2016.09.25 散らばった人々(金忠洛)

散らばった人々

聖書 : 使徒言行録 8章1-8節

 

私は韓国の忠淸北道淸原郡ある玉山教会で副牧師として奉仕したことがあります。毎週300人ぐらいが集まる教会でした。玉山というところは田舎で、自然が多いところであります。私が住んでいたマンションのすぐとなりにもたんぼや畑があるところでした。 日本のことはあまり知りませんが、韓国の田舎では、春になったら、2月か3月のころなんですが、たんぼや畑(はたけ)に火をつけます。最近はたんぼや畑(はたけ)に火をつけたら罰金(ばっきん)をはらうらしいですが、私が玉山にいた時はみんな火をつけました。私は農業をしたこともないので、どうして火をつけるかあまり分かりませんが、みんなはそうしました。専門家は火をつけるのは効果(こうか)がないと言ったのに、みんな畑に火をつけました。

ところで、問題は火を消そうとする時であります。自分のたんぼ、畑だけを燃やしたらいいのに、隣に草山(くさやま)があれば、もっと大変になります。水を運んで消すのは大変だから、ほとんどは火を叩(たた)いて消(け)します。その時、火がうまく消(き)えたらよかったのに、そうではない場合、本当にこまることになってしまいます。火を消そうと思って、たたいたら火種(ひだね)があちこち飛んでしまいます。いくらたたいても火はどんどん大きくなってしまいます。結局消防車(しょうぼうしゃ)まで、来なければならないことになってしまいます。火が大きくならないように、妨(さまた)げたり、消そうとすればするほど、火はもっと、もっと強くなるようです。火は生きているようです。

 

初代教会(しょだいきょうかい)にもこんなことがありました。

今日私たちが読みました聖書の1節はこのように始まっています。

「サウルは、ステファノの殺害(さつがい)に賛成していた。その日、エルサレムの教会に対して大迫害(だいはくがい)が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散(ち)って行(い)った。」

ここの「その日」はステファノがユダヤ人に石を投げられて殺された日です。ステファノの死は、ただひとりの殉教(じゅんきょう)ですまなかったんです。その事件を切っ掛けにして、エルサレム教会に対して大迫害が起こりました。

どのぐらいに大きな迫害か、ギリシャ語は megas ということばを使っています。100万倍を意味する英語のことば mega はこの megas から由来されました。エルサレムにあった迫害は想像もできないぐらいの大迫害であったことを意味します。そして、3節には、「サウルは家から家へと押(お)し入(い)って教会を荒(あ)らし、男女(だんじょ)を問(と)わず引(ひ)き出(だ)して牢(ろう)に送(おく)っていた。」と言(い)っています。「荒(あ)らし」ということばはもともとイノシシがぶどうの畑をやたらに踏みにじることを意味します。そのぐらい大迫害(だいはくがい)だったのが分かります。

その意味で、1節に「その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。」と言っています。つまり、エルサレムにある教会に大迫害があって、聖徒たちはみんな、あちらこちらに散って行くことになりました。そして4節を見ると、「散って行った人々は、福音を告げ知らせた。」と言っています。

迫害を受けて散らされた人々が福音を告げ知らせたということはどういうことでしょうか。大迫害を受けて散らされた聖徒が福音を告げ知らせたのは、彼らがキリストに対して、確かな信仰を持っていたことを私たちに知らせています。そして、大迫害がありましたが、彼らの信仰は全然揺れなかったことも私たちに知らせています。

 

逆に、イェス様のせいで迫害を受けているのに、そのイェスを人々に告げ知らせたということです。いくら迫害を受けても、イェス様に対する確かな信仰を持っていたということであります。

皆さんも、このような信仰を持つようにいたしましょう。いくら試練や苦しみがあっても、イェスキリストが私の救い主であり、イェス様を信じることが私にとって幸いになるという信仰から揺れないでください。

 

では、散って行った人々はどこに行って、何をしたでしょうか。

まず、彼らはユダヤとサマリアの地方に散って行きました。その意味はユダヤとサマリアの大きな都会にちらばったのではなく、ユダヤとサマリアの地方まで、隅々(すみずみ)まで散(ち)らばったことであります。

そして、40節を見ると、アゾトとカイサリアまで行ったと書いてあります。また、9章1節に、サウルが弟子たちを殺そうとして、ダマスコに行ったということから、エルサレムの迫害から逃げた人々がダマスコまで散らばって行ったことが分かります。11章19節には、「ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行った」と書いてあります。つまり、彼らはイェス様がおっしゃったとおりに、イェス様が最後に命令なさったとおりに、まさにその方向に向かって行っているのです。

 

使徒言行録1章8節です。

「あなたがたの上に聖霊が降(くだ)ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土(ぜんど)で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人(しょうにん)となる。」

イェス様の最後の言葉とまったく一致します。要するに、彼らは迫害から逃げている途中なのに、イェス様の命令を忘れなかったわけです。イェス様がおっしゃったとおり、生きていたわけです。

 

そして、彼らがそこで何をしたかが4節に書いてあります。

「さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡(めぐ)り歩(ある)いた。」

散らばった人々は、ただ、迫害が怖(こわ)くて隠(かく)れたり、あるいは、自分の利益のためにエルサレムから離れたりしたわけではありません。彼らはエルサレムを越えて、ユダヤとサマリアと地の果てまで散らばりながら、自分の足(あし)触(ふ)れるところ、そこで、福音を告げ知らせました。

彼らを通して、福音はイスラエルを越えて、世界を向かって進み始めました。

 

さっき、私たちが読んだ、11章19節につづいてこう書いてあります。

「彼らの中にキプロス島(とう)やキレネ(きれね)から来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシャ語を話す人々にも語(かた)りかけ、主イェスについて福音を告げ知らせた。主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった。」

 

西の方はキプロス、北の方はフェニキア、そしてアンティオキアまで、福音を告げ知らせました。アンティオキア教会はキリスト教の歴史においてとても大事な役割を果たしました。アンティオキア教会は一世紀(いっせいき)からキリスト教の歴史に必ず登場(とうじょう)します。313年コンスタンチノープル会議でキリスト教がローマの公式的に認められた以後、アンティオキア教会は大きな役割を果たしました。公式にローマの国教になりましたが、教会にはさまざまな問題が起こりました。それで、何回も、各教会の監督や指導者たちが集まって、会議を持ちました。そのときアンティオキア教会はいつも重要な役割を果たしました。

このように、アンティオキア教会がキリスト教の歴史において、重要な教会になった理由は何でしょうか。いろんな理由があると思いますが、まず、アンティオキア教会は使徒パウロを派遣(はけん)した教会(きょうかい)であります。使徒パウロによってキリスト教がもっと速く、遠くまで伝えられることができたのはアンティオキア教会の役割が大事でした。11章26節にはアンティオキアで、始めてキリスト者と呼ばれるようになったと記録されています。アンティオキア教会の信徒たちはキリスト者と呼ばれるほど真実であり、それで、宣教師を派遣する熱情(ねつじょう)もあったわけです。このような信仰を持っていたからこそ、アンティオキア教会がすべての教会の中で模範(もはん)になった理由であります。

そのぐらいアンティオキア教会はなくてはならない教会でした。このように重要なアンティオキア教会は、ステファノの迫害(はくがい)で、エルサレムを離れ、散らされた人々によって始まった教会でした。

 

今日の本文にある「散らばれた」ということばはギリシャ語のdiaspeiroであります。このことばから散らばれた者を意味するdiasporaということばが出てきました。もともとdiaspeiroは農業と関係があることばで、農夫(のうふ)が種(たね)をまくことを表す動詞(どうし)であります。しかし、まくけど、そのまま静かに、やさしくまくのではなく、ところをかまわず、くまなくまくのがdiaspeiroであります。だからこそ、ステファノの死は偶然ではなかったことです。信徒たちが迫害を受けたのは偶然ではなかったことです。教会が散らされたのは偶然ではなかったことです。神様がなさったことです。農夫が種をくまなくまくように、神様が信徒たちを地の果てまでまいたことです。結局、すべてのことが神様の計画の中で行われたわけであります。

 

神様は歴史をつかさどる方であります。歴史を動かす方であります。私たちがそのまま留(とど)まっていようとすると、神様は試練と苦しみでわたしたちを散らすはずです。

ここで、散らばった聖徒たちが巡(めぐ)り歩(ある)いて福音を告げ知らせたと言っていますが、巡(めぐ)り歩(ある)いて伝道したのはどういう意味でしょうか。

 

韓国語は두루 다니다といいますが、日本語の意味ははっきりわかりません。韓国語の意味はちかいところから伝道しながら、だんだんとおいところまで伝えることであります。

つまり、伝道(でんどう)の一番大切なことはちかいところからであります。ちかいところから始まって、だんだんとおく行くことです。

 

アメリカの教会成長学者エルマー・タウンズ博士(はかせ)はどうやって、教会に通うようになったかを研究しました。86%は家族や友たちを通ってでした。6%は組織的な伝道によって通うようになりました。牧会者を通してが6%、広告(こうこく)を見てが2%でした。どうですか。ほとんどの伝道は実際に家族や親戚、そして友たちをとおしてなっています。わたしたちも同じです。ご両親、連れ合い、兄弟、親戚、友たち、先輩、後輩、私とちかいいる人々から教会に導かなければなりません。私の父が、母が、私の子供が、私の兄弟が、地獄に向かって走っているのに、心配にならないのは、理由が二つしかありません。ひとつは天国と地獄を信じていない。あとひとつは親を、子供を、兄弟をあいしていないこと。どうですか。

 

なによりも、イェス様を信じていない家族を神様に導くことに力を入れなければなりません。本当に大切な私の家族、親戚、友だちを伝道することが私たちの使命であります。

 

エルサレムから散らばった人々もそうしながら、村を越え、国境を越え、外国まで行って、伝道しました。その結果、何が起こりましたか。

 

今日の本文にはフィリポがサマリアの町に下(くだ)って、伝道したことが記録されてあります。7-8節は、「汚(けが)れた霊に取(と)りつかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫びながら出て行き、多くの中風患者(ちゅうふかんじゃ)や足の不自由な人もいやしてもらった。町の人々は大変喜んだ。」と言っています。

 

ということは、私たちが伝道すると、奇跡や、能力があらわれます。病気の人が治されます。今日(こんにち)はそんな奇跡がおきないでしょうか。いいえ、神様のご意志があれば、いつでも起こるはずです。最近、奇跡がおきないのは奇跡がなくなったからではありません。奇跡の能力を信じる人がいなくなったからではないでしょうか。神様が、今も生きておられると、伝道する時、私たちは奇跡を経験することができます。

 

そして、神様はそのことのためにエルサレム教会を散らしました。その散らされた信徒たちによって、神様の能力が現れ、神様の教会が成長し、福音が伸べ伝えられました。大変(たいへん)喜びました。大阪教会がその役割をしなければなりません。私たちと一緒に信仰生活をなさった方々の中で、多くの方は今、この場所にはおられません。韓国にもどられた方もいらっしゃるし、日本のどこかにいらっしゃる方もいます。この人たちに神様が何を望んでいらっしゃるでしょうか。また、今まで、教会を守って来られた皆さんに神様は何を望んでいらっしゃるでしょうか。私たち大阪教会のみなさんは神様を喜ばれるよう願います。今、この場所にいるすべての方々が神様の奇跡を経験することを願います。わたくしも神様に喜ばれて、神様の福音のために私はどこに行かされても、そのところで、神様が散らして行かされたその場所で、献身(けんしん)しようと思っています。

 

その結果はどうなるでしょうか。

8節です。

「町の人々は大変(たいへん)喜んだ。」

もともと、サマリアの人々はユダヤ人に認めてもらえなかったです。異邦人、救われない人、そう思われました。エルサレム教会の信徒たちもそう思っていました。そんな思いを持っていた人々を神様は散らし、散らされた人々が認められなかった人々に行って、福音を告げ知らせると、そのところに、そのサマリアの町に大喜(おおよろこ)びがあふれました。これです。神様は私たちにたくさん喜びをあたえることを望んでおられます。私たちだけではなく、まだ、福音を聞いたことがない人々にも大きな喜びを与えたがって おられます。その喜びがあなたがたの生涯にあふれるよう願います。それで、神様の驚くべき能力を経験する皆さんになることを願います。

 

 

お祈りしましょう。

恵み深い天の父なる神様!感謝します。私たちに神様の独(ひと)り子(こ)イェスキリストを送ってくださり、永遠の命をくださったことを感謝します。私たちが与えられた恵みを伸べ伝えることができるように導いてください。エルサレム教会は神様から散らされて世の果てまで行って福音を告げ知らせました。私たちも散らばった信徒たちのように福音を告げ知らせて大喜びを味わうことができるように導いてください。

イェスキリストの御名によってお祈りします。 アーメン