2016.10.16 霊から永遠の命を刈り取る。(朴喜煥)

2016.10.16                      朴喜煥 牧師

聖書:ガラテヤの信徒への手紙6:6-14

題名:霊から永遠の命を刈り取る!

(新共同訳)

6.御言葉を教えてもらう人は、教えてくれる人と持ち物をすべて分かち合いなさい。

7.思い違いをしてはいけません。神は、人から侮られることはありません。人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。

8.自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。

9.たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります。

10.ですから、今、時のある間に、すべての人に対して、特に信仰によって家族になった人々に対して、善を行いましょう。

11.このとおり、わたしは今こんなに大きな字で、自分の手であなたがたに書いています。

12.肉において人からよく思われたがっている者たちが、ただキリストの十字架のゆえに迫害されたくないばかりに、あなたがたに無理やり割礼を受けさせようとしています。

13.割礼を受けている者自身、実は律法を守っていませんが、あなたがたの肉について誇りたいために、あなたがたにも割礼を望んでいます。

14.しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス․キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。

(説教)

やっと、暑い夏が過ぎ秋を感じることができる日になれました。毎年、この時期になると農家では、2種類の刈り取り屋が登場します。 嬉しくて明るい笑顔をもった収穫の人と悲しくて心配そうな収穫の人がいます。今年も例外ではありませんが、台風の被害を受け収穫するものがない状況に置かれている方たちが多く出ていました。最近の台風18号は、日本だけではなく韓国の済州島をはじめ釜山など、嶺南地方に大きな被害を齎してしまいました。

本文はこの地に生きている私たちの生き様を刈り取り屋に比喩して語っています。この地で何を蒔くのかによって、刈り取るものが決められると言います。7節に[人は自分の蒔いたものをまた刈り取ることになるのです。] とあります。

私たちの人生の中で、蒔いたものをまた刈り取る前に、自分が蒔いたことについて責任を負わなくではいけないこともあります。 私たちがいつかこの世を終えたら、生涯に行ったすべてのことについて神の前で裁かれます。永遠の天のみ国でも、この世で滅びるものを刈り取る者と、喜んで霊から永遠の命を刈り取る者に分かれます。何が原因でこのように二つに分かれてしまうのですか?

それはこの地での生き様です。この世で自分の肉に蒔く者は、永遠の世界でも滅びます。しかし、この世で霊のために蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。これは、神の法則です。このごろ収穫の季節を向け、今日のみ言葉が私たちの心に刻まれることを願います。それでは、この世で重要な課題は、どのように霊を蒔くのか?霊から永遠の命を刈り取るためにどうすればよいのか?

本文のガラテヤ6章は、使徒パウロを通して、私たちがこの世での短な生涯の間、霊のために生きる方法を教えてくれます。永遠の命を刈り取るための秘訣は、まず、この世で誇らないことです。この世で、誇るな! 自慢するな!と、

13節に、「あなたがたの肉について誇りたいために、あなたがたにも割礼を望んでいます。」とあります。この割礼について少し話しますと、割礼の本来の意味は律法を守ることです。割礼は神との契約の印ですので、割礼を受けることは律法を守るという誓約なのです。

しかしながら、割礼をすでに受けている者でも、実際に律法を守ってない者もいます。 それなのに彼らは、自分たちの肉を誇りにしようとして、つまりガラテヤ信徒たちに私たちと同じように割礼を受けることを強調した。ここに現れている者たちはこの世で、自分を自慢する者です。

もちろん、彼らはこの世で、まめまめしく働きたくさんのものを蒔きます。少しでも上の地位に昇るため汗を流しながら努力をします。出世のために命をかけます。大勢の競争者がいて妨害者もいます。上に昇れば昇るほど、次は、そこを守るために大変、苦労をします。ある方は、自分が金持ちになって見たら、だれも信じたくないし、自分の子ども含めて周りの人たちが、 みんなオオカミのように見えたと言います。そして以前よりも不安な生活を過ごすようになったり、夜はゆっくりと眠れないし、飛行機も怖くて乗れなくなったと言う。みなさんは、こんな心配はないでしょうね?心配がありますか!富が多いほど実は、それを守るためにいろんな工夫をしなければなりません。なぜ、人は満足より欲望に縛られるのですか?それは、昇れば、昇るほど、持てば持つほど、自慢する物に変って行くからです。

私たち人間は、自分が持っている物についてどれほど誇りるのでしょうか? 美人、美男をべっぴんさんとか、イケメンとか言われますと、自慢になります。さらにその状態を維持するためにもっと力を入れます。しかし神はこの地で限られた生涯の中で自慢の物を増やすために自分の生き様に縛られたら死後刈り取る物がない滅びた人生だと言われます。・みなさんは何が、自分の誇りですか?・皆さんは今、何を蒔いていますか?この時間、皆さんの心に隠れている誇りを見つけて見てください。

信仰生活の中で永遠の命を刈り取るためには、世の物で誇らないでください。それでは、私たちは何を誇これば良いでしょうか?答えは、14節で明確にされています。[このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが、決してあってはなりません。] と十字架のほかには、誇るものはありません!なぜ、十字架を誇るのが、永遠の命を刈り取ることになるのですか?

それは、十字架がキリスト教福音の本質であるからです。 今日大勢のクリスチャンさえキリスト教福音の本質をよく知らないまま教会に通うのです。彼らは、キリスト教の本質をイエスの教訓だと言います。もちろん、イエスの教えは驚くほど素晴らしいです。

山上の説教の内容を見て見ますと、道徳的にも素晴らしい哲学家としてもイエスは尊敬されます。しかし弟子たちの生き様を見てみましょう。弟子たちはイエスに教えられましたが、キリスト教福音の本質として受けていません。キリスト教福音の本質がイエスの能力または、奇跡ようなことで、イエスを語っていません。14節をもう一度見ますと[しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス․キリストの十字架のほかに、誇るものが、決してあってはなりません。] とあります。

聖書の創世記からヨハネの黙示録まで、一筋で強調されていることがあります。強調点は、イエスの教えとか、癒しではなく、十字架です。マタイによる福音書16章で、ある日イエスは弟子たちに尋ねました。「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」と聞くとペトロが 、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。イエスが喜んで、「ジモン、あなたには幸いだ」、「この岩の上にわたしの教会を建てる」、「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける」と言われました。

その後、イエスはエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。イエスの十字架を教えました。その時、ペトロが聞いてイエスに「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」と言いました。イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。 神のことを思わず、人間のことを思っている。」と叱りました。みなさんは、この言葉がどういうふに理解が出来ますか?先まで、ペトロに「ジモン、あなたには幸いだ、わたしはあなたに天の国の鍵を授ける」と言われたのが誰でしたか?ペトロがイエスをメシアとして告白した時は、「天の国の鍵を授ける」と言われたのに、ペトロがイエスの十字架を妨害した時は、「サタン、引き下がれ」と言われました。

なぜ、十字架がキリスト教福音の本質ですか?その理由は弟子たちの証拠を見れば分かります。みなさん、弟子たちは何を証拠に、何を説教しましたか?コリントの信徒への手紙一 1章22節から24節で、「22.ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、23.わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、24.ユダヤ人であろうが、ギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。」

確かに、パウルはキリストの十字架、意外には何も知ろうとしなかった。みなさん、聖書の核心は何ですか?十字架です。ですから、十字架を誇らないといけません。それは、私たちの罪に対する贖いです。イエスは私の刑罰を代わりに担ったのです。イエスの贖罪がなかったら、私は罪悪の世界に溺れて入ったまま終わったかも知れません。イエスの贖罪により救われ、罪悪の世界から新たに甦ることが出来たのです。

だから、キリストの十字架以外に、世のどんなことでも誇こらない。また、パウルは、イエスの十字架の死は、私たちの人類の救い出来事として受けないといけないと言われます。霊から永遠の命を刈り取るわたしたちは、この世で十字架だけを誇り、自慢し、世に宣べ伝えるべきです。

今日のみ言葉を信仰の土台に刻み、クリスチャンとして、使命感をもって、福音を宣べ伝えるよう願います。