の天使は、「恐れずマリアを迎え入れるよう」と

告げました。

ヨセフの信仰の中には、すでに「預言者イザヤのメシア到来」を信じていたと思います。

イザヤ書 7:14には、「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。」この言葉を、思い出したかもしれません。

 

もしかしたら、天使のこの言葉を信じたでしょうか!

「マリアの胎の子は、聖霊によって宿った」と、

何よりも、ヨセフは世の悩みや苦しみを解決するにあだって、賢明な人でした。

 

聖書には、この後のことについて詳細な記録はないですが、

ヨセフは、 恐れずにマリアと結婚し、自分の家につれて来て

両親を始め、兄弟姉妹や親戚、近所の人々より、無数の非難を受けられたでしょう。

しかし、ヨセフは自分がどんな苦しみを受けても、マリアを守り続いていながら、すべてを、神に委ね、神のご計画を純粋に従かったでしょう。

 

この出来事で、三つの真理を確かめ、必要があります。

一つ目の真理は、「イエスは、聖霊によって生まれる。」真の神であることです。

 

そして、二つ目の真理は、神の子の霊がマリアのお腹を通して、神の神格から人に変わり、人格も持って、お生まれになったことです。

もっと、言えば、イエスの誕生は神の霊が肉身になって、私たちと同じように人間の姿で来られたのです。そうして、インマヌエルになってくださったことです。

 

肉身の父の代わりに聖霊によって、お生まれたイエスは、罪人である

私たちとは、違い、罪がない人として、この地に来られました。

これが、神の新しい創造であり、人類を救う、聖なるみわざの始まりでありました。

 

三つ目の真理は、十字架の上で私たちの罪が、贖ったことです。御子イエスは、この目的を成し遂げるために天から来られました。

21節に「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を、罪から救うからである。」とあります。

自分の民は、神様が選んでくださった民、私たちです。

イエスキリストを信じ、罪が赦された私たちです。

ですから、私たちはイエスに似た、人格を学ぶべきであります。

さらに、イエスはこの地に光として来られました。

私たちは、暗闇を拒まないより、光を受けることを考えましょう!

もっと、霊的にイエスキリストがメシアであることを確信しましょう!

 

待降節! 第4週目の火を灯しました。

この時、皆様はどのようなお気持で、過ごしていますか?

 

2016年末頃、私たちの目に見える現実を少し言わせますと

特に、この時期は社会全体が浮いているように見えます。

教会の中も、いろんな、行事の準備で、忙しいし、会社でも、忘年会や同窓会などで、時間が足りないほど急いています。

本当に、喜びが絶えないこの時期に祖国韓国では、悲しいニュースばかりで、がっかりします。

この先が、どうなるか!予想がつかないのです。神が憐れんでくださること切に、切に、祈りばかりです。

 

もう一つ、この時期になりますと、韓国の政府では、クリスマスを迎い、受刑者の中で、特別赦免をする制度により、

罪を犯して刑務所にいる受刑者が、その中の生活がまじめで、模範になったら、検討した上で、刑務所から出させてくれることがあります。

罪人である者が、罪をつぐない、その罪が赦され、自由に刑務所から出る瞬間の喜びは、どれほど大きな喜びなのか、粛々考えて見ますとまさに、私たちクリスチャンが感じるべき、喜びにふさわしいことだと思います。

 

私たちの罪のために、この地に来られたイエスは、すべてを成就されました。

今は、再び、来られる主が、いつ、どこで来られても、すなおに、迎えることが出来る私たちであることを願います。

 

今年も、一生懸命に信仰生活をなさった皆さん、

「神は我々と共におられる」この御言葉を信じ、

来年も、平安で、喜ばしい時を、過ごせますように。

 

(祈り)

天の神様!感謝致します。

今年も主に守られ、こんにちまで、来られることができました。

この地で行うすべてのことが主の計画の中で成就されますように

主イエスキリストのみ名によって、お祈りいたします。アーメン!